レスキューキャッチャーは、1994年にSANKYOから登場した権利物です。

権利物とは、デジタル揃い+V入賞で大当たりとなる機種で、私はV入賞がアナログ的で玉の動きが楽しいタイプが大好きで、レスキューキャッチャーもそんな機種でした。

ピンク色をしたビルとその下で左右に動くレスキュー車の役物が目を引く魅力的な盤面を一目見て気に入りました。

こういったアナログ要素のある権利物は、前年に出されたスカイキッズ3の例を見ても設置期間が長くないと思われましたので、仕事帰りにもよく打ちました。その道中「レスキューの前にレスキュー無し(今レスキューキャッチャーに勝る台無し)」と呟いたりしてましたね。

ゲーム性は、デジタル+役物による2段階判定で出玉振り分けがありました。デジタル確率1/9で、2桁デジタルが揃うと約1秒間ビルの左上にある小窓が開きます。小窓に飛び込んだ玉がビル内をジグザグに落下し、最下部の左右に動く役物に拾われれば(とりあえずの)当たり。

その後、ミニデジタルが回転し、3・7で止まれば16Rの大当たりで3回権利獲得。しかし0なら1Rのみで終了。この1/2の振り分けは天国と地獄くらいの差がありました。初回16Rの当たりの場合でも、2回目3回目とも1/2で16Rと1Rとの振り分けがあり、出玉にバラつきがありました。

実戦では、どうにか左右に動く役物を狙えないか考える訳ですが、通常時のデジタル回転時間と、小窓に飛び込んで落下する時間がほぼ一定であったため、デジタルが揃って小窓が開くタイミングを調整できるのでは、と思いました。そして左右に動く役物の位置を見計らって単発打ちをすることを行いました。

今小窓に入賞すればグッドタイミング、という場合は手に力が入ったものでしたね。手に力が入り過ぎて空振り、も多かったです。そういう意味ではバネや寄りの釘も大事でした。

レスキューキャッチャーは地元2店舗に導入され、1994年の4月~9月初旬でハズされるまで打ち、32戦22勝10敗、という成績でした。

その後、私は攻略マガジン誌のねこプロさんの連載ページ「ねこのかんづめ」にて文通仲間の募集に応募をさせていただいたことがきっかけで、ねこプロさんと文通をさせていただくことができました。

ねこプロさんもレスキューキャッチャーは、プロになりたての頃に良く打たれたそうで、私の地元では1年以上前に外されていたのですが、大阪にはまだ設置あることを教えていただき、大阪アメリカ村某店まで何度か馳せ参じることになりました。

また、TV収録時では「とりあえず、直ぐに当てて下さい」とか、パチンコを知らないTV関係者から無理難題を言われたりした苦労話も伺ったり、他のパチプロ氏について、記事内容と実際とのかい離があり、どんな世界にも裏があることなど伺いました。

1996年当時、パチプロを始めるには10年遅かった、ともありましたが、その当時から以前は勝つことは容易だったが今は厳しくなったと言われていて・・・・このことは世紀が変った現在でも言えるのでは、と思ったりします。

その後、寿退社されたようですが、初の女流パチプロとしてマガジン誌で活躍をされたねこプロさんを懐かしく感じられる方もおられるのでは、と思います。