ホントにそんなパチプロがいるの?と思われた方が多いのでは、なタイトルです。もしそれを実行したなら全てのパチプロは引退の憂き目に遭いかねませんし、実際には無かったことにして普通に続けてる、モノかもしれません。
実際にこの事を誌面で書いた、そのパチプロは誰なのか想像をしてみていただければ、と思います。
そのパチンコ誌でデビューをした、釘王で有名なIプロは、デビュー当時既にその某プロ氏が看板を張っていたため、自分は別方向へ特徴を出すことを考え、釘に特化方向へシフトした、と語っていましたね。
さて、30万未達引退宣言プロは22歳の時、ケーキ屋をしており、国道を挟んで向かいにあったパチンコ店からの帰りに寄ってくれるお客も多かった。そのお客から「最近よく出してるから行ってみたら?」と言われて行ってみた、のがパチンコにはまったきっかけだった。
ケーキ屋やってたのが漁師町だったことで、セリ終わって家に帰ってビール飲んで、それから暇つぶしにパチンコ行く人が多かった、その客層ゆえの甘い調整だったため、勝ち方を勉強して甘い環境でポンポン勝てた。
ケーキ屋やりながらでも年800勝てた。でもパチンコを本業にしてる年3000勝ってる攻略プロもいた。自分もパチンコを本業にしたらもっと稼げると思い、どれだけ稼げるのかやってみようと思ったのがプロになったきっかけだった。
30歳の頃、外車でパチ屋に乗り付けるスタイルが知れ渡り、某パチンコ誌ライターから、ライターやらないかと誘いがあった。そんなん書いても儲けにならんし、顔出ししたら店に出入りしにくくなるリスクもあるし、迷ったがまあええか、と書くことにした。
それまで正統派プロはいっぱい居たので、色物でいこうかと、インパクト重視で編集長にも書きたいように書かせてくれと言った。読者に対し「お前らそんな打ち方してるから負けるんじゃい」とか書いた。そしたら一杯クレームが来た。
次の号で「読みたくないなら読むな」と。そしたらまた反論が来た。「偉そうにしてるけどほんまにお前は勝ってるのか」って。なので通ってる店、機種を店長了承のもと、バラした。実際にけっこう見に来て、実際に出してたからみんなも黙りよった。
その後も、インパクト重視でライターを続けた。その後、1番弟子、おっとこまえ西氏、2番弟子、もん吉氏(ネタ系のプロで安田プロの勝者に学べ、で対談もされました)、を従えた3人のパチプロ誌面に拡大された。題して「俺たちこうして喰ってるぜ!」と。
はい、分かる方はもうお分かりかもしれませんね。そう、ベ〇ツ小林氏のお話です。個人的にはインパクト重視が高じて盛った話が多かったと感じました。乗っていたベ〇ツ(クラシックタイプなのに)で阪神高速で煽ってきたポルシェと300キロオーバーのランデブーをした、とか。
また、日々の収支がプラス2万強の日ばかりが多かったのも不自然。ノーマルデジパチのフィーバールーセント(1994年登場 1/201)を連日打ってほぼ全勝。にして毎日同じくらいのプラスって、ないない、と思っていました。これは、同じ雑誌ライターのねこプロさんと文通をする過程で裏話を伺うことができました。
「山岸プロは彼の正体を知ってるのかしら」とか。また、私はベ〇ツ小林氏を実際に拝見したこともあります。今は無き地元のA店が、地域で初めて来店イベントを実施しました。その来店イベントの対象者がベ〇ツ小林氏でした。
で、A店へはせ参じ、その日の新台「寿司屋の大将」についての煽りマイクをしていました。まあ、お客は「誰か知らん」な感じではありました。さらに、その寿司屋の大将の釘は渋めで、島の出玉感皆無ではありました。一言、ラプソディ攻略ネタの話など声を掛けようかと思いましたが、そんな勇気など持ち合わせてはいませんでした。
で、何年間か喰ってるぜ誌面を続け、パチマガ誌の顔として君臨。そしてとある号で「30万勝てない月があればパチプロ引退する」としてました。そしてその後、月26万しか勝てなかったからパチプロ引退する旨を書きました。まあ、これは予定通りなのだろうと察しました。
その後もパチンコアドバイザーとしてしばらくはライターと来店イベント、TV出演、またガセ系攻略会社の加担をしていましたが、やがて業界を去りました。噂ですが、その後海外へ移住された可能性が高いようでございます。
勝ってこそのパチンコ!
という人が殆どなのでありましょうが、楽しんでこそのパチンコ。ちょっと負けても、それ以上に楽しめればいい。
一勝より一笑というスタンスで、私はこれまでもこれからもパチンコを打って行きたいですね。
禅寺丸さん、コメントありがとうございます。
ちょっと負けても、それ以上に楽しめればいい。氏の美徳はパチンカーの鏡みたいに感じます。