パチンコ店の開店前。指定時間の少し前に整然と並び、並び替え抽選に参加し、次の指定時間の直前に並ぶ、整然と。

いや~スマートになったものです、朝の並びも。でも昔はこんなんではありませんでした。タイムスリップし、昭和の並びはどんなだったか書いてみます。

時は1981年11月25日の木曜日。地元の街道沿いにア〇ロ店がグランドオープンを迎えます。学生だった私は文化祭の時期を利用して帰省中にて、18時オープンというこのア〇ロ店へはせ参じ、バイクを利用し大渋滞の車をすり抜け16時過ぎに到着。すでに店舗前には黒山の人だかり。

その人だかりの後ろに並ぶ、いや、正確にはただ正面入り口へ向いて重なるように人の後ろにへばり着いてる状態。入り口までは約40メートルくらいとかなり遠い。はい、ココでの注意ポイント。それは遠くても入り口の正面に並ぶこと。横から回り込めば入り口までは近づくけど、入り口が開けば人圧で横から入ることはできません。入り口の横幅からはみ出た人はもう、内側に入る事叶いません。

そして私の後ろにも人人人。すでにおしくらまんじゅう状態。駐車場も既に満車にて店の前の道路も全く車が動いてない。なかかな経たない時間ですが、やっと開店18時まで後15分前、10分前。待ちきれない人が後ろから押す。「押すな!」の怒号も関係なし。この押される圧力半端なし。ぎゅうぎゅう詰め。全く身動きできず。

そして「はよ開けんかい!」の怒号の中、18時を迎え、さらに後ろから物凄い圧力が。皆目が血走り空前絶後の喧騒の中、やっと入店するももう既に満席。というか通路も人ごみで歩けん状態。とりあえず好きだった羽根物グラマンがあるのを確認し、諦めて退店。

明けて翌日も18時オープンに対し、昨日の反省により開店2時間半前に到着し、人だかりの後ろにへばりつく。入り口まで20メートルと、これは台取れそうな感じ。そして長い長いおしくらまんじゅう状態を耐え、やはり「押すな!」「おりゃ!」の怒号の中ようやく開店。目指すは入って左側、グラマンの島。どうにか1台押さえる。ピカピカの釘、2チェッカー明らかに開いてる。

はい、面白いように2チェッカー入りまくり、羽根に乗りまくり、ゼロタイガーより大きめのVに入りまくる。ものの30分で出玉4000個打ち止め。周囲もそんな感じで、遊技者の後ろには次は俺が打つとばかり人立ちんぼ状態。

出玉4000個の箱は自分で運ぶ。しかしジェットカウンター前は長蛇の列。皆足元にドル箱置いて、足で押しながら進んでる状態。ニジリニジリと。

そしてサービスカンター前も同様。レシート持った人で行列。さらに文鎮持った人が交換所前にこれまた行列である。で、カウンター前で並んでる最中にマイク放送。「本日は19時30分をもって閉店させていただきます。」

はい、2台目を狙うなど到底できませんが、1台で十分ですね。そして換金を終えるその前に閉店時間。入店後、入り口近辺には脱げた靴散乱し、時には転倒し踏みつけられたり流血した人など当たり前にて自分の身は自分で守るのが当たり前な時代。店舗内外に飾られた花輪は1輪も残ってはいませんでした。

余談ですが、その後も勤務先と自宅の間にあったア〇ロ店。地域で初めての演者来店イベントとしてベ〇ツ小林氏を起用(もちろん拝見しに行きました)したり、その後もアメリカンドリーム、ビッグポーターや綱取物語、グラディエーター、アクダマンSP、アポロ1号、キャッツ、スーパーヤジキタ、江戸っ子源さん、浮世絵などお世話になりました。そして店舗別収支で2001年から2004年まで4年連続1位だったのですが、惜しまれつつ2004年に閉店してしまいました。

そしてそれから20年後、その跡地にできたセレモニーホールで母の葬式をすることになる、とは当時は思いもしませんでした。