今回は2024年を振り返ってということなんですが、正直パチンコ、パチスロに関して個人的にはほとんど代わり映えしなかった1年でしたね。打つ機種と言えば大海5アグネスや冬美姉さんの甘、エヴァ15、Type レイくらいで、どの機種も良くて千円20回に届くか届かないかといったレベルなんですが、まあ多くの店をテリトリーに持たない自分が悪いわけで、こういったことは今年は多少なりとも考えなければいけないと思っています。パチスロに至ってはたまにジャグラーを擦る程度で、これは自分でも意外に感じているところ。10年前だったら、むしろパチスロをメインに立ち回っていたと言ってよく、終日打って目の疲れと肩や肘の痛みに悩んでいた自分がいました。

 パチンコは釘をきちんと見て打つ、打たないを判断できるからいいのですが、パチスロはそういう台選びができないわけで (外観から判断するという意味)、本気で勝ちにいくには打つ機種の正確な理解とそれなりの前準備が必要になります。手っ取り早く言うと、そういった勝つための努力をすることが億劫になってきた、面倒に思えてきたのでしょうか。まあ、体力的にもパチスロを終日打つにはなかなかしんどい年齢ですし(笑)、複雑な内部の仕組みを理解するのも、あー面倒くさいと。それで機械の中身をきちんと理解して立ち回ったところで、ベタピン当たり前のような店しかないのであれば、やはりほぼ確実に負けるわけです。

 回る台がない、パチスロはほとんど打たなくなってしまった、そういうことなら、ちょっと思考を変えて低貸しでも真面目に打ってみようかと考えたこともあります。低リターンだけどリスクも低いわけで、割り切って打つのならそれもまたアリかと。しかし、これがまた酷いもので、4円換算で考えると千円あたり15回も回らない調整がほとんど。店が悪すぎるという意見は百も承知ですが、自宅から電車で10分程度の店数店舗が押し並べて皆そのような調整なわけで、もう自宅から近いところではパチンコは打つなと、そんな気持ちになりました。

 ただ、気になったのはそのような調整でも客つきは悪くないということ。無論、4円の方は閑古鳥が鳴いている状況なのですが、低貸しの方はわりと盛況を呈していたと言ってもよく、負けてもいいからパチンコを打ちたいというお客さんはそれなりにいるわけです。つまり、パチンコという遊技、ゲーム性、そのものの魅力が薄れたわけではなく、遊びとして、娯楽として十分楽しめるということだと思います。

 ただ、それでもボーダーを明らかに下回る台ばかりなので、幾ら娯楽として考えたとしても、その体を成しているとは言い難いでしょう。いとも簡単に保留が途切れてしまうような調整なわけで、ハッキリ言ってしまえば打つ方も打つ方なのですが、そういう調整を罪悪感なしにしてしまえる方も同義的に見てどうかと。完全等価ならまだしも、換金差のある営業形態でそれはないだろうと。

 以前も書いたかもしれませんが、ある業界誌の方が言っていたことで「1円でも4円と同じように儲けようとするからうまくいかない、1円はあくまでもパチンコという遊技に慣れるまでのポジションであるべきで、いずれ4円に来てもらうようにすべき」と、それは自分も同意見です。低貸しは4円に慣れるまでの入門的な位置づけと、そんな風に考えていました。4円だと負けた時の額が大きくなる嫌いがある、だからまずは低貸しで打ちたい機種のゲーム性を把握し、慣れたら4円の方に行くと。

 でも、現実の1円ユーザーは低いレートで慣れてしまって、もう4円の方には戻ってこないような気がします。こうなると、もう低貸しは低貸しで専用の機械 (機種) をメーカーが作ると、そのような方向性で行った方がいいのではないかとも思います。一昔前はパチスロで同一機種で7枚、6枚交換用と等価向けとを別口で出していたメーカーもありました。

 昨年の回顧というよりは今後の展望みたいになってしまいましたが、低貸しはもはや立派なジャンルとして成立しており、なくすことは考えられないでしょう。そうなると、4円向けに作られた機械を無理して低貸しで使うのではなく、メーカーが低貸し専用として海でも北斗でもエヴァでも作ってもいいのではないかと、そんな風にも思いました。デカヘソというわけの分からない機械を出してくるくらいですから、低貸し専用のスペック (店側が調整しやすいようなスペック) を持った機械を作ることくらいはできるでしょう。

 それにしてもデカヘソ、誰も見向きもしなくなったような気もするのですが、どうなんでしょうか。辛いスペックにもかかわらず、等価ボーダーを下回るような調整がほとんどでしたし、もしこれと似たようなことを低貸し専用機種でもやるとしたら、結局今のデカヘソと変わらない運命を辿ることになります。せっかくのメーカーのアイデアをホール側が潰すのは珍しくないのですが、そういうことにならないよう、祈りたいところです。