6月某日。浅草の焼肉居酒屋にて──。

「この店この店。ここねぇ、レバーが旨いんだよ。ビール飲みながらさー、レバー喰って……。ああ、ナマは駄目だよ。表面はしっかり炙らないとね。怒らンないギリギリの脱法レバー……。へへ。すんませーん。二人なんだけど、空いてます? あ、空いてるって。いま片付けてるってさ。ちょっと待とう。しかし雨ひどかったねぇ。しっかり梅雨って感じでさ。ああ、俺昨日誕生日だったじゃん? 毎年雨なんだよ誕生日。だから誕生日の歌なんかもう、ハッピーバースデーツーユー……なんつって。へへ。あ、片付け終わったって。いこういこう。どっち座る? いいよ奥。んじゃ俺、こっち。アタタ。腰痛いんだよね。ヨッコイ……しょういち……と。ああ女将ィ! レバー二皿。あとビール……。君もビールでいい? レモンサワーがいいの? ここ生レモンサワーあるよ。俺絞ってあげるよ。じゃあ生レモンサワーお願いします。あと灰皿と、それからレモン絞ったあと捨てるやつ。レモンのいレモン? なんつって……。へへ……へへ」

「ねぇひろし……」

「なんだいはるちゃん」

「なんかさ」

「うん」

「ダジャレきつくない?」

「え、うそん? ダジャレ言ってた? 俺」

「うん。連発してる」

「そうかなぁ……。俺ダジャレなんか言ってないよ。嫌いだし。誰だよダジャレとか言ったやつ。ダジャレを言ったやつはダレジャー! なんつって。へへ……」

「それ!」

「えっ」

「それさあ、気をつけたほうがいいよ。ひろし物書きなんだから。ダジャレに逃げちゃだめ」

「そんな酷い?」

「うん。出会った頃から確実に酷くなってるよ。なによ……よっこいなんとかって……」

「ヨッコイしょういち?」

「そう。誰よ」

「横井庄一さんだよ。恥ずかしながら帰って参りました!って。ガムで見つかったおっさんなんだけどさ……」

「ガム?」

「ガムだよガム。島だよ」

「あーグアム? あーもーグアムをガムっていうのもオッサンくさい! どうしたのひろし……! 正気にもどって!」

男はこの日、徹夜明けであった。三の酉で顧客倍増の願掛けがてら熊手を買ったものが効きすぎたのか、最近矢鱈滅ッ鱈に忙しく、物書きに明け暮れておるのである。嬉しい悲鳴でもキィと鳴ればまだ良かったが、予てからの怠惰な性質が災いし、忙しくなればなるほど目の前の業務を放棄し外に出る。やがて業務は積み上がり、賽の河原の差し込んだ、年季の入った卒塔婆の如く聳える風情。いよいよ背丈まで積まれたそれを前にして、泣きながらひとつこなしては誰のためだとか、ひとつこなしては誰のためだとか。夜な夜な作業をするうちに、脳がどうにかなった。丸めると、自分で蒔いた種から芽吹いたトラブルを解決するため、睡眠時間を犠牲にしてヒィヒィ呻っているだけなのだが、そうするうちに、男はすっかり脳を使わずに省エネな会話をするようになっていた。事実このとき、男は何も考えていない。脊髄反射で喋っているだけである。眠いからね。

「ンー。ちょっとねぇ……。眠いんだよね。眠いとダジャレ出てこない?」

「出て来ないわよ……」

「そっかぁ……なるほどなぁ……」

「ほらー、なるほどなぁっていうの、もう既に何も考えてないもん」

「いやーすまぬすまぬ……。しかしさー、なんで何も考えてないときってダジャレ出るのかね」

「なんか前にテレビでやってたけど、適当に浮かんた言葉をつなげてるだけらしいわよ。だからダジャレって脳が劣化した人がいうんだって」

「えー、出島ァ?」

「ほらッ。それッ!」

「ホンマや……。スッと出てきた。脳を経由してないわ今の」

「駄目よほんとに……。物書きなんだからもっとセンスのあること言って」

「すみまセンス……」

「もう茶魔語じゃんそれ! コラッ!」

「へへ……。でもさ、ふと思ったんだけど、これ応用すると仕事楽になるんじゃないかな」

「どういうこと?」

「だから、脳を使わなくても原稿書けるゾーンみたいな。そういうのがあるといいと思うんだよ」

「ダジャレを原稿に応用……!」

「そう。だから、ヨッコイしょういちみたいなさ……。なんか万能なワードをさ……」

「万能ぉ……? めちゃくちゃシーンが限定されるわよそれ……」

「なんかねーかな。パチスロダジャレみたいな。なんだろうなぁ……」

「パチスロは私わからないけども……」

「うーん……。パチスロで絶対使う単語ってなんだろう……。ああもう、脳使いたくねぇなぁ……。レバー来たよ。食おうぜ……。ちゃんと焼いてね……。ええとねぇ、そうだなぁ。ング……ンマ……旨いなレバー……。女将ィ! ビールおかわりお願いします。……そうだなぁ……。なんだろうなぁ……。えーと……ハサミ打ち……ハサミ打ち……」

「早く決めて! 瞬発力!」

「あー……。じゃあハイ。決めた。はるちゃん、面白いか判定して」

「わかった」

「いきます。……ハサミ打ち田の……裕也の……口癖の『シェキナベイビー』は『ツイストアンドシャウト』の歌詞です。へぇ!へぇ!……これへぇボタン押すまでがセットね」

「……面白くない」

「だめか……。じゃあ……ハサミ打ち田の……有紀のデビューシングルは『天下とろう』……で、たしかサブタイトルは『世の中甘いよ』だったとです……ひろしです……。あ、俺ほんとにひろしっていうんだよ?」

「知ってるわよ。でも今のちょっとおもしろかったかな」

「出島! じゃあ……ハサミ打ち田の……春菊の……」

「内田はもういいじゃん。なんで内田にこだわるの……」

「えー……。じゃあもう何もない……。はるちゃん考えて……」

「だからパチスロわからないってば……。てかレモン絞ってよぉ」

「あーごめんごめん。そうか、でも俺いま腱鞘炎でさぁ……」

「なんで生レモン頼ませた……!」

「そうだ、スロじゃなくてパチンコだったらダジャレあるかもよ。例えばそうだな……うーん……ええと、右……右打ち……右打ち田の……ああ駄目だ、もう内田が出てこない……」

「内村がいるよ。内村光良とか」

「あ、内村さんいいね! じゃあ右打ち村のてるよしは……、若い頃ジャッキーチェンのものまねネタを正月にやってたんだけど、あの番組なんで終わったんだろ?」

「あー、かくし芸大会でしょ? あれ子供の頃楽しみだったんだわたし」

「ね。だいたい正月の2日に親戚がきてぐわーっとお年玉もらえるからさ。あの番組見ると『もうすぐもらえる!』ってなってたもんなあ。マチャアキのテーブルクロスはすげー地味だったけど、なんか周りがすげー持ち上げてて子供心にモヤモヤしたなぁ……」

「ね。ちょっと分かる。ほら、レバー食べよ?」

「うん! ええと、右打ち田……打ち田……」

男は脳を使っていない。が、嫁もまた脳を使っていない。省エネな夜は、こうやって更けていくのだった。