びっくりするくらいパチンコに関係ない話なのだけど、少し前に体験した事を書こうと思う。ホントに関係なさ過ぎて申し訳ない。けど、個人的には面白い話だった。

どんな話かと言うと、近所の居酒屋で飯食ってる時、後ろのオヤジが「豆乳バナナハイ」を頼んでいたのである。繰り返すが「豆乳バナナハイ」だ。区切って考えてみよう。「豆乳」で「バナナ」で「ハイ」なのである。

耳をそばだててたわけじゃないけど、不意に聞こえてきたその単語に、俺は思わずガタッと立ち上がりそうになった。おいオヤジ、正気か……? と。

俺の中ではレモン以外のフルーツ系のハイは、基本的には女性の飲み物である。でもまあ甘いもんが欲しいときもあるだろうし、別に他の人が頼んでた所でなんとも思わない。しかし、バナナはちょっとカテゴリが違う。そして豆乳。これはもうイソフラボンだ。バナナかつイソフラボン。そしてハイである。

「……どうしたの?」

隣に座る妻が怪訝な顔をした。

「いや……あのオヤジ、豆乳バナナハイ頼んでてさ……」
「へぇ……」
「いや、豆乳バナナハイだぜ……?」
「うん。美味しそうじゃん」
「まあ美味そうっちゃ美味そうなんだけど、そういう話じゃなく……考えてみてくれよ。オッサンだぜ?」
「ンー。豆乳今流行ってるし、そういうのにビンカンな人なんじゃない?」
「イソフラボンにビンカンなオッサンとか嫌だぞ俺は……」
「いいじゃん別に人が何頼もうと……」
「でもさァ……」

俺は人間観察が大好きである。奇妙な行動をしてる人とかがいると、気になって仕方がない。豆乳バナナハイが「奇妙な行動」に入るのかどうかは疑義があるだろう。が、俺の中のセンサーは、たしかにピコンと反応したのだ。

(これは何かあるに違いない──)

気配を殺し、妻の話を聞きつつも、時折オヤジの様子を横目で盗み見る。やがて運ばれてきたT.B.H(豆乳バナナハイ)、オシャンティなグラスに白濁した液体が透ける。オヤジはそれを一口飲むやグラスを置いて、すぐに挙手した。店員さん、店員さん。そうして呼ばれてやってきた東南アジア系のスタッフに、こう告げる。

「濃いから薄めて」

一瞬固まる俺。体の奥底から、マグマのような熱い何かがせり上がってくるのが分かった。なんてこった──だ。豆乳バナナハイが濃い。これは新感覚の面白さである。ちょっと今までの人生で感じたことがない方向の、極めて斬新なツボだった。

「ちょっとまって……はるか……無茶苦茶面白い……」
「そう……? お酒が苦手な人なんじゃない?」
「そうなんだけど。そうなんだけどさ。そうなんだけど、めっちゃ……フフ……ウケる……豆乳バナナハイが濃い……ウフッフ……クスクス」
「そんな面白いかなぁ……」
「駄目だ……変な所に入った……ククク」

なにかにツボる。という経験は、年を経るごとにだんだん少なくなっていく。若い頃は今思うと全ッ然大したことない事でも、ヘラに一撃食らったように笑い転げる事が少なくなかった。大人になるにつれ、そのハードルはどんどん高くなり、やがてはどう考えても面白い事なのに上手く笑えなくなってしまう。あるいは、発作的に笑ってしまっても、衝動が持続しない。ハハ。で終わりである。刺激に慣れ、摩耗してしまっているのだ。

俺にとっての「豆乳バナナハイが濃い」という単語は、今まで擦った事がない斬新なツボであった。

苦笑する妻を尻目に、こちらに背を向けT.B.Hをちびちびと飲むオヤジの方をガン見する。外套は横の衣紋掛けに吊るしてある。オヤジは今、トレーナー姿であった。その後ろには英字プリントで何某か書いてある。視力があんまり良くない俺は、妻に向き直り、「オヤジの背中になんて書いてあるか読んで」とお願いした。

妻は面倒そうに背後を見て、そうしてちょっと顔を顰めたあと、こう言った。口元が微妙にニヤけている。

「……サザンオールスターズって書いてあるよ」

思わず鼻からビールを吹き出しそうになる俺。サザンは別にいい。俺も好きである。だが状況が悪い。ちょうど面白い単語持ってきた感じがズルすぎて駄目だった。

「もうだめだ……。これはもう……フフフ……」
「ちょっと……。辞めて。誘わないで……」

流石に妻もちょっと面白かったらしく下を向いて耐えていた。しばらくそうしていると、件のオヤジが席を立った。かばん等はそのままなので、おそらくはトイレかタバコだろう。どちらにせよ通路に位置する場所に座る我々の方に向かうため、くるりと踵を返す必要があった。咄嗟に視線を上げ、オヤジの顔を確認する俺。目があった。

「あー……ひろし!」

思いっきり知り合いだった。

「何してんの?」
「晩メシ食ってんすよ。○○さんは?」
「俺もメシ! ちょっとタバコ吸ってくるわ」
「あー……」

ちらりと妻を見る。行っておいで。アイコンタクトで許可を貰い、オヤジについて外へ出る。細く入り組んだ道に面した自動ドアの横にはスタンド灰皿が置いてある。喫煙所難民がまるでストーブで暖を取るようにそれを囲み、各々渋い顔で身を丸めていた。俺とオヤジもその輪に加わる。

「ねぇ、○○さん」
「ん? どうした」
「何飲んでるんですか」
「今? 豆乳バナナハイってのがあってさァ……。ちょっと頼んでみた」
「美味しいですか?」
「めっちゃ濃いんだよ、酒が」

東京に大雪が降った直後の事だった。寒風吹きすさぶ中、ガタガタ震えながら、へぇ、と返した。なんだろう。さっきまでめちゃくちゃ面白かったのに、勝手知ったる知り合いだとちっとも面白くなかった。知り合いが変なことする……という方向性のツボは、もうすっかり摩耗してるらしい。あくまで酒場で出くわした、ちょうどいい距離の奇人が頼むからこそ斬新な面白さだったのだ。生まれたばかりの新感覚なツボは、たったの3分で霧散してしまった。

「ちょっと味見したかっただけなんだけどさ。ああも濃いと……。そうだ、お前、飲む?」
「いやぁ……」

断りながら、この人が知らん人で、まだ俺がツボってたら、もしかしたら貰ったかも知れないなと思った。