前回のブログで公言した通り、自分はお盆休みを満喫中。これを書いているのは8/16土曜日ですが、いい加減やることが無くなってきてたり(笑)。
それでも、「暇に飽きてパチンコ打ちたい」とはならないのが希代の怠け者たるゆえん。今は「ああ、連休終わっちゃうよ」と夏休み最終日の小学生のごとき思いです。

てなわけで、一切パチンコ関係には触れていないので、今回は別のテーマでブログを書きます。

金曜の8月15日は自分の誕生日でした。この日は日本が戦争に負けた日で、誕生日と重なる自分には忘れない度合いが他の人より強いかな、と思っています。

加えて、戦時中に子供時代を過ごした母親からは、ずいぶんと当時の話を聞かされてましてね。戦争ってのはいかに酷いものか、あってはいかんものかと刷り込まれてるんですよ。
経験者の言葉は本当に重いから。

誕生日のせいか、もともと争いごとが苦手なためか、自分は小学生の頃から「徴兵されたら嫌だなあ」なんて思ってました。中学生になる頃には「死んだことにして戸籍を抜けば逃れられるんじゃね?」なんかの夢想もしたし。
大人になると、政治の嫌なものが見えるようになります。それで、「じゃあ、実際に戦争するなら、主導する政治家や戦争で儲かる企業のお偉いさんが率先して戦地に行けよ。無理なら家族を送れ」くらいに思うようになりました。
安全な所から人の命を駒のように右から左へ動かせて、国民が黙って死んでいくのを当然と思うなよ、と。

この御時世、他国の侵略も現実味を帯びてきてるから、国防は考えなくちゃならない。それは自分も同感だ。
でも、ギリギリまで人が人を殺める状況にならなくて済む形を、みんなが考えなくてはいけないと思うのです。ロシアを見ればわかる通り戦争は独裁者が一人出現するだけで、簡単に起こってしまう。でも、平和というのは誰か一人が決めてプレゼントしてくれるものではないし、人類一人一人で努力しないと実現できないものだから。