パチンコという太陽が斜陽化して久しい。
私がパチンコを打ち始めた頃には既に西へと
傾いていたのだが、コロナや物価高によって
とどめを刺された感がある。

微かな陽の光に暖を求め手の平を向けるのは
オールドファンばかりであり若者たちは
他の娯楽やパチスロへと流れている。

私が海のシマで打っていると
私が最年少である事に気付き、愕然とする事もある。

そんなパチンコではあるが必勝法が存在する。
ボーダーライン以上の台を打っていれば勝てる。
勝てるは言い過ぎだとしても長期的な目で見れば
それなりの数字に落ち着くものである。

個人的には「薄まる」という表現がしっくり来る。 
理不尽なハマりも僥倖な当たりも試行を重ねれば
薄まっていき、妥当な数字に落ち着く。

私は遠隔とか店長ボタンとか遊タイムストッパーとか
波とか、そういう言葉が嫌いだ。

何故ならば、パチンコという勝負に負けた敗因を
自分以外の物に求めようとしている。つまりは
他責思考だからだ。台を選んだのも打つ日を決めたのも何時間打つのか、金額はいくら打つのか決めたのも
自分なのに、それらを無視し、自分以外の何かに
敗因を押し付けている、その様が嫌いなのである。

しかし、とんでもない不ヅキやハマりに出会うと
私の中の他責思考という名の鬼が顔を出そうとする。

抽選されてないんじゃないのか。
遠隔は存在するんじゃないのか。

そういう考えが顔を出しそうになる度に
私は自分がパチンコで勝つ為にしている努力を
思い出すようにしている。

打ちに行けない日はデータを見て
大体の回転率を算出、記録しているだろ?
ステージ止めやラウンド間での止め打ちも
しているだろ?

ここで他責思考に飲み込まれたら
自分がしてきた努力を自分で否定する事になる。

それだけは、やってはいけない。そう思う。

そう思うのだが、他責思考という鬼が私を
弱気にさせ、誘惑する。

「確かにその台はボーダー以上回ってるけど
負けてるやん、あっちにある千円14回の牙狼打とうよ、すぐ当ててラッキートリガーに入れちゃえば
勝てるやん」

砂漠で遭難した人が実際にはありもしない
オアシスの幻覚を見るように、吸い込まれそうになる

気づく。私にとって最大の敵は私なのだと。
パチンコ屋さんにも、メーカーにも
法規制にも鬼は棲んでいない。
鬼の棲家は自分の中にあるのだと。

そこにはある種の気楽さもあり
パチンコ屋やメーカーと戦わずに済むし
専業ではない私はパチンコ屋さんにいる
上手い人たちとも戦わずに済む。
戦うべきは自分だけなのである。

……自分というのが一番の強敵なのだが。

うだうだと書いて来たが
それが私にとってのパチンコへの姿勢である。

偉そうな事を書いてきたが
今日、仕事終わりにジャグラー打とうかな。
1000円でペカラないかな。とか考えている。

修行がまだまだ足りないようだ。

今日はこの辺で。
縁があったら、またどこかで。

最後まで読んで頂きありがとうございました。