子猫かわいやかわいや子猫/あしの

我が家には猫がおる。名前は「ピノコ」というけど、柏の保護猫施設から貰ってきたミックスの女の子だ。貰ってきた時はまだギリギリで子猫と言って良い年齢だったが、今はもう4歳か。立派な中年だ。ただ、もとから骨格に少々異常があるせいか体がすげえちっちゃく、現在の体重は未だ2.5キロ。

まあ猫を飼ってない人に2.5キロつってもなかなかピンと来ないと思うけど、これは一般的なイエネコからするとまあまあ小さい。もちろんコレより小さい子も居る程度の小ささなので「ちっちゃ!」みたいな感じにはならんが、それでもこの小ささは彼女のアイデンティティの、かなり重大なポイントになっている。

さて、猫というのは古来より「幸運の象徴」あるいは「神」の依代とされている。

例えばヨーロッパの船乗りの間では「カギ型のしっぽをした猫」が舟の守り神として崇められていたらしいし、またエジプトにおいては、おもいっきり猫型の神である「バステト」がいる。本邦には「猫神」というれっきとした神様がいて、鹿児島にはそれを祀る神社がある。

あとはやっぱり、招き猫。これも火の玉ストレートで「幸運の神」といって良いだろう。

猫を飼ってみると分かるが、こいつらは可愛い以外にはそんなに取り柄がない。ただ可愛さのパラメータがはち切れておるゆえそれはそれですげえのだが、神様といっていいかどうかは微妙である。が、実際に信仰されたり祀られたり崇められたりしとるのでなるべくしてそうなっとるのは明白なのだが、その理由はもう「人類」が石器・狩猟の時代から文化的な成長を遂げて農耕になったのを考えるとすぐ分かる。

つまり、vsネズミの兵器としてだ。

たかだかネズミくらい……と思うかも知れんが、人族よりはるかに早いスピードで増え、そして一日に自分の体重と同じだけの作物を食い荒らすネズミというのは、これはもう古代においては最恐の害獣であったと予想される。これを退治するのには「やってきた最初の番(つがい)を撃破する」という以外には正直有効な策というのが無く、そしてそれに関しては、常に高所にて眠っていながら、物音を察知するや即座に飛び起き、そして闖入者を素早く狩る「猫」が適任である。

繰り返すが猫は「可愛い」以外の取り柄が全くない。飼ってみれば分かる。可愛さだけで生きてる生き物である。だが、「ネズミに悩む」という特殊な状況下においてはもうひとつ重要な役割ができるわけで。つまり、穀物庫の番人だ。

そして「可愛くて」「頼りになる」というのはもう、これはもう大正義である。

まあ古代の人類と現在の人類でどの程度の美的感覚の差があるのかしらんが、「猫が可愛い」と思う心は恐らくそんなに変化がないと思う。そのめっちゃ可愛い猫ちゃんが憎たらしいネズミを狩るわけだから、もはや神になっても何の不思議もない。

上で出した例で「船乗りの守り神」というのがあったけど、これも間違いなくネズミ対策だし、バステト神がいるエジプトなんかもナイル川流域はまさしく氾濫農耕(はんらんのうこう)が生み出された地域。つまり、ネズミ対策だ。

猫ちゃんは、われわれ人類の「農耕化」を支えた、めっちゃ大切なお友達なのである。

 

お前はいったいパチスロの読み物サイトで何言っとんだ、という声があるかもしれんが、まあ、聞いてくれ。

文化的に「猫」が幸運であるとか縁起ものとして扱われてきた経緯があるのはもはや説明の必要もないが、日本もご多分に漏れず招き猫があるわけで。まあこれ、今は「人形」や「焼き物」のイメージが強いけど、昔は実際に生きた猫をそういうふうに呼んでいたのだ。

大店や問屋。そういう所には必ず猫がおり、ネズミを狩っては旦那に可愛がられ、そうして店が繁盛すれば、「まねきねこ」として祀られてきた。おそらく初期の頃は招くのは「お客」であって「幸福」じゃなかったんだと思うけど、まあお店以外でも飼う事はあったろうし、より一般化していく上では「お客」を招くという概念より、より広く「幸福を」招くという方が都合が良かったんだろう。

こうして、ネズミ捕りのお役御免となった今でも、猫はなんとなしに、縁起の良いものとして考えられている。

で、幸福とか幸運とかいうと、我々ギャンブラーにとってはやっぱパチンコとかパチスロに行き着くわけで。何が言いたいかというと、ギャンブル好きって猫が好きなひとがめっちゃ多くない? という話だ。

ねえ、めっちゃ多くない?

なんか世間では犬の頭数と猫の頭数ってそんなに変わらないらしいのだ。ちょっと猫のほうが多そうだけども、それでも差でいうと10%は違わない程度。あんま変わらん。データ的にはほぼ同じなハズなのである。が、最近気づいたんだけど、筆者の周りはほぼ猫しかおらん。そして筆者がギャンブラーだからかもしれんが、みんなパチスロやる人だ。10%差なんてぬるいもんじゃない。猫が犬の15倍くらいいる。

なんかスタンド使いがスタンド使い同士と惹かれ合う、みたいな話で恐縮だけども、これってやっぱ「猫好きが猫好きとつながってる」というより、ギャンブラーがやたらネコ好きという説のほうが強い気がする。

何を荒唐無稽な……と思うかも知れんが、実は猫にはまあまあの確率で「トキソプラズマ」という寄生虫がいて、これはいわゆるキャリア(宿主)の行動に影響を与える「行動操作」の特徴をもっていることが知られている。

例えばハリガネムシに寄生されたカマキリは「魚に食べられやすくなるよう」水辺に向かう事がしられている。またロイコクロリディウムという大変に有名な寄生虫はカタツムリに寄生するやその目をグロテスクな模様に染めた上で「鳥に食べられやすくなるよう」、なるべく高所の開けた位置に行こうとする。

んで「トキソプラズマ」に関しては主にネズミに影響を与え「猫に対する恐怖心を和らげる」といわれている。ネズミに寄生したトキソプラズマの最終宿主は猫だが、中間宿主がネズミだからである。猫がネズミを狩る、というアクションがないと、連鎖のサイクルがストップしてしまうのである。

「猫を怖がらないネズミ」

一般にはこう表現されるけど、筆者はこう思う。「猫を愛するネズミ」だと。つまり、人類が猫をやたら可愛い可愛いと思うのは、これはもうトキソプラズマの影響なんじゃないかと、結構ガチで思ってる。そう考えないと説明がつかないくらい可愛いし、こんな生き物が地球上に居ていいわけがない、くらいのレベルで愛おしいもの。

さて。まとめる。

実は「猫を愛するネズミ」というのは、ネズミ的な視点から言い換えると「危険をいとわないネズミ」とも言える。トキソプラズマに感染した際の行動操作に関して、チェコの生物学者はこんな説を唱えている。

曰く、危険察知能力の鈍化。危機感の摩耗。

一節によるとトキソプラズマに感染しているひとは、してない人より2倍ほど交通事故率が高いらしい。そして現在日本のトキソプラズマ抗体率は44%ほど。つまり100人に44人くらいトキソプラズマに感染した経験があるわけで。何が言いたいかというと、これさ、もしかして「ギャンブルへの抵抗」も、これに関係してんじゃないかと思う。

つまり、猫を飼ってる人。あるいは日常的に触れ合う人はトキソプラズマの感染率が高く、行動操作により危機感が低下、それにより「金銭的な意味でのリスク」を軽視することになり、ギャンブルへの抵抗が失われる。

つまり、ギャンブラーが猫を飼ってるんじゃなくて、猫を飼ってる人がギャンブラー化する率が高いんじゃないだろうか。これ割と芯を食ってる説だと思うけど、どうかな? と、ピノコを撫でながら書いてます。ああ可愛や。可愛や……。ねぇピノちゃん。可愛いねぇ。

みなさんこれ、これ、どう思います?