早く書けば、それだけ締め切りから解放されるものの、早く書きすぎるのも如何なものか。前回のコラムですが、私のPC内のエディタでは最終更新日が5/17となっておりまして。「やらかした、1回すっぽかしたか」と慌ててしまいました。今回は公開週に書いているので大丈夫でしょう(笑)。

ということで、6月のテーマから。「パチスロが運んでくれた幸せ」って、月並みではございますが、私にとっては人生そのものなんじゃないかなと。

サラリーマンを辞めた時に、自分を振り返ったりいろいろと悩む時間とお金を作ってくれたのがパチスロで。妻は、そのホールで打っていた人ですし、その妻経由で知り合った人から紹介されて今の仕事になっていますし。パチスロがなかったら、まったく違う人生となっていたでしょう。

それと比べて、幸せなのかそうでないかは知りませんけど。後悔がないとは言いませんが、後悔しない覚悟だけは持っているつもりです。比較して幸せでなかったとしても、それは業ってやつです。

少なくとも。上手いか下手かはさておき、文字を書くのが好きなんですね。パチスロと出会っていなければ、それを生業とできていなかった可能性は高いでしょう。ブログやら何やら。文字は書いていたとしても。

 

 

その中でも大きかったのは、やはりサラリーマンを辞めた直後。いわゆるパチスロ生活者となっていた頃ですかねえ。特に時間を持てたことです。

世の中にはいろいろなタイプの人がいます。忙しくスケジュールを詰めていなければダメになりそうに思うタイプの方とかいますよね。その頃の私は、それとは逆に納得が行くまで立ち止まって考えたくなる時期でした。ホイホイと就職したら、ブラック企業のような環境でして。当時はそんな言葉はなかったですが。精神的にも動けなくなっちゃって退職したんですね。

 

その道の専門家でもないので正しいのかは分かりませんが。(物理的に家という場所だけでなく、社会的にでも)引きこもる傾向がある人って、単にマニュアルのような解決法があるわけではないと思うのです。結果的な事象が同じ「引きこもる」となるだけで、原因も解決方法も人それぞれだと思うのです。

これが最善の解決方法だったかは分かりません。就職支援などを受けられたらまた違った社会との接点の持ち方ができたでしょう。ただ、あの時の私には支援を受けるなどの“その一歩”を踏み出すことが難しかったです。再び前に歩き出すために、立ち止まって考える時間が欲しかったのです。一人で解決するには。いや、解決できていないかも。誤魔化せるようになるくらいでも。 

 

普通でしたら、立ち止まるにもお金がかかります。その生活は長く続けられません。ただ、幸いなことに。あの当時のパチスロは、時間が有り余っている若者に優しかったんですよね(笑)。

そんなこんな。ピンチからの脱出(?)のための時間稼ぎから、後々の仕事まで。「パチスロが運んでくれた幸せ」は、私の人生そのものだと思っております。うん、こんな重い話を持ってくるなとか思われそう(汗)。

 

ま、こんな経験があったので。パチンコ依存症を治療するには、パチンコと切り離すことしかないなんて、声高に言っている人たちをどうかと思うんですよね。パチンコがなければ、その人は確かにパチンコ依存症ではなくなります。では、その人の生き辛さだったりはそれだけで無事に解決するのでしょうか?