今回採り上げるのは通称新海アグネスのミドルタイプです。
スペックは初当り初当りが約350分の1で確変突入&継続率が68%。当時としては普通のスペックでしたね。
海シリーズも代々で凄い数になっていて、自分なんぞはいったい何機種登場したのか、すぐに思い出せないくらいです。
この機種は特に海の代名詞というほどの知名度も今はないでしょうが、多くのホールに看板機種として設置はされたから、中ヒットくらいの実績はあったと思いますね。

今回の回顧録用に記憶を辿る中(「大勝ち自慢はどうか?」と考えて)、「そうだ、海で20万勝ったのはこの機種だけじゃん!」と閃いて、採り上げることにしたのです。

あの日のことは「克明」とはいかないけれど、それなりに記憶してます。初っ端から初当りに全然苦労せず安く食いつき、当たれば確変がそこそこ続き、そのうちにデカい連チャンが2発か3発で軽く5万個オーバーだったかな。
時代としては東京も例の「一物一価」令で等価交換の波が押し寄せていて、「ああ、昔と違ってプラス20万も簡単になったなあ」と思ったもんです。
まあ、その後に両手浮きの勝ちを手にしたのは、ちょっと前の一発台の天龍まで待つことになりましたがね、テヘヘ。

ちなみに、当時の自分の武器は海シリーズ全般での電サポ中のひねり打ちを交えた止め打ち(今は打ち子さんでもやる程度の技術なれど、当時は同じ打ち方をしている人はほとんどいなかった)。
初代大海アグネスで完成した基本的な打ち方(ひねって一発多く電チュー入賞が狙える上に、打ち出しが1個増えてスルーの通過も良くなる)でした。
大海アグネスは止めずにひねって3個打ちがジャストでしたが、初代地中海では4個打ち~以後の機種は一瞬止めを入れて3個が主だったはずです。
もちろん、大当り中もひねって出玉を多く取る、と。

まだイベント禁止の流れもなく、割と多くの店でチャンスはあったので(ガセも多発してたけど)、この時の20万勝ちは悪名高き全国チェーンのものです。
その店は沖海2でも通常時の合わせの工夫で、釘を甘くする日にちょくちょく稼がせてもらったなあ。今は見る影もない凋落ぶりですがね。

そうそう、この店には有名な漫画家さんがよく来ると聞いて、「いたら挨拶でもするか」と沖海2の頃には別の荒い機種のコーナーで何度に探したけど、ついぞ見かけず。
自分は一度お会いしてるから、素顔も知ってるんだけどなあ、謎だ。