2月のテーマは、初打ちにまつわるエトセトラ。2024年も明けてしばらく経ち、初打ちも済ませているだろうというタイミング。最適なお題とも思えます。私も済ませていますが、病気の関係上、どうしても長時間実戦ができないため、ジャグの1000円勝負→光らずというショッパイものでございまして(汗)。

そこで、私がパチスロデビューした時のことを書こうかと思います。

私が初めてパチスロを打ったのは、1991年1月のこと。パチンコデビューはしていたんです。この頃好きだったのは、羽根モノの『マジックカーペットII』あたりが好きでした。他にもセブン機や一発台など、高校を卒業したばかりの若者らしく、好奇心旺盛にいろいろな機種を触っていました。

しかし、1年近くパチンコホールに入り浸るようになっても、パチスロには手を出せずにいました。理由は簡単です。

怖かったから

これに尽きます(笑)。当時、パチスロで人気だったのは『ニューペガサス』(パル工業:1.5号機)や『アニマル』(アークレテクニコ:2号機)でした。

昔のパチスロなら、当たるか外れるかだけじゃないの? そう思われるかもしれませんが、この2機種はかなり特殊。台上カウンターもない時代ですが、当たりやすいゾーンなどが明確にありました。そして、台間のコインサンドもなくシマ中央にある自動販売機のようなメダル貸し機まで毎回行くことが当たり前となっていた時代です。

シマに入るだけで、全員睨んでくるんですよ。これは、後から同化して分かったことですが、シマの中央のメダル貸し機まで行かねば打てないのですから、誰が(何円単位で両替する癖のある人か)何回歩いたかチェックすることによって、その人が打っている台のイン枚数がある程度分かるんですよ。そりゃ、見ますわな。ガン見しますわな。

さらに言うと。この頃はメディアも発達していないというか、メジャーではなく。そういったモードや天井などの情報も、今みたいに開けっぴろげではありませんでした。知る人ぞ知る攻略法だったのです。

そういうものに精通して、勝つことによって生業とする。まだ、暴力団対策法も施行されておらず。どう考えてもヤバい人の集まりに見えたというか、そのような雰囲気だったのです。そりゃ、まだお尻の青いクソガキには早いというか。パチンコホール以上に「行ってはいけない場所」と思っておりました。

 

その日も、いつものようにパチンコだけを打っていました。セブン機で当たって景品に交換できたのですが、運悪く交換所が休憩時間で開いていません。「今日勝っているし、いつも出ているように見えた角台も空いているし。何より景品カウンターから近いし」と、生まれて初めてパチスロを打ってみることに。そこは『アニマル』や『ニューペガサス』といった人気機種ではなくガラガラだったのもチャレンジする選択を後押ししてくれました。

そこからは、周りの人の見様見真似で「こうやってメダルを借りるのか」「こうやってBETするのか」とこなしていくことに。幸いにして赤7は見えました。素人でも分かります。この赤7が揃えば偉いんだろって。

1G目:上段赤7テンパイから右枠上赤7

2G目:上段赤7テンパイから右中段赤7

この間のタイミング? ムズいんですけど(当時はリール制御など知る由もない)。そして、運命の3G目。

3G目:上段赤7テンパイから右上段赤7

揃いました(歓喜)。いや、周りの人を見習って、感情を表に出してはいけない。淡々と消化しよう。そうは思いましたが、この当時ガラガラの不人気機種です。当然のようにメーカーが意図せぬチューンナップがなされていたのでしょう。面白いように赤7が揃い続けます。気付けば、セブン機で当てたよりも多くの金額を短時間で手にすることと相成りました。

自分の目押しが正確なら止まる

そう勘違いした若者が、そこからの1週間負けまくったのは言うまでもありません。