パチンコ・スロットを嗜む者にとって、『“熱(アツ)い”』とは何なのでしょうか。
判りやすい例ですと、『大当たり期待度の高い演出が発生したとき』を指す場合が考えられます。
ですが、演出とは関係ないこと指す場合もしばしばあります。
例えば、「狙い台が思惑通りの挙動をした場合」や「大量投資からの逆転劇を演じて魅せた場合」等の『気持ちが昂る事象』も『熱い』と称することがあります。
更に言えば、「恒久的な熱さ」もあれば、「瞬間的な熱さ」なんかもあり、言うなれば、十人十色の感覚。
ちょっと格好付けた言い方をすれば【打ち手の思いの分だけ『熱さ』がある。】ともなりますし、この統一テーマ『人生で最も“熱い”日』にまつわる各ライターのコラムを読んでいただければ、あらゆる熱さを目の当たりにしていただけるかと思います。
勿論、不肖わたくし、K.S.Yukiにも、忘れ得ぬ『熱さ』があります。
今回は、そんな昔話にお付き合いください。
今でこそ、悠遊道の末席に身を置いてパチスロ実戦記を投稿するような状況となっていますが、当然ながら「ビギナー時代」がありました。
時は、4号機時代後期。
当時の私は、目押しもおぼつかないどころか、知識すらもロクにないまま、ただ【運】を頼りに、パワープレイ的な実戦を重ねていました。
そんな私が打ち込んでいた機種ですが、パチスロ機史上最大のセールス数を記録したモンスターマシン「北斗の拳(Sammy)」でした。
ビギナーである頃の私でも好んで打てたのは、当時は特異な仕様と言われていた【AT+REG】の【高継続連荘】と言うゲーム性のおかげでしょう。
大量獲得機や技術介入全盛期を体感していないからこそ、ある意味で北斗の仕様が単純に感じたと言うか、初心者の思考でも判りやすかったんですよね。
また、連荘率も67%・79%・84%・89%と、若い頭で都合の良い皮算用をするにはもってこいの数字だった。と言うのも一因でしょう(笑)
そんな理由から本機への熱量が高まり、実戦を重ねていくにつれ、徐々にではあるものの目押しが上達してきたり、台の良し悪しが何となく判ったような気になったりと、徐々にスロッターらしさが身についていきます。
ですが、どうしても越えられない壁がありました。。。
それは、自分の周りに居るプレイヤーが北斗の連荘自慢をしている際に、必ず耳にした「昇天」と言うフレーズ。
勿論、北斗打ちなら誰もが目指すであろう「ラオウ昇天」です。
バトルボーナスが20連荘以上継続した後の連荘終了時のセットで発生し、この演出によって「連荘が終わる」と言う状況を「達成感」に昇華させると言う、まさに天才的発想であるとともに、原作の名シーンを無駄なく活かしているという意味でもスロ史上で語り継ぐべき演出だと思っています。
そして、この「ラオウ昇天」の回数や、そのときの継続セット数の自慢が、北斗打ちとしてのステータスともなっていました。
ですが、北斗以外はほぼ打っていないにもかかわらず、私のラオウ昇天暦は仲間内で唯一の「ゼロ回」…。
実戦での勝率や平均連荘数については文句なしだったのですが、何故かラオウを天に還すことだけが出来ませんでした。
そんな悔しさから、更に北斗実戦が増えることになるのですが、目的を見誤った実戦が結実するワケもなく、勝率は不安定に。
また、当時は今以上に薄給でしたので、負けが重なると実戦自体が困難となり、結果として、ラオウ昇天が更に遠のく。と言う悪循環に。
勿論、その状態に陥るまで、そう長くはかかりませんでした。。。
また、一部の知人から「北斗プロ」とまで言われていたが故に、この状況は屈辱でもありました。。。
そして、気付けばホールから足が遠のき、仕事とバンドの忙しさも相まって、北斗を打たない日が続くこと数ヶ月。。。
とあるタイミングで、ホールに足を運んで数ヶ月ぶりに北斗と対峙する事に。
ぶっちゃけてしまえば、仕事がヤマを越えたタイミングと当時のバンドが解散したタイミングが重なり、ヒマを持て余していたんですよね(笑)
そんな適当な切っ掛けで、何の気なしにスロットを再開したのですが、久しぶりの感覚に「愉しい~♪」となる事は無く。。。
むしろ、打てば打つほど過去の記憶が甦り、そう言うときに限り、初当たりにも連荘にも恵まれず、苛立ちも投資も増す一方。。。
そんな実戦の中で射止めた、幾度目かのバトルボーナス初当たり。
これが継続率に恵まれていたのか、順調に連荘を重ねることに。
で、人間の感情なんて単純なもので、バトルボーナスが継続するたびに溜飲も下がり、ジャギのように闘争本能剥き出しだった気持ちも、やがてトキのように穏やかに(笑)
それが奏功したのかは判りませんが、遂に訪れたこの瞬間…!
2006年の1月下旬のある日、ようやく北斗打ちとしての壁を越えることが出来ました。
と言うことで、私の中での『人生で最も“熱い”日』は、「初めてラオウを天に還すことが出来た日」となります。
勿論、北斗においてこれ以上の連荘や出玉を記録した実戦は多々ありますし、その後のスロ実戦の中にも色々なドラマはありますが、「初めて打ち込んだ機種で壁を越えた際の感情の昂り」は、10年以上が経った今でも忘れる事はできません。
ちなみに、今回の題材の候補として「悠遊道への参加」や「(悠遊道関連の)親睦会」あたりも考えたのですが、それは敢えて言うまでもなく読者の皆様には伝わっているかと思いますので。(笑)
また、余談なのですが、前述のリザルト画面の写真を探す為に、昔使っていたガラケーのSDカード内を漁ったのですが…
初昇天から2日後に、あっさり2度目の昇天を決めていたのは、ココだけの話。と言うことで…(笑)
そして、今回は過去を振り返って『“熱い”日』を語らせていただきましたが、いつかこの悠遊道での実戦記で、初のラオウ昇天を超えるような『“熱い”日』を届けられるよう、邁進して行く所存です。
と言ったところで、K.S.Yukiの『人生で最も“熱い”日』を〆させていただきます。
(K.S.Yuki)