~羊水『1-2』~

 

羊水『1-1』

 

 

母の部屋の襖をあけ、台所へ出る

 

体重を床におとすと、そのわずかな振動に驚いた赤銅色や焦げ茶色をした様々な形の虫たちが、所狭しと逃げ惑う

 

テーブル下、椅子の上、食器棚とコンロ、流しとテーブルの間、ありとあらゆる隙間は大量のゴミ袋で埋められていた

 

コンロの上、鍋の中で眠る半年以上前に作られた何かは、幻想的な青や緑、白い色をした胞子が表面を覆い、小さな窓から差し込む淡い光が、その上で舞うように揺れている微小なほこりを、ぼんやりと照らしている

 

流し台では、洗わずに堆く積み上げられたフライパンや食器の間を、麦のような小さな虫が、遊具で遊ぶ子供のように、上へ下へとわらわらと駆けずり回っていた

 

 

用を足そうと自分の部屋とは逆へ身体を向ける

 

視線の先には洗面所があり、その先にトイレ、左手には浴室があった

 

浴室の床では、いたるところに流しきれなかった洗剤と人毛、水滴と埃とがその身を絡ませ合っており、

 

浴槽は、空になった洗剤のボトルや、石鹸の袋、女性器を洗い流すためのスポイトのようなもので埋め尽くされ、その奥で、錆びついた刃を剥き出しにした安物の剃刀が、鈍い光を反射していた

 

洗面所には、何カ月も前から放置されて茶色く変色した女性物の下着があり、そこにしがみついている使用済みの生理用品には、血液が乾いて出来た黒く大きなシミがあった

 

その、ごわごわとした大きなシミは、ときに黒く同化した何かであり、絵本からあらわれる妖精のように、もぞもぞと動き出すことがあった

 

いつも視界のどこかで蠢くなにか、それらの現実を脳は認識することを拒んだようで、それらが視界にあっても、いつしか焦点が合わぬようになっていた

 

用を済まし、冷蔵庫から大量に買い込まれたペットボトルを取り出して部屋に戻る

 

自分にあてがわれた部屋に戻り、その炭酸飲料の口いっぱいにひろがる人工的な甘さを愉しみながら、ふたたびゲームや漫画の世界に沈み込み、無限とおもわれるほどこみ上げてくる下半身の疼きを鎮めるために、幾度となく体を震わせた

 

 

月に一度、バイト先から支給されるわずかばかりの給金を握りしめては、いろいろな賭場に出かけ、溶かし、そうして次の給料日が来るまでのあいだを、このようにして過ごしていた

 

意識していたわけではないが、こんな地獄のような環境に耐えているのだから、他に何をしたところで、他人よりも幸運な結果が与えられるはずだと信じていた

 

だから、負ける度に世界を壊してしまいたくなるような理不尽を感じた

 

祖母や父を捨て、母のもとにくる選択をしたことを、都合よく騙されて連れてこられたように解釈を変えていた

 

自分がここにいることは何かの間違いだと、いつも自分を慰めていた

 

しかし、自分では気付いていないだけで、すでにこの汚泥をすするような生活に身も心も染まってしまっており、自分の醜悪な部分を同化し、隠してくれるこの劣悪な環境に、ある種の安らぎすら感じていた

 

見え隠れする性、蠢く虫、女性の下腹部から流れ出た黒々とした血液にまみれたこの家は、愚かな自分をやさしく包み込む羊水だった

 

一歩外に出ては自分の劣等を丸裸にされ、金も誇りも、すべて毟られた

 

そうして、この病巣のような胎内に逃げ帰っては、五感のすべて閉じ、眠るようにして次の勝負のときを待った

 

 

崩落『2』