パチプロに対して
「好きに打って生活するなんて楽でいいなあ」
とか
「遊んで暮らすのはズルい」
なんて思っている人が、世間には多いと思う。自分も面と向かって言われたことがあるし。
でもねえ、結局はアリとキリギリス。そんな甘い話がずっと続くわけがない。
そして、音楽を奏でている間のキリギリス状態でも、プロはいろんな歪みを抱えていて、ネガティブな何かに少しずつ侵食されていくものだ。

以前、自分よりはるかに長い期間をプロ一本で過ごしてきた現役の先輩に、言われたことがある。
内容はもう一人のパチンコ巧者(兼業)の方との比較。
「本当に巧いんだよ。ただ、我々と違って正業があるから、明るいよね」
これはその世界に身を置く者しかわからない発言だったと思う。個人的には「えっ、俺も兼業っちゃあ兼業だけど、やっぱり暗いかな」と苦笑いだったが、パチンコの負の部分を多く見てきたがゆえとも納得した。

その先輩曰く、プロの末路は悲しいことが多いとのこと。音信不通の行方不明はまだ良い方で、最悪のパターンも彼は知っているらしい。
自分もいつかは野垂れ死ぬ覚悟をしてこの世界へ入ったもんだけど、実際に聞くと心がキュッと握り締められる感覚になるわなあ。

今回はそこまで悲惨じゃないけど、自分が最初にそういう感覚になった話を書いてみる。笑い飛ばすようなコラムじゃないんで、苦手な方はここで引き返すのもアリですよ。

それは10年ちょっと前、東北の大震災が発生するより以前のことだった。
当時の自分は初代アグネスから始めた、左でひねって出玉を取るのが武器。ミドルも含めた海シリーズの店をローテーションして廻っていた。

その日も(プロはもちろん、一般のファンにすら評判が良くない)某チェーンでコソコソとハンドルを動かして稼働していた。
ほどほどに玉を出しながら、例によって背後に神経をとがらせていると、盤面のガラス越しに何やら見知った気配が…。

こういう時に振り向くのは良くない。ヤクいパターンもあるからね。
PCのフォルダを開くように記憶に照らし合わせ、その人を記憶から確認すると…。もしかして、自分が駆け出しの頃にブイブイ言わせていた開店プロの某氏では?

その人は沢山いた開店系の中でも、独自の立ち回りと見た目、出す結果で周囲から一目置かれていたツワモノだった。当時知り合ったプロと「あの人知ってる?」と聞くと、誰もが名前を知っていたくらいだし。

でも、なんか小さく見える。年齢的なものなのか、自分が別人と勘違いしているのか?
あの頃の凄腕プロが発していたオーラも感じられないし。
壁シマの中央あたりに陣取って立ち、ずっと打つでもなく、何かを探すわけでもない状態なのも違和感がある。
ただの見物人はホールに多いけれど、多くはある程度の時間観ているうちに去っていくもの。でも、その人は1時間経ってもそのまま動かない。

現役のプロならば、そんな無駄はしない。打った方がお金になるからだ。もし、彼が自分の記憶通りの人だったら、良い状況ではないだろう。ならば、気づかないフリをし続けるしかない。

結局、独り気まずい時間に耐えて、自分が少し早めに稼働を切り上げるまで、その人が動くことはなかった。
別人だったら笑い話でいいし、もし彼がパンクして困っていても、開店プログループに属したことがない自分に無心することもなかったと思う。万が一そうなったらそうで、若い頃に尊敬した分くらいは渡しても良かったし。後になればそう思える。
でも、その時は軽いパニックで、勝手な想像の中で胸が締め付けられる思いに何もできなかった。

すでに書いた覚悟の通り、自分もいつかはそうなる可能性がある。かつての知り合いにここで書いた思いをさせる可能性だってないとは言い切れない。
そんなことを考えると、プロってのも難儀なもんだ。こういう経験も一定の周期で巡ってくるし。冒頭で言われた暗さは、そんな負の経験の積み重ねが我が身に残したものかもしれない。

あんな思いはもうしたくない。同じ感情を揺さぶれるなら、涙を流すほどの嬉しさであってほしい。
けれど、この先も自分はそれに遭遇して耐えていくのだろう。それがプロを続けるということだ。