LTと呼ぶかラットリと呼ぶか──。私は「ラッキートリガー」と呼んでます。ちなみにケンタの事も「ケンタッキーフライドチキン」までちゃんと言う派です。マクドナルドは実はほぼ行かないのであんまし呼んだ事がないです。強いて言うならマクドよりマックになっているので、完全に東京に魂を売った大阪人となっているわけですが、さて

ヤだヤだと言いながらも、トンガリグラフを叩き出す等して、ラッキートリガーの恩恵にはあずかっていると言っちゃっていい・でっ・しょう。でも何となく感覚が麻痺して(きて)いる気がしています。つまりラッキートリガーを引いて連チャンしたとして1万発に届かなかった、もしくは1万発ちょいだった時に、心のどこかで「ガッカリする」ようになったんです。もちろん嬉しいですが「もっとイケたやろ」という気持ちが強くなっているような。私だけですかね?

これまでは「ちょうどええ」マイラインてのがあって、それが2,500玉プラスくらいになったら「やったあ」てな感じでした。1万発オーバーになると怖くなって、打ちっ放しにするクセは今でもあります。そこまで勝ちたくないって感覚。だのに「ガッカリ」する自分が不思議で仕方ない。

だんだんと勝利玉感覚が変わってきたって事なのかも知れません。すれっからしと以前に書きましたが「あいつ変わっちまったな」てなプレイヤーに、自分でも知らずなっちゃったんでしょうか。

こういった「麻痺」は大変危険であると思っています。私の場合に限っては依存症ではなく、所謂「脳汁」問題でしょう。もっと刺激をくれ!となっていくのならとても怖い。

ガッチャンコするハデハデ演出が大好物ですが、今後「え~?これ以上は無理っす」とメーカーがダウンする気がする。頭打ちってやつ。私は行き着くまで行ってゲームセンターのような個室ブース、4DXになってくれへんかなと未来のパチンコに期待しているわけですが、そんな設備を備えたとて、喜ぶのはおそらく私だけでしょう。プレイヤーのココロを汲んで島の配置を工夫したとて閉店していくのだから。

痺れたいのに麻痺するって怖いじゃないですか?相反するものが浮かんできて、グギギとせめぎ合う。

 

そんでもリングの手落下に今でも「ひゃあ!」つって飛び上がって、全然落ち着かないでいるので、まだ大丈夫かも知れません。

ラッキートリガーの是非は今の私にはもうどうでもいい感じになっていますが、願わくばラッキートリガーを引かなくても楽しめる台であれとは思っています。

なぜ派手派手で行けと思っているかと言うと、パチンコを打ち出した頃に秋葉原のアイランドさんで打った経験からかも知れません。とてもとても楽しかった。あの時に隣で麻雀物語を飛び上がりながら打っていた男の子たち。パチンコの楽しさをフルで感じていたのを見たからです。マナーがどうこう、あのような客は今ではうるさくて「他のお客様の迷惑となりますので」と注意されるのだろう。それが悲しい。あの時の若い男の子たちの楽しむ姿を見て、迷惑だなんて思うヒトはいないと思うんだけどなぁ。楽しんでいて微笑ましかった。当たった時に思わず「おめでとう」と声をかけてしまった時は恥ずかしそうにしていたが、私が偽物語で苦戦しつつ当たった時にはおめでとうございますと返してくれた。それはそれは本当に素晴らしい空間で、これこそパチンコのあるべき姿じゃないのかなと思ったりしたものだ。

あれからアイランドには行っていないけど、今もあんな風に楽しんでる子はいるのかな。あの時に麻雀物語を打っていた子はもうアラサーだろう。大人の顔して打ってるかな。それとも出禁になっちゃったりして「ちぇっ」とパチンコから離れていったかな。

もしも私の願い通りに、個室になってプレイに没頭出来る状況になったとして、肝心の私が麻痺して地蔵プレイヤーになっちゃってたら、どうしよう。

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