筆者がホールに通い始めた始めたのは西暦2000年手前くらいの時分だ。

当時の世間はまだケータイ文化が隆盛を迎える手前くらいの感じだった。そもそもモバイル機器を持ってない人もまだ全然存在してたし、個人用のPHSもまだ普通に現役稼働中だったと思う。それだって当時は大変な進化だったけど、今とは違ってデータ通信は当然テキストベース……画像なんて重くて受信してられないので、ネット上で有益なパチスロ情報を得ようと思うと、まともなサイトは立ち上げ当初の「HAZUSE」くらいしかなかった。

だので当時、パチンコやパチスロの情報を扱うメディアの王者はダントツで「ガイド」や「マガジン」や「必勝本」のような紙媒体だったし、そこには「お金を出して情報を買う」みたいなプレミア感みたいなのが多少なりとも存在していたし、なんだかそれを購入して家に置いとくだけで、ご利益みたいなのがありそうな気すらしてたもんである。

時を経て現在。

必要な情報は3クリックルールよろしく、最低限の労力で簡単に手に入るようになった。森元総理が危惧してたデジタルデバイドは何のことはない、受け手のリテラシーの垣根をぴょんと飛び越え、極端まで敷居を低くすることではじめから存在しませんでしたみたいな、何のために税金をかけてIT振興券を発行したのかよくわかんないレベルで圧倒的な杞憂に終わった。今や猫も杓子も犬もホネッコも、それこそ小学生から爺様まで。知りたいと思った情報を秒でゲットできる時代になったのは御存知の通り。30年前には想像もしてなかったし、それは戦時中に防災頭巾被ってたお母さんがカラーテレビの登場を予想しなかったのと同じだと思う。

ただまあ、受け手と情報ってインタラクティブなものじゃなくて往々にして一方通行であり、方向性が明確なだけに主観的な取捨選択が自由なものであったはずだ。一方的に伝えられるものである代わりに、真偽の判断は受け手が負って然るべきもの。その一点の於いて「受け手」と「情報」の立ち位置は平等であったし、またその一点において、受け手は正しい情報に価値を見出していたように思う。少しでも取捨選択の選択肢を増やすための努力。昭和の大人はみな本質的に耳年増であったし、そうあろうと努力していたのだろう。

要するに、情報にはそれを得る為に労力を割くべき価値があったはずなのだ。

ところが。だ。インターネットで何でもかんでも手に入る時代において、びっくりするくらい変容したのが我々利用者側の意識の変革だ。言うなれば知りたい情報を知る喜び……みたいなのを感じる余裕が、当時と比べると明らかに減退してると思う。雑学やモノの知識はネットで手に入る無料のもの。しかるに本屋でもってオビの煽りや題名を見ながら10冊・20冊とレジに持っていき、知識のソースを蓄える……みたいな「知のシメシメ感」というか「俺はお前より物を識(し)ってるんだぜ」みたいなドヤ感を。今の若者は多分知らんと思う。一昔前の我々が、得ようと思えば得るチャンスがあったはずの優越感を、永久に失ってしまってるのだ。なんせ電子の海にたゆたう借り物の知識でなんでもなんとでもなっちゃうからね。

知識のコンビニエンス化。これはまあ悪いこっちゃないんだろうけど、受け手側の意識がそれに合わせてフニャフニャになっていくのはあまり良くない。情報には大した価値はなく、いつでもどこでも簡単に手に入って当たり前のもの。なんなら無料で、必要な時に必要な分だけ手に入っちゃう。過不足無くね。土日祝の制限なく。24時間いつでもだ。

……言うまでもなくそれはインターネットに依存した甘えなのだけど、その甘えに気づくタイミングというのは実のところ現代人の我々にとってはあんまり「無い」。だって手元のスマホで必要な情報がソース付きで手に入るから。そしてそれを堕落だ堕落だと避難するのもまた無意味である。なんせ時代がそうなっているから。だのでみんな気にせず、必要な情報を必要な時にゲットして活かせば善いのである。むつかしい事を考えることはないし、テクノロジーに依存すればそれで世は事もなし。万事オールオーケーだ。ビバ・インフォメーション・テクノロジーである。

が。先日めちゃくちゃムカつくことがあった。

楽天モバイルである。嫁さんに誘われるまま、何ヶ月か前に我がSIMカードも楽天のそれに変更したのだ。しばしの間、基本料金が無料だからである。それまでauで毎日1万くらいかかってたのが無料というのはデカすぎるアドヴァンテージなので「おいおいまじかよ三木谷すげーな」と言わんばかりの勢いでファッと乗り換えたのだけども、びっくりするくらい使えねぇのである。

否、楽天の名誉の為に言っとくと、無料のサービスとして考えると全然良い。我が住処がある浅草でも普段は普通に使える。のだが、コロナ禍が何となくアレして人がまた増え始めた現在、どういう理屈か知らんがアンテナ立ってんのにパケット通信出来ねぇという事態が頻発しておる。アンテナ設備がパンクしてんのか知らんが、これはJ-PHONEからソフトバンクに切り替わった頃にも体験したことだし、なんせロハとなるとその辺もまた織り込み済みではあるのでその辺は鷹揚も鷹揚。タダなんだからいいんだよこんなもんバカタレがみたいな感じで使ってたんだけどもね。

ただこれ、最近パチスロ打ってる時に同様の状況になってマジでアッタマ来た次第。折しもシルバーウィーク。浅草には大量の観光客がアフターコロナアフターコロナといきり立ちつつ押し寄せておった。まずまだアフターコロナじゃねぇからなというツッコミもあると思うけども、実際人がめちゃくちゃ増えてるんでそこはもう仕方ない。ただ間違いがないのは楽天モバイルのデータ通信が死んだことだ。

パチスロ打ちながらスマホが使えない。

これ、初めて食らった状況だけど引くくらいのハンデである。初めて打つ台を打ってたというのもあるけど(打つなよ)設定推測も怪しい。やめ時も分からん。しかもやってたのが6.2号機というのもあって、有利区間リセット後やらスルー天井やらの挙動も分からん。んでまあまあアウトがデカくなった状況で「おいおいスマホ使えねえじゃねえかよ」と気づいたんだからタチが悪い。

その状況で筆者が思ったのが、まず「三木谷ふざけんな」であり。その直後に思ったのが「でもこの状況が当たり前だったよね」という感想だった。

これ、昔は確かに事前に勉強の上で雑誌やら手書きのメモやらを持ち込んで打つのがデフォであって、空手で挑むというのがそもそも粗忽モンだった。その辺のフェールセーフは自身で用意するべきもので、インフラのせいにするというのがまさしく堕落以外の何者でもない。これも「情報」の価値が下がってしまった事により、相対的に優先事項が低下してるという何よりの実体験だと思った。なんとでもなるべよ機種情報くらいさ。みたいなね。これはアカン。馬鹿である。

差枚数でマイナス400枚程度。一時は1200枚ほど飲んだ台がちょっと返してくれた。周りの台の挙動からみると決して悪くはない。ていうかチャンスゾーンの突破率は群を抜いてると思う。隣の台はチャンスゾーン自体の初当たりがすげー軽いけど、設定差が分からんのでなんともいえん。とりあえず終了画面等の示唆が確認できないのが非常にキツイ。状況的に1つくらいは高設定を入れてくれそうなんだけども、筆者の台か隣か。どっちだこれ……──。

結局、14時頃まで打って筆者はその機種を打つのを辞めてしまった。辞めた理由は「自分が高設定をツモってる自信が無かったから」というなんとも頼りないもので、ある程度ぶっ込んだあとにこういう根拠がハッキリしないヤメかたをするのは久々だ。朝並びの時点ではスマホは使えてたので、おそらく昼頃に浅草に人が増えた段階でアンテナ設備の許容量をオーバーしたんだろう。だがそれに関してももう、情報の価値を低く見積もってスマホに依存してた筆者のせいである。

自宅に帰りちょっとフテ寝して、夕刻にデータサイトをみると筆者のが打ってた台は+2000枚ほどまでV字回復していた。隣のライバル台は2度連続で有利区間を完走して+4000枚ほどである。両方とも6の挙動じゃないっぽいしヒキの影響もあるけど、ただその店がその日はめっちゃ強い特定日だったのもあって「打っときゃよかった」みたいな後悔がぐわっときた。

断言するけど、数字が悪かったとしてもスマホが使えたら筆者はその台を追ってた。

要するに、ただ「スマホが使えない」という状況がイヤで辞めただけだし、それは正直、事前の勉強が足りないだけだった。んでこれ、スマホ台頭前にはまずありえなかったヤメ方である。つまり、筆者はもうスマホから得られる情報に、どっぷり依存しちゃっておるのだね。

考えても見れば「パチスロを打つ」というのと「スマホで調べる」というのが、もうなんかぐちゃぐちゃに混ざってマーブルチョコみたいになっておる気がする。それはそれで全然いいんだけども、この十数年で、打つスタンス自体がまるっきり変わっちゃってるんだなぁと思い知らされた。いいか悪いかは知らん。これは両論あるだろうけど、知識そのものの相対価値がおもっきり下がってるのは、意図せずはっきりと理解できた次第。

何か知らんが、変な所で「うわぁ」と思った。