時は1990年。時代が昭和から平成に変わった頃のこと。

ア○○店では、3月にシャトル、10月にパールセブンが導入。

ヤ○○店では、9月にスケボーキッズ、12月にフィーバーフラッシュが導入。

マ○○店では、2月にマジックカーペット、パチンコ大賞、9月にパールセブン、もちあげ隊が導入。

カ○○店では、9月にアラシキング、10月にこれをハズしオールマイティが導入。

ビ○○○○店では、8月にメガトロン、エキサイトマジック、道路工事、おジョーズランドなどを並べてグランドオープン。ちなみに、店長は会社の先輩がヘッドハンティングなのも田舎ならでは?

この年、道路拡張工事のため家の建て替えを余儀なくされ、夏から秋にかけて仮設のプレハブ住まいをしました。プレハブが暑かったことで、仕事帰りにパチ屋で涼む習慣が。

帰路途中にあったア○○店では、ビッグポーターとショーマンが対面に並ぶ一発台の島の活気があり、20時過ぎに入店すると、よく当たっている印象。

20台あったマルホンのビッグポーター。名機スーパーコンビと同じ3つ穴クルーンを搭載し、手前穴に入れば大当たり。コンビとの違いは、クルーンに飛び込めばヒューヒューと音がするため周囲から注目を浴びてしまう点。

1回の大当たりで約4000発の1回交換&連続遊戯不可は、夜パチにも向いていました。

100円玉2枚ずつの投資を続け、3000円くらいで当たらなければヤメ。

当時データカウンタなど無かったため、大当たりした台をチェックし、毎晩のように通ってデータを蓄積。20台の中で大当たり回数にかなりバラツキがあるのが見えてきました。

飛び込み口の釘が甘目に見えた左から8番目の台が1番。左から2番目が2番。釘は辛めだが、クルーン癖が1番の右から7番目の台が3番。

そんな台を大当たりが乱発を始める20時過ぎに打ち出すと、投資200円分の玉でスーと飛び込みポロっと手前穴に飛び込むことがよく発生。

これを「ニッポロ」と呼んでました。

当時、この島でガハハ笑いが目立っていた強面のオヤジ。最近になって、パチ友M氏の叔父さんであることがわかり、話をする機会がありました。

その強面氏いわく、「あの時はよー勝てた、月30くらいは勝っとった」の言葉からも、甘く使ってたのが伺えました。

ということで、一発台で最もお世話になったビッグポーター。合言葉は「今日もニッポロや!」