普段はパチンコだけど、パチスロも打つという人は少なくない。A氏もそんなスタイルだが、ではパチスロの方でも原稿を書いてみようという気になった。ただ、そのまま両刀使いでパチスロの方でも連載を持つということはできず、あくまでもパチンコメインで続けていくこととなった。
―そう言えばAさんってパチスロも打ちますよね。G誌での仕事はパチンコの方だけだったんですか。
パチスロの方でもちょっと仕事をしたことがあります。あの頃 (92年頃)、パチスロは裏モノだらけで、まあ今思うと信じ難い状況ではあったんですが、プライベートではそんな裏モノをちょくちょく打ったりしていました。普通にパチスロの基本知識はあったので、何か原稿を書くことができるのならそれもまたよしと、当時の編集長であるS氏に頼んで、何ページか書いたことがあります。
―連載を持つとかはなかったんですか。
そこまではなかったですね。パチンコの方で連載ページを持つようになっていたこともありますが、当時のパチスロ業界は前述したように裏モノがはびこり、いつまで経っても4号機が出てこない、ようやく出たと思っても数機種程度、つまり新機種が各メーカーから次から次へ出るといったような状況ではなかったんですね。新機種がたくさん出てきたからAさんにも書いてほしいとか、そういう機会がなかった。また、自分はパチスロの知識があるとは言っても、1.5号機、2号機の頃から打っていたのかと問われたら、それはない。だから、古めの機種で何か書けるかと思っても、なかなか難しかったですね。
―なるほど。
あぁ、そう言えば91時間バトルに出たことがあります。パチスロ必勝ガイドの名物企画で7人で1機種を1週間打つというものですが、自分もぜひ参加させてほしいと頼んだら出してもらえました。機種は確かエレクトロコインジャパン (ECJ) のトリプルウィナー3という機種で、3種類ある7図柄が特徴の、ややマニア受けするような機種でした。打った店は新宿のモナミ (閉店) だったかな。気合入れて朝10時から打ち始め、出たり入ったり、追加投資がかさんだりと、結局22時過ぎあたりに700枚くらいのメダルを交換してヤメたような記憶があります。
―負けてしまったと。
一週間トータルでのデータとしては設定1の理論値に限りなく近かったような覚えがあります。まあ、バックナンバーを見れば分かると思いますが、今手元にないので。参加して思ったことは、これは一人一人が責任持ってデータを取り、翌日の担当者に伝え、トータルでの勝ちを狙うというものです。打つ台も当然根拠があって然るべきで、前任者から情報を聞き、当日は自分で責任を持って台を選び、終日打ち切る (負け額が予想外に大きくなっている場合など、例外アリ)。無責任に適当に台を選ぶなんてことは許されず、単にパチスロが好きだからでは通用しない企画です。だからこそ、今でも続いている看板ページなんだと思います。
―パチンコの方では似たような企画はなかったんですか。
パチスロとほぼ同じで、1機種を7人で1週間打つという企画があったような覚えがあります。他に激闘365日という、編集部員やライター、関係者皆で1年間パチンコを打ち続けてプラス収支を目指すという企画ですね。長期にわたってデータを取り続けることはなかなか一般の人にはできないことで、ボーダーを超えている台を打ち続けることで結果がどうなるか、読者としては普通に興味、関心があることだったんでしょうね。読者アンケートでも評判が良かったように覚えています。
―やはり実戦企画というのは勝ったり負けたり、様々な喜怒哀楽があったりして、興味をそそられるものなんでしょうね。
大きく勝ったり、ボロ負けしたりね。特に大負けデータは僕らのような関係者から見ても、えらいことになっとるとか、良く打ち切ったなぁとか、まあ他人事だから半分笑いながら仲間内で喋ったりできるわけですが、当の本人からすればたまったものではありませんよね。
―以前も伺いましたけど、負けた場合の補償とかはどうなっていたんですか。
パチスロの方は自分が出た時のことはもう良く覚えていなくて (笑)、今でもどういうシステムになっているのかは分かりません。パチンコの方は以前も話しましたけど、普通に機種ページとして打つ場合は基本的に負け分は補償されました。前述の企画ページの場合、確か自分で選べたんじゃなかったかな。自腹で打つと決めた場合、幾ら負けても補償はない。だけど、勝った分は丸々自分のものになる。補償ありで打つ場合、負けた分は全額補償、勝った時はプール金として積み立てられる、そんな仕組みだったと思います。
―うーん、迷いますね (笑)。個々の判断に任せるということですか。
そうなりますよね。やはり、自腹じゃないと気合が入らないという人はいると思います。確変、時短中にきちんと止め打ちするとか、そういうのは勝っても負けても自分の懐に関係ないとなると、確かにいい加減な打ち方をしてしまう嫌いはあると思います。かと言って、自腹で思いっきり負けたとなると、あぁ補償ありにしておけば良かったとか、まあ人間勝手なものです (笑)。
―Aさんは自腹で打ったんですか。
僕はその企画にほとんど出なかったから思い出話みたいなものはあまりできないんですが、企画としてトータルではきちんと勝ったんじゃなかったかな。回る台を1年にわたって打ち続ける、こういう立ち回りは今でももちろん立派に通用することで、ようするに正攻法ですよね。創刊37周年を迎えるようですが、紆余曲折色々とあっても変にオカルトに走ったりしなかったのもG誌のいいところだと今でも思ってます。



ほう、91バトル、今でもやってるんですか。『トリプルウイナー』これはG誌(笑)に「いいよ」と勧められてよく打った記憶が…確かにあまり負けなかった様です、思い出した時にツライ気持ちにならないので。
小池さんにヅラプロさんですか、割と最近だと思ってしまうのは古い記憶がギュッとしてゴチャ混ぜになってしまう“老”特有の脳内なんだろうと新しい?発見がありました。
ま、そんな事はともかく、毎回Aさんをはじめスタッフさん達の当時の“熱”を感じております。「そんなにアツく作ってたんだなあ…」「だから“信頼に足る”とオレも買い続けていたんだろう」と思いました。
(ふむ、本の背中に“編集人末井昭”と記されていたからと選んだのは大正解だった、今ココに繋がっているし)
あ💡そうだ、右打ち中になかなか当たらないからと、一旦手を止めるみたいなコトをしなくなりました。自分の中ではこれを『A打ち』と(K打ちとも言う)呼んで、駆け抜けたらA(K)さんのせいにしてます、あしからず🤪。
>>ギルさん
森藤君は今でも色々と頑張っているようです。寝たら一日、二日は目を覚まさないという悪癖があり、当時の副編だったM氏に心底呆れられていましたが、持ち前の明るいキャラクターでパチスロの方でも活躍するようになりました。小池さんはパチプロをやめ、何か生業に就いたようですね。
当時はパチンコもパチスロも (業界的にも雑誌的にも) 盛り上がっていた頃で、今のようにまずは演出ありきではなく、機種としての性能や技術介入の有無など、そういったところをきちんと理解してもらえるよう、誌面を作っていたように思います。僕も権利モノ担当として、良く実機を自宅に持ち帰り、ゲージ棒片手にあーだこーだとやったものですが、当然特に何もないことがほとんどで、きちんと釘を見て回る台を打てと、月並みな原稿しか書けないことが多かったです。
3回、4回と立て続けに右打ち駆け抜けを経験してしまうと、次は途中ちょっと休んでみようとか、僕も時々そういうことを考えたりします(笑)。基本的には、狙えないんだから続けて打つのも休んで打つのもよしとなるわけですが、休んで打って結局駆け抜けたら、普通に打っていたら当たり乱数を引いていたんじゃないかとか、そんな風に考えてしまうので、僕は基本特に何も考えずに打ち続けます。
ロングSTか何かを引いていきなりドヤ離席をし、コーヒー片手に戻ってきて、普通に打ち続けて残り50回転とかになってまた離席するような人を時折見かけますが、結局駆け抜けてますので、まあどんな打ち方をしても狙えないものは狙えんと、そういうことです。僕のせいにはしないでくださいね(笑)。