高所恐怖症が有名かなと思いますが、先端とか集合体とか、色々ありますよね。

子どもの頃はミノムシのミノを引っぱがしては中の虫を並べるという非道を繰り返していました。「まっちゃん残酷やな」と近所のおばちゃんに恐れられたほど昭和昆虫博士だった私も今ではゴーヤンに飛び上がり、蝶々でさえも「おわっ」となる虫嫌いになりました。あのミノ部分はすごく頑丈で、ハサミでもなかなか切れなかった事、感触を思い出して今ゾワゾワしています。

ちなみに爬虫類は平気で、今でも「カナヘビを見つけると率先して捕まえる」という野生児なんだか何なんだかわからない人間になってしまいました。

セミは美味いと教えてくれた長老(ご近所さん:くーちゃん)がいましたが、猫ボラ仲間に「セミ恐怖症」の人がいて、毎夏、病院で薬を処方してもらっていました。玄関先でひっくり返っているセミを見ると彼女とくーちゃんが浮かんだものでした。好きと嫌い。

ちなみにくーちゃんは23年前からおじいちゃんでしたが、今でもおじいちゃんで健在です。話が脱線しますが、女性は「オバチャン時代」が長く、男性は「じっさま時代」が長い気がします。

そんな流れで?ギャンブル/パチンコ依存症があるのなら、真逆の「恐怖症」もいるのではないか。そんな事をふと考えました。

恐怖が嫌悪となっている典型が、うちの母親だと思います。たとえるなら現代の嫌煙家みたいな感じでしょうか。とにかく借金とパチンコが1000%許せない人間なので、クレジットカードを心から憎み、勧誘されようものなら「カード、嫌い!」と怒鳴りつけます。

が持っている会員カードを、店を探してカウンターに持って行き返却するという行動に出た時は驚きました。ホール側も「貯玉があるので……」とおそらく言ったかと思いますが、聞く耳なんて全く持ってません。私と同じく失聴者だからですが、宣伝ハガキも送ってくるな!とカードと一緒に突き返したようでした。一方的な言動に困惑するスタッフの顔がはっきり浮かびます。

ここまで極端な人はそういないでしょうが、ギャンブルの中でも「パチンコだけは絶対に受け付けない」という人はいるのでしょう。かくいう私も50前まで打ちませんでしたしね。

確か栄華さんのお母さまもパチンコをした事がなかったが、ふとした機会に一緒に打った?といつだったか書かれていたと思います。ほんの一瞬だけ。娘としてのその不思議な感覚。今ではホールも禁煙になりましたし、私もいつか味わえるかなぁ、おそらく叶わぬ夢でしょうが。

恐怖はどこからやってくるんだろう。色々あるでしょうが、理由のひとつに「わからない」があるのではないか。映画でも『激突!』や『ヒッチャー』はじめ、「なんで俺が狙われんねん!」という意味のわからなさ、理不尽さがパニックにつながって、恐怖を更に煽っていました。

一番身近なギャンブル、パチンコ。敷居が低い事に対して、お怒りの方も多いんでしょうね。なんでこんな嫌われるんかな~。面白いのに。

だから業界はイメージ戦略を取ってほしい。過日、旧Twitterでヴィム・ヴェンダース監督の「パチンコは禅である」という考えについてフォロワーさんとやりとりがありました。

私たちはあの喧噪の中、考えをまとめたり、また逆に頭をカラッポにする。両極端だが、そのどちらも叶う場所であるという事。「教会に近い」というヴェンダース監督の言葉に深く納得したものでした。理性を失う人もいれば、正気を保つための人もいるんです。

お正月に、母が持参したトランプでババ抜き(ジジ抜き)を家族3人でやりました。10円とかあめ玉やチョコレートを賭けて。「ギャンブル嫌いなんちゃうんかい!」と思いながら、いつかもっと年を取った時に、こんななんでもないシーンを思い出すのではないかとフフッと笑ったものでした。

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