先週、荒野のコトブキの攻略法が騒動になりましたが、そういやボクがこれまでやってきた攻略系ってなんだろう?
50歳手前のオジサンは細かい部分の記憶があやふやだったりするわけですが、コトブキを契機にちょっと思い出してみよう。本日はそんな感じでお送りします。
始まりは初代ホースケ
まだまだぱちんこに興味を持ったばかりの小僧だった頃、現金機の冒険島から始まり、ファインプレーや玉ちゃんファイトでコツコツ稼いだ小銭を大工の源さん、モンスターハウス、FダウンタンなどのCR機にぶっこんでいた万回転青年。ボーダー理論のアレコレも少しずつ分かってきた中で、パチンコ必勝ガイドだったと思うのですが止め打ち攻略の記事を見かけてホースケに挑戦したのが始まりです。
今とは比べ物にならないほど簡単な、一定のスピードで回る回転体のVに合わせるだけ。それゆえに駆け出しのボクでもある程度の成果を得られ……ると思いきや、ガラス板に反射する店員さんのマークなど気にも留めずに必死で止め打ちする小僧でしたから、即注意。
それでも誤魔化しつつやれないかと模索した結果、店員に頭を引っ叩かれます。
ホールに響く「やるなって言ったよな!!」という怒声。
今となってはそれでも景品交換させてくれただけありがたいとしか言いようがありませんが、ぱちんこ屋さんって怖いとこだなぁ……と実感するとともに、技術で勝てるという学びを得ます。
また
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ナナシーの右打ちなんかにも挑戦。大して打ったわけでも勝ったわけでもありませんが「攻略してる感」に魅了され、この経験はしばらく後の

CRスキージャンプペアの通常時右打ちへと繋がっていきます。
パチスロに目覚めた先に……
まだ大学生だった自分はプロでもなんでもなく、なんとなーくでお小遣いを稼げた。そんな時代でしたが、初代サンダーVからパチスロに目覚め、目押しの楽しさを覚えていきます。
そんな中で発覚した攻略がこちら。
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今も語り継がれる伝説の機種、ビーナスラインとご対面できたのはたったの一度。
こちらも自分で手順を見つけられるわけもない小僧が、この時はマガジンだったかな?雑誌で見かけて1度だけ打つことが出来ました。その翌日、シマ閉鎖と言う場面に生まれて初めて遭遇。そして、この流れで同じく1度だけ挑戦したのがコアでした。
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ビタ押しが下手くそな自分が攻略「できた」とは言えませんが、この流れをへてパチンコにもパチスロにも通常の止め打ちや目押しとはちょっと違う「機械の穴を狙う攻略」が存在することを知っていきます。
そこからしばらくは、至って普通のスロッターでした。ご時世的に攻略とは無縁でも、ホールのイベントに合わせて設定推測・目押しを駆使すれば若造1人生きていくくらいのお金は稼げる時代でしたから。
2000年代初頭の攻略史に刻まれるサミーのコピー打法もゴールドXの逆押し攻略とも無縁です。
こうして20代前半をなんちゃってパチプロとして過ごし、結婚という人生の転機を迎えたことで一度就職。ぱちんこからは離れます。
京楽捻り打ちからの応用
4年の社会人生活をへてこの世界に戻ってきてしまった自分がパチンコとパチスロを併用しつつ、他人とは少しだけ差をつけられたのが止め打ち技術の部分でした。
美空ひばり、銭形平次、プロポーズ大作戦、ベルセルク、大王四神記、クロユリ団地、仕事人4、AKB、コードギアス等々、京楽機種の捻り打ち全盛時代、しこたまそれらを打ち倒す中で、これは自力で辿り着けたと言えた攻略がホースケミニでした。

自分の打ち手としての成熟期があるとしたらこの時期でしょう。
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デビルマン俱楽部の1G連合わせも自力発見できたし、安田さんや故・池上蓮さんという著名人とのご縁も繋がった結果、色々なプロの方とお会いする機会が増えました。そして攻略への深度が増していき……

この辺の「通常時の右打ち+捻り打ち」で、北は川崎から南は小田原まで、神奈川中のホールを転々としていた時期もあります。そして、ちょっと変化球ではありますが

こいつの止め打ち(ドツキはやってない)を必死こいてやった結果、某大手ホールさんで要注意攻略の情報がボクの写真とともに社内掲示板で晒されたそうです(内部の人から聞きました)。
以上がボクの攻略史。
ちなみに、攻略的なものをこうしてアレコレやってきましたが、今現在も含めてホールさんから出禁宣告を受けた事は一度もありません。また、メーカー仕込みの情報を予め知っていたり、体感器や電波・ライター等の器具を使うゴト系に足を踏み入れたことも一切ありません。ファフナーやアップルシード、サンダードラゴン、闘将覇伝なんかは打てる機会がありませんでしたが、まぁ本職の方々から見れば薄っぺらい攻略遍歴でございます。
そして、そんな凡人が伝えたいぱちんこ攻略の負の側面とは。
最後は暴力の世界
冒頭の初代ホースケで店員さんに引っ叩かれた、なんてまだ優しい方。
ビーナスラインに座っていた時、左右の皆様がどう見てもカタギ感が無かったり、ホースケミニをやりに行って座った瞬間、「お前どっから来たの?」と複数人に囲まれたり、機種の穴を狙う系の攻略は、何せ破壊力がデカイだけに何度も生きている世界が違う方々と遭遇しました。そういう諸々の経験をへて
「ボク黒い世界には関わりたくない……」
が勝ってしまう人間なので、以降は兎に角
・目立つな
・短時間縛り
・抜き倒すな
・店舗を変えろ
・バッティングしたら揉めずに引け
を攻略に手を出す上での処世術として生きてきました。
そして、攻略でも何でもない、真っ当に抽選を受けて、真っ当に台を取る形でも、ホールが飼ってるサクラなのか軍団なのか知らんけど「俺ら役職と繋がってっから。いいからどけや!!」みたいな場面に遭遇したのも1度や2度ではありません。
どんなに表面を綺麗に装っていたって、この世界の仕組みを知れば知るほどいかようにも悪さが出来ることが分かりますし、勝ちにいく深度が増せば増すほどこうした暴力と近づいていくのがぱちんこです。
ギャンブルの現場ってそういうもん。だから「業界を盛り上げよう」に違和感があるのです。
ヴヴヴ2にも出ましたね
コトブキのような攻略ネタじゃありません。でも結構ヤバ目の、ほとんどの人が気付かないような勝ちに繋がる情報がチラホラ上がってきています。ただそうした情報は玉石混交で石の方が圧倒的に多いから、その辺を見極められる経験と現場に落とし込める力量も問われますが。
かつて、ボーダー理論が先鋭で、目押し、止め打ちが先鋭で、でも今は技術ではなく知識・情報が優勢で。一見したら誰も気に留めない、そんな台に勝機があったりします。そして、真っ当に遊ぼうとする人がその割を食う世界になっています。
その良し悪しはさておき、メーカーが巧妙にお上の目を潜り抜けて射幸性を高め、ホールが同様に脱法的な広告宣伝を活用するように、打ち手もまた環境に合わせて勝ちにいく。今はそんな時代なんでしょうね。情報をめくる側の熱意もすごいよね、ホントに。
そして、いつの時代も変わらないと思うのは、目的が楽しみにせよ勝ちにせよ、メーカーの開発者を除けば台のことを一番よく知っているのはホール側の人間ではなく打ち手側ということ。また、我々プロ側の人間は、その熱意を社会の中では活かせない人がかなり多いというアレなところ。
そうした混沌があるからぱちんこは面白いと思う口ですが、ここのところ話題のnote勢の悪目立ちに関しては、データサイトからの鉄槌が下らぬよう、気配を消さなきゃダメですよね。まぁ、太く短く抜いてこの先どうなろうがそれでいい、もその人が選んだ人生ですし、攻略系メインのプロはそうして消えていった人も多いわけですからそこに大差はありません。
でも、ぱちんこという存在とそこに関わるすべての人は、そもそもが社会の日陰モンという点は忘れないようにしたいものですね。
■万回転 プロフィール

- 1978年生まれの真面目系クズ
■レトロパチンコマップ
下記地図にないレトロパチンコを打てる場所をご存じの方、地図完成のために情報提供のご協力何卒宜しくお願い致します。




取り敢えず1回上手くいったら「ああ出来た、でもまあもういーかこれで、イロイロ睨まれるのもイヤだし」という思いが先に立って、そんなに熱を入れてはやらなかったなあ、どれもこれも。都会と違って“睨まれる”ことは一度や二度の実践では無かったけど、「毎回毎回狙って」ってことになるとサスガにだろうし、昔の“コワイ”雰囲気は身に沁みてるからね。
それでも“機会”があれば(機種の設置とその“状態”、ならびに先ず当ててから…というハードルが高かったりするからなかなかチャンスが訪れないんだけど…)やってたかなあ。(スロはさ、己の技量的にほぼムリなんだわ、無理だもん直視なんて)
ということで「ああ、アレは毎回…、効果もそれなりに…、目立たないし…」と思い出したのは『初代レレレ』の自力継続促進打法だね。“攻略法”とは言えないかも?だけど、他にやってる人は見かけなかった(そんなに人様のフリは見てないから)から、相対的に効果はあったはずだと思う。『レレレ』は回転体に合わせるタイミング打ちもあったから、持ち玉が少ない時はタマにね。でもアレはさあ、時間効率が悪くて、今とは違う理由だけど“夕方まで”というケツ持ちだと、ずーっとはね、コッチは目立つだろうしというか「面倒くしゃい!」からガマンが…。
とゆーことで、都会のガチガチの店と田舎のゆるーい店、及び“シノギ”か“小遣い稼ぎ”かの違いを明確に感じた今回でした。
楽しい“書き手”が見つかるといいね、期待してますよ😀。
レトロ柏崎さんの動画を見ていても、当たり後はきっちり2回転のタイミングで打ち出していて「しっかり打ってるなぁ」と、感心しておりました。
当たり後10回の開放で3回しか回せない方とか見て(もう少し頑張ろうゼ?)なんて心で呟いてたのが思い出されます。
小田急沿線だったと思うのだが、止め打ち黙認の店がありました。
学生風の2~3人が、ガッチガチの釘のホー助に毎日かじりついていたのが懐かしいです。
攻略的なのは古くは一発台で機種名はわからずですが当日では珍しく一撃8,000発定量って台がありました。
右の風車に絡ませて一発穴に放り込むというものですが私自身は攻略なんて思わず堂々とやってたわけです。
ある日上手く行き過ぎ0.5K、1Kで5台連続仕留めてしまいお店の事務所に連行なんて事がありました。その日は以降一発台は打たずタバコ2カートンと小箱二箱付で打ち止めされてたクセよし羽根物台を開放してもらいました。
今考えるとなんて優しい対応だったことでしょう。翌日からは一発台の右側は塞がれましたが。
後は短命でしたが平和のCRチャンピオンシップの右打ち。これは新台当日から釘が左右非対称だったので即試して1ヶ月半ほど打ちました。複数店舗で打ちましたがお咎め無しです。後でガイドかマガジンに掲載された事を知りました。
初代ホースケはコソコソとやってたような。その他にもありますが世間で大々的な話題にならなかったのはこれぐらいです。
今思えば大きな揉め事にならずLuckyです。
ちなみに直営店での捻りは一発退場でしたので右の止め打ち程度。止め打ちでも注意されましたがw
今は元気にオヤジ打ちです!
近所のビーナスラインは女性専用台になっていたのを思い出します。ファイヤーコングも鉄火場でした。私は触れず。
コアは知った日に偶然設置店があったのでツレと試しに行ってやってみました。結論としては「ムズすぎ&しんどすぎ」でした。
当時でもビタがバッチリできる人ではないので、12枚が抜けたタイミングで初めて出来ていることを気づくくらいでしたので
当然目もすぐに疲れてしんどかったです。でも確かに攻略している気分を味わえたのは楽しかったです。
パチンコは湘南爆走族くらいですかね。先行導入から触っていたので知ってたり研究してれば出来たかもしれません。
まぁ攻略しなくても当時の先行導入は美味しかったのとそもそも面白すぎたのでヨシ。
マジモンの攻略はリスクありありですからね・・・
>>ギルさん
直視しないと無理って思ったのはファイヤーバードでした。しかのノスタルジアさんで初めて挑んだ時、何せ古い台だから図柄がかすんでてw
4号機以降は視認性滅茶苦茶上がってますし、直視しないとダメな台なんてほとんど無かったと思います。一般的には、ですが。
シノギか小遣い稼ぎか、は仰る通りで、ボクもやれても自分で線を引くタイプでしたから色々中途半端と思っております。
書き手の話は、ボクはノータッチなので。まっきゃんさん、YUKIさん、夾竹さんを応援してあげて下さい。悠遊道の運営本体はそのお三方なので。
>>禅寺丸さん
若い頃はガチガチに齧りついちゃうんですよねぇ……何も知らないから。ボクもその道を通りましたw
「しっかり打ってるなぁ」と思ってもらえたのだとしたら、あの時代を生きた皆様に恥じない動画に出来たのかな、と嬉しい気持ちです。
>>カポさん
どの一発台なのか分かりませんが、実際に打ってのそうした気づきって攻略の入り口なんですよね。
そして、それを気付けるかどうかでぱちんこの攻略深度は分かれるわけですが、それ以上に「こんなことやってる場合じゃない」という気付きで社会へコミットして尚、「今は元気にオヤジ打ちです!」と言えるの素敵だなぁって、社会不適合者な自分は思いますw
>>白いシローさん
女性専用台とか今では考えられないですよねwシマ閉鎖になった日、近くのお店に行ったらそうなってたのを思い出しました。確か、1週間後には閉鎖されてましたw
>攻略している気分を味わえたのは楽しかったです
我々世代はこれがあったからハマったというのはあると思います。加えて、今よりビギナーズラックに恵まれる機会が多い環境でしたしね。
そういう意味では、情報に先鋭化して勝ちにいこうとする人たちが多いのは時代の違いとしか言えませんが、時代は変わっても人の本質はそうそう変わらないから、やりすぎると怖い人が出てくるよ、というのはお伝えしたかったブログですw