パチンコを初めて打ったのは1998年の1月3日のことだった。

なんでそんな細かい日付を覚えてるかというと、「お年玉貰って懐が暖けぇからパチンコでも行ってみるか」というのが初打ちの理由だったから。筆者には兄がいると方々で書いてるけどそれは母親の連れ子で、実家からしてみると筆者が長男。しかも父と母はとっくの昔に離婚して母兄とは別に暮らしてたので、戸籍はおいといて筆者は本家の一粒種として扱われていた。たかだか田舎の百姓の家でそんな大層な言い方をしなくてもいいんだけど、実際、田舎にいくと「本家の長男」というのはめちゃくちゃ大切にされる。なので筆者もだいぶ甘やかされていたし、お年玉も20歳までバッチリ貰っていた上、その金額も(親戚が多い分)まあまあデカいことになっていた。だので子供の時分から年に一度、お正月だけは「一人っ子でホントに良かった!」と全方位に感謝してたもんである。

そんなわけでまもなく19歳を迎えるお正月、筆者は人生で初のパチンコに行ったのだった。

その時の話は別媒体のコラムにも以前したためているので、暇な時にぜひどうぞ。で、初打ちの話。この時打ったのはニューギンの『ミルキーバー』という権利モノだった。初打ちで下手に勝ったのでこれをきっかけにパチンコにハマる事になった……といいたいところなのだけど、実際にパチンコにガッツリハマるのはほぼ二年後。1999年の暮れくらいからだった。実は1998年の時点で、筆者には「ちはる」という彼女がいた。付き合い始めたのは筆者が高2の頃。なので1996年の8月だ。当時童貞だった筆者は5つ年上のちはるちゃんにあらゆる意味で手ほどきを受け、ものすごく爛れた学生生活を送っていた。16歳の男子にとって「21歳の彼女」というのは、人生の歯車をベコベコに狂わすには充分すぎるくらいの破壊力を秘めており、実際、筆者は彼女が出来てから全然学校にいかなくなった。バイト&彼女、である。要するに当時は手に入ったお金を全部彼女と遊ぶのに使っていた。ガソリン代やメシ代。あとはホテル代とか諸々だ。

1998年の初打ちの時、勝ったのにそんなにハマらなかったのはつまり「他にゾッコン惚れ込んでる事があったから」で、それは身も蓋もないけど今思うとセックスだったんだと思う。彼女が休みの日、出席日数を稼ぐためだけにちょろっと主席して、学校前に彼女に車で待っててもらい、適当なところで早退してその助手席に乗り込み、そのままラブホとか行ったり普通にしてたので、その肉欲の深さも計れようというもの。今思うとぶん殴りたくなるくらい羨ましい学生じゃった。でもね、虹の足元にいる人というのは、自分がそこにいることに気づかないもので。幸せって、往々にして遠くにきて気づくの。

したがって真っ暗な中で抱きあいながら、こんなふうに一生爛れた生活をしていくんだろうなぁとぼんやり思っていたけど、当然そんなことはなく。お別れは現れると同時に早足でやってきて、直ぐに済んでしまいました。何が起きたかよくわからないなりに、何だかんだすぐ仲直りするだろうなぁと思ってたけど、彼女はそのまま筆者よりもっと年下の男を捕まえて速攻で結婚してしまった。オウノウ! 仲直り不可! 覆水盆にノー・リターン!

さて、その時だ。色々困ったことはあったけど、なにげに「暇の潰し方」というのがわからなくなってしまった。今までプライベートな時間をほぼ彼女と一緒に動いてたので、どうやって遊べばいいのか途端にわからなくなった。筆者は趣味らしい趣味を「バンド」と「ゲーム」くらいしか持っていなかった。バンドというのは実にコスパが悪い趣味で、仲間と練習したりライブやったりしてる時間以外は基本何もないんである。練習せえや! と思うかもしれんが、筆者は「ドラム」だったのでスタジオが開いてないと練習自体ができない。スタジオというのは基本的に予約が必要であり、特に田舎はスタジオの数自体が少ないので、フラッと立ち寄ってスッと利用するとかは基本出来ないのである。だのでこの辺からひたすらゲームばっかりやるようになるんだけど、この「ゲーム」から派生して「パチンコもゲームみたいなもんだよな」ということで昔取った杵柄(一回しか行ってないけど)を頼りに、筆者はまたパチンコ屋をやってみることにしたのだ。

2回目打ったのもたぶんミルキーバーだったと思う。これが勝ったか負けたかすら覚えてないけど、なんか知らんが「ものすごく面白い」と感じ、そこからほぼ毎日通うようになる。しばらくしてCRにハマり、年が明けて2000年には「バカボン」とか「ワイドパワフル」「ピラミッ伝」あと同じ年じゃないかもしれんが「必殺仕事人」なんかを狂ったように打ってた。で、その頃はまだパチスロをほぼ打っておらず。多分パチンコにハマって3ヶ月か半年くらいで常連の兄ちゃんに教えてもらって「ハナハナ」に触ったのが最初だ。初めは「パチンコのほうが絶対おもしれぇ」とパチスロを馬鹿にしてたんだけども、AT機でクソハマりして逆にパチンコは全く打たなくなってしまった。

完全に転機になったのは「爆釣(バクチョウ)」というメーシーの台。「エコトーフ」「ハードボイルド」あたりも最高だったけど、夢に出るくらい好きになったのは「爆釣」が最初だと思われ。とにかく、爆釣のおかげでパチスロを「一生の趣味」と決め、現在に至る。

だので筆者の「あしの」という名前は、実はこの「爆釣」の主人公の名前からとってたりする。ほんとはブログで使ってたハンドルネームなんだけど、語呂がいいので仕事の屋号にもしている。自分の出自とか経歴ってあんまり書く機会がないんだけど、そういえば今更自己紹介書いてねぇなぁと思い、今回はそんな話にしてみた。