私が小学4年生の時、祖父母の居る家へ引っ越しました。歩いて1時間くらいの所にあった祖父母の家はパンやタバコなどを販売する商店をしていました。

お店の歴史は古く、創業100年近いと思われます。大正時代に郵便局に勤めた祖父。主に保険の仕事をしていて大きな商店に出入りした過程で、恐らく引き抜きに遭ったのでしょう。商店(現在はパチンコ店になってます)に転職し、老舗商店の娘と結婚して独立、そしてお店を構えました。最初はタバコ、文房具も扱う本屋さんからスタート。昭和11年当時の地域の地図にも繁華街に〇〇尚文堂とあります。地域で3軒あった文房具店で愛想がいいのはウチのトコだけだった、と古いお客が言っていたことがありましたね。その後、当時まだ周囲が田んぼしか無かった所にできた女学校の前に引っ越しました。扱いも本から食料品へと変更しました。

やがて、周囲に住宅が増えてお店の前の砂利道も舗装され、地域有数の幹線道路となりました。女学校も地域最大の生徒数を誇る中学校となり、朝はパンを求めて生徒さんが押し寄せ、昼間は常に車が複数台停まってるような繁盛店になりました。母親の代になり、朝7時から夜の11時まで開けていました。

まだコンビニの無い時代。目の前がパチンコ通りでもあり、夜10時以降も開けているのでパチンコ帰りの車が暗闇の中光を求めるように吸い込まれていきました。車庫の前にも停まったので、会社から、あるいはパチンコ店から帰宅してもしばらく車庫に入れない、のが普通でしたね。個人商店にしてお店の前に2台2台、道を挟んで2台の計6台停めれるスペースがあったのも大きかったです。

そんな家で育ちました、これも宿命です。パンには賞味期限というものがあります。期限切れたパンを捨てるのは勿体ない。なので家の者が食べます。朝食に白ご飯など皆無、中学生の頃から、朝、と昼はパン生活が当たり前でした。ウインナーとコロッケの入った調理パン、ねじりドーナッツ、また、外はチーズ、中はバターが入ったチーズトップがお気に入りでしたね。

夜もパンだった場合は、朝パン、昼パン、夜パン、朝パン、昼パン、のパン5連続なんてのも普通でした。

ウチで扱ってたのは進々堂(今はもうありませんね)。営業成績が優秀で、表彰されたこともありました。お店にあった公衆電話の使用頻度が県下一となったこともありました。

パン生活は社会人になっても続きました。休日にパチンコをする日もお昼になるとお腹が空くので抜きはしません。賞味期限の切れたパン(現在は山崎製パンです)を保冷バッグに入れて車に積みます。田舎なので移動は必ず車です。選ぶのは調理パンと菓子パンのペアのパターンが多いです。

最近は手作りのパン屋さんも流行っていてたまに食べると美味しいですね。でも宿命なので山崎製パンがメインです、賞味期限切れの。グルメになる訳にはいきません。

期限切れたパン置き場で期限日を見て、昨日今日切れたのは後回しです。もっと古いパンから。夏場などでもカビ来てなければOK(笑)。1週間経ったくらいでも無問題。これも、宿命です。1週間経ってもカビが来ない、加工にちょっと怖かったり。でも宿命ですから。

パチンコ店でお昼にちょっと休憩し、車内でパン食べるのが日課。トイレ休憩的短時間で済ませますので食事札を付けるほどではないです。

トイレ休憩にしてもそうですが、打っていて回りが落ちてきたタイミングで席を立つようにしてます。逆に、よいペースで回ってると食事タイムは遅めにしたりもあり。午前中のパチンコの調子が良ければパンも美味しく感じれればいいけど、実際は早く戻らねばの意識あり、その暇がない、かもしれません。

こういった食生活なので炭水化物多めとなり、けっして身体にいいとは言えないですね。せいぜい、飲料をお茶にして糖分気にして缶コーヒーは取らないようにはしてますが。

まあ、近年はコンビニが至る所に出来て、全国の食品を扱う個人商店の殆どが消え去ってしまいました。そして実家店も、その100年の歴史の幕のカウントダウンが始まっています。季節の演出として最近まで店内にひな人形を飾っていました(見出しのです)。でも、それで集客増えることは最早ありません。

明日の昼前も、パチンコ店の駐車場に停めた車内に、用意した保冷バッグには賞味期限あるいは消費期限がとうに切れたパンが2つ入っている、のです。