池袋。メジャーな街ですが、それほど縁がなかったりします。私が生まれ育ったのは下北沢。山手線では左下の外側になります。新宿や渋谷まで電車で一本どころか、自転車でも無理なく行けてしまうくらい。子供の頃は、わざわざ池袋まで行く理由がなかったのです。友人とボウリングに行ったくらいしか記憶にございません。

大人になってから行く機会も増えましたが、それはもちろんパチスロ絡み。一時期、サミーの本社がサンシャインシティにあったのもありますが、レトロ台を打ちに行くことが多かったですね。その中でも異彩を放つホールがございました。

*ストリートビューのスクショです

西口というか、北口のロマンス通り。写真では左側にあるロサ会館の1Fにかつてあった「ビッグプレイ 池袋店 → スロットクラブ エスパス 池袋店」です。現在は、タイトーのゲームセンターになっていますね。ロサ会館とは、いまも健在の総合レジャービルです。映画館や居酒屋、ダーツにボウリングなどなど。そうです。私が池袋で唯一、記憶にあった建物であるロサ会館にあったのです。

 

 

○20年前は『アニマル』の名物店だった

*このホールにあったのは”えんじ色”パネルでしたが

私がこのホールに行くようになったのは、1998年あたりのこと。友人に教えられて……でした。設置台数はたったの44台の小規模店。そのうち30台以上が『アニマル』でした。機種の仕様などは割愛しますが、1988年に登場した2号機です。導入から10年も経った台を打とうと思ったら、そりゃ場所は限られるわけです。ま、新宿にも設置店はありましたが。

新宿の設置店と大きく違ったのが、設備と朝イチでした。『アニマル』は、当たりから何枚のコインを吸い込んでいるかが、立ち回りに大事な機種。新宿には設置されていなかった台上カウンタがあったんですね。また、朝イチには入場抽選があり“旗が刺さった台”も3台(等価になった1998年頃)用意されていました。全部が当たりではないでしょうが、適当に座るよりも高設定の確率は上がります。

台上カウンタがないのも悪くはないんですけどね。ずっと観察していれば、自分だけが狙い目の台を把握できますし。その気力がある日なのか、朝イチの入場抽選に間に合うのか。そんな感じで行くホールを選んでおりました。あ、そうそう。無職時代のことですが、もちろんこんなんで収支は出ませんよ。稼ぐパチスロではなく、趣味のパチスロの日の選択です。

 

 

○恐るべしチャイナネットワーク

このホール、常駐しているのはほぼ中国人の方々。ここの公用語は、広東語でした(笑)。

今から20年以上も前の話ですよ。彼らは最先端を行っていたと思わされます。抽選時間になると、30人ほどの仲間が来るのです。その大半は、パチスロを打つこともなく、抽選を受けただけで帰っていきます。当たりを引いたら打つ仲間に譲ります。いわゆる“引き子”ってやつですね。この時代から“軍団”のようなことをやっていたのですね。

広東語が飛び交う中、10年前の機種を打つというだけで常軌を逸しているのはご理解いただけるかと思いますが。なんせ10年前の機種。再販されることはありませんし、1台1台と壊れるごとに現役引退を余儀なくされるわけです。

そして補充されるのは(その当時の)今時の機種となります。これがまた、不人気だったんですよ。『アニマル』以外に設置せざるを得なかった数台は設定6。そんなこともザラにありました。それでも彼らは滅多に座らないのです。リプレイハズシなどの技術介入が得意でないというのもあったでしょうが、このホールに来たら『アニマル』を打ってこそ漢。そんな空気感がありました。

 

1999年の初め頃に『アレックス』が導入されます。その新装初日。彼らは早い番号を引いても、いつものように『アニマル』に行くだろう。ここ座れる確率が高そうじゃない? おまけに設定も望めそうじゃない?

なんて、行ってみたらビンゴもビンゴ。初日ということで設定の特定には至りませんでしたが、軽く5000枚を吐き出してくれました。

いや、実に怖かったです。設置されていた場所は、ガラス1枚を挟んで表通り。丸見えなわけです。そこに張り付く彼ら。「この台、出るんじゃん」と認識したらしく、空き台ができるとキープして打つようになります。囲まれてガラスの外からも内からも飛び交う広東語。視線の先は、私のドル箱。

 

景品交換所まで距離もあり。無事に帰れるかを真面目に心配することとなりました。この方々とも仲良しの知人を召喚して事なきを得ましたけどね。

こんなトラウマになるような出来事も加わり、池袋は私のテリトリーでないと今でも思っております。ドラマの「池袋ウエストゲートパーク」は、ノンフィクションとも思っています(笑)。