裁量行為は、行政裁量とも言われ、法治行政の原理の下では、行政行為を含めてすべての行政活動は法律の拘束を受けている。法の機械的執行の覊束(きそく)行為に対する。

そしてその考えを徹底すれば、全ての行政の行為は法律で定められている方がよい。しかし行政には社会の実状に合わせた臨機応変な対応が求められるため、裁量を認めざるを得ない。ゆえに法律の拘束の程度には強弱があり、この強弱が覊束と裁量の問題である。

wikipediaより

先日、アムズ石岡店の記事に悠遊道始まって以来の反響がありました。そのこと自体は素直に喜ばしいのですが、コメント欄でいくつか抗議的なものもありましたので、今回のブログでは少々行政指導と行政処分(行政行為)、それとパチンコ業界の関係性について自身の勉強という意味合いも含めて整理してみたいと思います。

まず、上記の通り、行政処分とは、業界を司る「風営法」の下に、警察庁及び都道府県警察が裁量をもって、風営法下にて許可営業をしている各種営業者を取り締まるための措置です。

パチンコ店だけでなく、ゲームセンターや麻雀店、キャバクラやクラブ、性風俗店など、様々な事業形態がありますが、共通するところとしては、「人間の欲望を強くかきたてるもの(ギャンブル、性欲など)」が自由に営業していては社会秩序が乱れるわけで、そういった観点からパチンコ店を含むこれらの業種は営業について、他業種と比較して厳しい規制があるわけです。

同時に、とかく問題を起こしがちなこれらの業態に何某かの事案が発生した際、それを逐一司法をもって裁くとなれば、その根幹たる法律の文章が膨大な量となってしまいます。例えばノーパンしゃぶしゃぶがあり、イメクラがあり、JKビジネスがあり、それら手を変え品を変え、目まぐるしく変わるものに対して、イチイチ事細かに法律文を規定していては、六法全書が何ページあっても足りません。

ですから、法律というのは、あくまでも概要と指針、違反したと最終的に認定された際の刑事罰などを一定程度、定めるものであり、それだけでは補えない部分において、行政が裁量を持ち、それでも解決できない場合、法律は0か10かの議論ではないから裁判があるわけです。ここまでが風営法に関する基本的な仕組みです。

 

さて、話を行政処分に戻しますと、調べている中で下記の様なサイトを見つけました。

警察から風営法違反を指摘された場合の対処法(富岡行政法務事務所様)

以下抜粋しますと

風営法違反となった場合でも、直ちに「許可の取消し」や「営業停止命令」、「営業廃止命令」が出ることは稀です。特に風俗営業における遵守事項違反の場合は、風営法の趣旨からいっても、まずは指示処分になるものと思われます。これを「行政処分前置主義」ということもできますが、いずれにせよ、まずは警察から今の状況を改善するように求められるはずです。

(中略)

というのも、指示処分を行った後、警察は改善の状況を注意深く見ており、その後、同様の行為を繰り返してしまうと、状況にもよりますが「悪質」と判断されて、いよいよ営業停止等の重い処分へと移行することになってしまうからです。営業停止処分は指示処分に違反したことを理由として発動することができます。なぜならそれは風営法の趣旨を無視した悪性の高い行為と評価できるからです(指示処分違反は警察のメンツを丸潰しにする行為でもあります)。

つまり、パチンコ店においても初めの注意・指導を無視した結果が、行政処分としての営業停止等に繋がるというステップになっているわけですね。

 

では、アムズ石岡店の場合がどうだったかと言えば、業界関係者の方からの伝聞によると、「度重なる指導の無視」「問題となった日について、反省文を出すよう促されていたがそれも無視」「加えて、著しく射幸心を煽った」という観点から、60日の営業停止に繋がったとのことで、雨宮氏のブログはたまたまそれを助長する形のものでした。

勿論、雨宮氏は業界関係者ではありませんし、同じような営業をして問題にならなかったケースもあるかもしれません。何も知らずにいつも通りのパフォーマンスをしていただけなのかもしれません。私は雨宮氏の芸能活動については全く無知なので、その辺りのことは分かりませんが、仮にそうだったとするならば、雨宮氏がたまたまその場にいただけ、とただの被害者と捉えることも出来るでしょう。

最も責任が重いのは雨宮氏を招待し、度重なる行政指導を無視し続けた「アムズ石岡店の責任者様」にあることは疑いの余地は無いでしょう。

ですので、雨宮氏のことを思い抗議のコメントを寄せて頂いた方のお気持ちも理解はできます。

 

さて、ここからは私見です。

では、全く雨宮氏に問題が無かったかと言えば、私はそうは思いません。

今回のケースは風営法違反の恐れがあり(確定ではない)、茨城県に限らず全国的に警察行政が禁止の方向で動いている「イベント告知に加担した」という点では全く責任が無いとは言えないと思っています。

自動車のスピード違反の取り締まりを受けた側が、「みんながやってることじゃないか!」と言い訳しても許されないように、運が悪かったとはいえ、本来警察行政がNGを出しているイベント告知をしてしまったのは事実です。

パチンコ業界に限らず、どの世界にも独特の「慣例」なり「暗黙の了解」といったものがあります。イベント告知の禁止については、法律上明確になっているわけではなく「著しく射幸心を煽る行為」の中に広義で位置付けられているにすぎませんので、イベント告知そのものをもって、明確に法令違反と言えるわけではありません。しかし、行政処分の裁量と権限を持つ警察行政がNOと言えばNOなのです。限りなく法律違反に近い行為ということは、知らなかったでは済まされない話です。

勿論、警察が風営法下の営業者ではない雨宮氏に対して直接的な罰則を下すようなことはまず無いと思いますが、道義的な責任はあるのではないかと私は思います。

これは、雨宮氏とは別の話として、この業界、そして業界に頼ることを生業としている人たちの悪いクセとして、抜け道探しに躍起になるところがあります。

資本主義の経済社会において、利益追求は民間企業の至上命題ですが、あまりにも社会的責任や道義的責任をないがしろにしている。そう言われても仕方のない事案がそこかしこに散見されているのが現状で、それは、いわゆる来店イベントに嬉々として協力し、当該ホールとそこに集うお客様、そしてイベンターという小さい輪が盛り上がればそれでいい、業界全体がどう思われようが、警察行政が苦虫を噛み潰していようが関係ない、というスタンスの「招待される(営業をかける)側」が招いている一面もあるのです。

勿論、1ユーザーとしては、イベントはあった方がいいと思います。綺麗ごとではなく、所詮はギャンブルであるパチンコ・パチスロからイベントを無くしてしまえば、それはそれでツマラナイと思いますし、退廃的な、そして刹那的なものがそこにあるからこそのパチンコ・パチスロという感覚を私も持っています。

ですが、それを放置し容認し、ホール企業が好き勝手をやれば、ウソの設定公開を行ったり、過剰な煽りを加速させたり、サクラに高設定台を打たせて私利私欲を肥やす店長がいたり、ストックを飛ばしたり、裏物を使ったり……

ギャンブルの欲望を刺激するからこそ、冷静に見れば穴だらけの雑な煽りでも、それにつられて人生をボロボロにしてしまう一定数の人が必ずいるし、そんなことは知ったこっちゃないと言えてしまう人でなしが集いがちという側面が風俗営業にはあるわけです。そんな現場を私は四号機時代のパチスロを通じて幾度となく見てきました。

今、こういった業界の歴史を知らずにイベンターをやっている人たちは、トイレで自殺するほど追い込まれてしまった人を見た事があるでしょうか。お金を返してくれ、と泣きながら店員に訴える老婆を見た事があるでしょうか。そういった側面があるのがこの業界なんです。

イベントはあれば楽しいものです。けれど、私益を優先させる民間企業が扱うには、社会秩序を守る上で危険すぎると判断されているからパチンコ・パチスロは規制産業なのです。だからこそ、パチンコ・パチスロを盛り上げるためのイベントというのは監視下・規制下に置かれる必要があり、あくまでも警察がOKを出した形に限られるべき、という大前提を崩してはならないのです。

パチンコ・パチスロファン感謝デーが許されて、イベント告知がなぜ許されないのか。「招待される側」もその違いは分かっていなければならないと思いますし、自身が仕事をする上で得る対価の原資がどこにあるのか、何をやるべきで何をやってはいけないのか。それを知らなかったと言うのであれば、ただの勉強不足としか言えませんし、それは間違いなく当人の落ち度です。

結局のところ、招待するお店、招待される側、その両方の私利私欲のために行われたことが警察を怒らせ、業界全体へ更なる逆風となりかねない事案でした。そして、今回に限らず、そうしたことがこれまで何度も何度も積み重なってきたからこそ、今の厳しい規制に繋がっているわけで、少なくとも業界関係者並びに、そこに群がる数多の人々も、その歴史と現状というものは最低限分かっていなければならないと思います。

このことは、業界全体として、襟を正して今一度振り返るべき大きな課題のように思います。

 

※最後に

アムズ石岡店の記事の寄稿者は私です。先日、該当記事の削除要請を匿名の方から頂きましたが、現時点では対応する予定はございません。

直接の関係者様から連絡先・お名前等を明記して頂いた上でのお問い合わせ・削除要請等を頂いた際には、私が責任をもってご対応させて頂くことをお約束いたします。