パチンコ屋での隣人との関係性が希薄になりつつあるな。普段からうっすらそう思っていた次第です。

ちょっと前に杉並区と世田谷区のホール跡地の活用方法について書きましたが、裏を返せばそれだけのホールがあったということ。徒歩圏内・最寄駅の中小店と、わざわざ電車に乗って大型店に行く人々では、何かあったところでコミュニケーションというか、会話の内容も違うと思っています。

近所のホールであれば、ほぼ毎日のように狭い空間で顔を合わせますし、相手も近所にお住まいの方のことが多いです。しかし、繁華街の大型店だと同じホールにいても会わないことだってありますし「お前、何中出身だよ」なんて地元トークも通用しません。まあ、私は小学校から通いだったので、そんな地元トークをできたことがないんですけど。

これはメリットとデメリットというか、向き・不向きのようなものがあるかもしれません。近所の中小店ならば、同じ文化圏にいる人が多いので、多少はアイデンテティを想像できる一面があります。もちろん、個人差はありますのでそこまで全幅の信頼はしませんけど。

逆に繁華街の大手店の場合、その労力を使ってまで来るほどパチ(スロ)好きの人が多いことになります。近所の中小店と比べれば機種単体の話をする率がアップします(当社比)。ただ、どのような育ちをしているか、どのような文化圏か分からないので、探り探りになりますかね。普段から顔を合わせる距離感でもないですし。

どちらのコミュニケーションがお好きとか、そこは個人差があることでしょう。でも、両方ともで思うのです。意外に悪い人は少ないな……と。

 

世間では、あまり良くないイメージを持たれることの多いパチンカスですが、こりゃヒドいと思うことは滅多にないのです。むしろ逆。怖がっていたけど、実はいい人(中身までは知りませんが)ということが多いのです。いや、その道を踏み外して酷い人はもいなくはないですが、それはあるあるではないので割愛させていただきます。

心がけているのは、先に“敵ではない”というスタンスを見せることですかねえ。例えばメダルが私の席の足元まで転がってきてしまった場合。私は下皿からメダルを取り出して、代わりの分として渡してあげてました。今はコロナなので臨機応変な感じですが。ええ、自分がされたことがあって、格好良いなと思って真似をしているだけです。しかし、メダルレスのスマスロになったら、もうできないワザになりますな(笑)。

そうこうして話すようになった方のほとんどは、他人の趣味を否定しないんですね。ギリ、上手い下手でマウントを取るタイプの人がいる程度。いいじゃん、目押しが苦手でも難しい機種にチャレンジする姿勢は格好良いじゃないですか……と、私は思いますけどね。

少なくとも。技術介入系がお好きな人でも、フル適当打ちでOKな台しか打たないオッサンとかをバカにするような人は見たことがないですね。自分とは違う趣味・趣向を持っている。他人の趣味・趣向を尊重する。そうでなければ、パチ(スロ)を楽しんでいるという自分の趣味・趣向も他者から尊重されない。潜在的にそう考えているのはあるでしょう。

って踏まえると、意外に優しい人が多いハズなんです。きっと。そこまで考えているか知りませんが、お互いに迫害されているもの同士なのです(笑)。

 

という綺麗な話だけではアレですので、メディアにおける隣人あるあるでも。パチスロライターの隣人、それはパチンコライターでしょう。

『あしたのジョー』だったっけかな。パチンコとパチスロで同時に発表されることがありまして、パチンコライターの方と発表会の会場に行ったことがありました。自分の試打が終わったので、パチンコライターの方を探したらまだ打っていたんですね。その姿を見て驚愕。

左手でハンドルを押さえたまま、右手でメモっています。体を捻って無理な体勢で書いています。しかも、無駄玉が一切飛んでいません。音に合わせてなのかなメモしながらストップボタンも駆使しています。変態です。

やはり、餅は餅屋。タダで打てる発表会場なんだから、ここくらいは適当に打ちなさいな。そうもツッコミたくもなりましたが、もう身に染みついてしまっているのでしょう。「私はパチンコを打つのは1万年早い」と思いましたね(笑)。捻り打ちとかどうこうの知識の前に、この姿で差を痛感させられました。