今回の共通テーマは随分前に私が提案をさせていただいたものです。幸せ、と言ってもコレ!という決定打などではなく、思い返せば、という感じです。

私が新社会人になって初めて就いたのが、大きめスーパーの中の玩具販売員でした。その時の主任が自分に甘く部下に厳しい香水プンプンさせた完璧主義者だったため、毎日のようにストレスを感じていました。そしてそのストレスの発散をパチンコでしていました。

多分、パチンコをしていなかったらとっとと辞めていた気がします。やがてプンプン主任が転勤し代わって自分が主任になった後も、いつもサービス残業当たり前、22時超えたりめちゃくちゃ忙しい環境。それだけ物が売れる時代だったので、それに比例してお客からの理不尽なクレームも多かった。

特に、安価な自転車の特売や、七段飾りなどひな人形の販売でのクレーム半端ありませんでした。「お前のトコで買った自転車パンクした!こけて破れた服弁償しろ!」「ひな人形のガラスケース割れてた!お前んとこはどういう運送をしとるんじゃ!」仕事はクレーム処理と1階と5階にあった売り場の往復つまり階段駆け上がりが主でした。

TVゲームソフトは毎週多くの新製品が登場し、常にそれらをいくら売れるか予想して発注します。1週経って売れ残ればゴミ、不良在庫。なのでこの緻密な発注はお昼休みに自腹で購入する専門誌をにらめっこして行っていました。なので実質のお昼休みは15分間くらいだったかな。少ない貴重な休日に、取引先在庫切れのお客からの注文商品の購買に3時間かけて京都市内に行ったり、仕入れ先の大阪までジグソーパズルやプラモデルの仕入れに行ったり。

己が注文したTVゲームソフトや、そうまでして仕入れた商品は売れるという絶対の自信がありました。しかし、子供の人口が減少してるのに関わらず昨年を上乗せした予算は未達なことが多く、またアルバイトらのレジ違算も繁忙に比例して多くなり、ストレスに拍車をかけるものでした。

まだまだ昭和の時代のモーレツ先輩社員が多い環境。入社前の面接で「訪問販売とかはないのですか?」の問いに「ありません」の返答でしたが、とんでもありませんでした。入社して間もなく、当時の主任連中がS家電メーカーのA隊(訪問販売に特化した隊)の道場へ2泊3日で強制入隊させられました。そこで最初に受けた指令が「蟻になれ」だったとのことでした。

つまり、洗脳教育ですね。その後、洗脳された主任連中主導で、S家電製品を3か月で1人45万売ることがノルマにて毎朝「キョウツケ!ヨシ!構えて!やらねばならぬ、訪問販売!売って売って売りまくれ!」とか掛け合いコールが強要されました。

「声が小さい!」怒号飛び交いました。大人しい私など、こういったのが嫌で嫌でしょうがありませんでした。

その他にも、宝飾フェア、スーツのイージーオーダーキャンペーンは年2回のノルマ販売がありました。バックヤードの従業員用通路にはその都度ノルマ達成状況グラフが張り出されました。私個人が達成してもまだダメ。私を責任者としたグループ全体予算達成して初めて赤いバラが付けられるアレです。こんな田舎で宝飾製品など需要があるハズもなく、ネックレスを母親らへプレゼントなど、少ない給料から賄うのが当たり前でした。自分の仕事用の服は全て高価なイージーオーダーとなりました。

さらに、お中元、お歳暮やクリスマスケーキについてもノルマがありました。ケーキは1人12個のノルマでしたが毎年全て購入することで達成しました。クソ忙しい12月23日に12個持って帰って時には真っ暗な雪道を親戚らに配ったりしたわけです。

こういったノルマ販売が嫌で辞めた人も数知れなかったのですが、私がどうにか続けられたのは、副業的な収入があったからに他なりません。つまり、パチンコの収入があったからでした。

そして1992年。ブラボーキングダムの攻略ネタを知って、お昼休みの環境が随分変わりました。つまり、パチンコは好きだが負けるので遊び程度だった他の従業員にその攻略ネタを伝授して、私の周りにパチンコ仲間として集まるようになり、お昼休みが楽しい時間となりました。

「昨日はこんなことがあった」「まだあの店はイケル」などの情報交換で盛り上がりました。ブラボーキングダム攻略が終焉した後も、スカイキッズ攻略ネタなどパチンコ仲間との交流は続きました。

そして年月は流れ、店長任命時つまりパチンコを打つ時間が無くなることになったり、通勤での自家用車の駐車についてお店から1番遠い所に停めているのに関わらず、会社が駐車料金を摂取するようになるなど、もろもろの不条理を感じるようになった機会に退職。その後の転職先の「うちに来ない?」も、この時のパチンコ仲間からでした。転職先で初出社した日になんと3人の方々が「パチンコ上手いんやって?どうしたら勝てるん?」と近寄ってきました。

その後もパチンコ仲間は増える一方となり、仲間が多いということは仕事の上でプラスにしかならず、やがて会社の取引先の方ともパチンコが縁で親しくなったり、仕事が上手く潤滑していきました。

新社会人になった当初から、ブラックそのものな環境で長きにわたってストレス抱えてきた年月を経て、いわばパチンコのお陰で「あの頃は大変だった」と昔話を笑い飛ばせるようになった今を幸せと言わずして、となった訳です。

もちろん、ネット環境が整ってきたことで、会社を離れても全国にパチンコ仲間ができて足繫くオフ会に参加し交流を深めたり、遠征連れパチしたり楽しい時間を共有できたのも幸せなことでした。

ちなみに、貼り画は今は転職されていますパチ仲間のお一人からのご依頼で描いたもので、現在でも大阪遠征の際はそちらのパチンコ情報を教えていただいています。