私事ですが、先日母が亡くなりました。享年86歳でした。

父が亡くなったのは29年前。その時の喪主は母だったため、今回生まれて初めて喪主というものを経験しました。ということで、人生で最初で最後、であってほしい喪主のお仕事について見様見真似で行ったことを箇条で書いてみます。

少子化の現状、誰しも人生で1回は経験する可能性が高く、まだ未経験の方は参考にしていただければ幸いです。

1、認知症が発症し4年前から施設(サ高住)にお世話になっていた母。その間も何度か入退院を繰り返し、その都度予約入れた介護タクシーの運転手とも顔見知りに。施設との連携で、いよいよ食事ができなくなってきて、看取り入院が可能な病院へ送迎。

施設の退所手続きをし、預けていた物品全てを運び出す。お世話になったお礼、お礼品をお渡しする。最初の病院は入院期限があり、その後また別の病院へ送迎。兄弟へ、最後の面会のタイミングの伝達。子供へは、耳だけは聞こえてるのでできるだけ耳のそばで話しかけるように言う。ちなみに自宅での看取りは刑事事件性の調査が入るかもなのでできれば避ける。

2、病院との連携で危なそうなので来てほしい、まだ大丈夫の繰り返しで何往復も。なんせ1番最初は1年前に、もうダメと言われた。延命に関する医師との話し合いも。最期の日も、心電図0になり、復活し、ダメと言われてから12時間付き添い深夜に。そして死亡時間の決定、死亡診断書を受け取る。死亡診断書は複数枚コピーを取っておく。

3、会員になってた葬儀社へ宗派、お寺など事前連絡後、改めて来訪依頼の連絡。予め決めていた葬儀社の最寄りホールまで送迎してもらう。

4、葬儀社とお寺に連絡し、それぞれの都合をすり合わせお通夜、告別式の日程を決める。告別式の開始時間は斎場の使用予定次第ゆえ、ここでは仮りの時間。

5、市役所へ死亡届の手続き。新聞のお悔み欄へ掲載するかしないかの意志を伝える。斎場の使用予約を入れ許可証を取得。

6、親戚へ連絡。町内会への回覧板などの記載タイミングを調整する。

7、葬儀社と、葬儀の規模、種々の道具類の柄などの決定、家紋の伝達、お返しなどの品、食事時の内容、数の決定、決めていた遺影用写真、スライド用の写真や自筆の似顔絵、お供えなどを提出、受付など各役割分担の決定、僧侶の送迎方法、霊柩車の走行ルート、タクシー、マイクロバスの手配、依頼を受けたお供えの手配、お年寄りの親戚への送迎確認、喪服やシャツ、数珠、靴、ネクタイ、靴下の確認。

8、自宅に泊まってもらう親族への駅からの送迎、もてなし。喪主挨拶文(お通夜用、告別式用)の下書き、暗記。

9、お通夜の日の日中、湯あみに参加するため葬儀社へ。

10、お通夜では、家内とそれぞれ親戚、子供を乗せ開始70分前に到着し進行係と進行方法の打ち合わせ、受付係との打ち合わせ、僧侶との打ち合わせ。
僧侶の送迎方法の確認、決めていただいた戒名と、その由来を教えていただく。

11、訪問者への挨拶。お通夜では焼香などの最後に喪主の挨拶。

12、通夜振る舞い。子供へは、できるだけおばあちゃんの事を思い出して互いに話すように言う。

13、告別式の朝、葬儀社の方が自宅に来られ打ち合わせ、棚段作成。親戚、子供らを乗せ70分前到着後会場で進行係と打ち合わせ。受付との打ち合わせ。僧侶との打ち合わせでは、四十九日の日程の決定まで。また、位牌やお墓の文字入れについての打ち合わせ。

14、ご焼香などの後喪主、故人のエピソードを交え挨拶。

15、位牌を持ち、霊柩車に乗り、斎場まで。

16、使用許可証2通出し、赤ボタンを押し最後のお見送り。

17、葬儀場に戻り食事。かなり余ったのでパックに詰め込む。お花など自家用車に詰め込む。

18、自家用車に乗り合わせ、再度斎場へ。妹にはパックを自宅の冷蔵庫へ入れてから斎場へ来るようにしてもらう。

19、お骨上げ。後、お骨、位牌2つ、塔婆、お花2つを持ちお寺へ。

20、初七日の法要、送迎。まで終え、遺骨、位牌を運搬し自宅で堅苦しい喪服を着換えてまずはひと段落。

21、自宅訪問者への対応、喪服等をクリーニングに出す。保険証、固定資産税、市民税など市役所関係の手続き。家屋、土地の名義変更の義務化の話を聞く。銀行、保険、年金関係先への連絡。

22、諸経費の支払い。出生から死亡までが分かる戸籍謄本、全印鑑証明など要求された諸々を手配。

23、遺産相続に関する話し合い(急ではなく、事前に調整しておく)。協議書の作成。

24、法務局で相続登記を行う。四十九日の準備。

今の時代、ネットで情報が分かるのでまだ進めやすいですが、それでもひとり親や一人っ子などの場合、さらに大変。事前に葬儀社、お寺および宗派、家紋、そして分からない事の相談相手、が居る事が大事。そして1番大変に感じたのはやはり告別式の時の挨拶。どんな事を話したのか、書いてみます。

本日はご多忙中のところ、亡き母〇〇の葬儀にご参列頂きまして誠に有難うございます。遺族、親族を代表いたしましてご挨拶を申し上げます。

母〇〇は山あり海あり、自然が一杯の〇〇が生まれ故郷です。私も小さい頃は舟屋から船に乗せてもらうのが楽しみでした。中学卒業後は田舎を離れ〇〇に就職。そして教員をしていた父と結婚し〇〇に戻りました。

そして30歳の頃、父の両親のお店を引き継ぎ、50年以上に渡り朝7時から夜11時までほぼ無休でお店をしてきました。本当は先生をしたかった、商売は自分には向いていないと言いつつも祖父祖母の意志を受け継いでいつも愛想良く商売の道を全うしました。

朝はマンモス校の学生で戦争でした。繁盛した分いろんな学生がいましたが、〇〇のおばちゃんと慕われていたからこそ、店主が変わってもなお「おばちゃん、どうしとってや」の声が絶えません。店番なんて座ってるだけやろ、の声もありましたが、いえいえ、私も付き添った仕入れ先よりも安く販売してるディスカウントのお店への買い出しの量半端なく、飲料を10ケースとか、毎週物凄い量の仕入れをしたものでした。

店先にあった公衆電話の利用頻度が県1位となったり、タバコやパンの販売で優秀店舗賞を頂いたり、誰よりも沢山の笑顔を振りまいた、いつも笑顔の母あっての商店でした。本当にお疲れ様でした。

今後とも私たち遺族一同に対しましても亡き〇〇の生前と変わらぬお付き合いを賜りますようお願い申し上げます。本日は誠に有難うございました。