悠遊道をご覧の皆さま、残暑お見舞い申し上げます。

いよいよ今月から、私のマンスリーコラムがスタートします。題名からも伺い知れると思いますが、パチンコ・パチスロに関する私的な回顧話です。何卒、お付き合い宜しくお願いします。

ではさっそく、本題に入りましょうか。

私が、日常的にパチンコ店に出入りし、パチンコやパチスロに熱中するようになったのは、けっこう遅く、二十代も半ばに差し掛かった頃。年代でいうと、1989年頃のことです。

だから、初期デジパチのストップボタンを使った攻略にも手を染めていなければ、中には目押しで自在に図柄を揃えることもできたマシンがあったというパチスロ0号機も打ったことも無いんですね。ほんと、いま思えばもったいない話です。タイムマシンが欲しいと思うこと、しきりです。

なぜ若い頃、パチンコやパチスロに興味が向かなかったのか。それは、音楽活動に熱中していたからに他ありません。とにかく、早く一人前のプロのミュージシャンになりたい。十代の頃は、毎日がその一心だったので、それ以外ののことには、ほとんど興味が向かなかったわけです。そもそも、パチンコを打つための種銭も無かったですし。

…とはいうものの。友人の誘いとか付き合いとかで、幾度となく、パチンコ店に足を踏み入れたことは、あったりするんですね。

初めてパチンコ店に入ったのは、1981年。高校1年の夏頃でしたか。時代的には、前年に三共から初のデジパチ「フィーバー」が登場して社会現象的なブームが起こり、それに続くように同年には平和から初のハネモノ「ゼロタイガー」が登場。インベーダーゲームの大流行で大打撃を受けたパチンコ業界の巻き返しというか大逆襲が、いままさに始まろうとしていた頃合いでした。

軽音楽部で組んでたバンドのリードギタリスト・F君が、大のパチンコ好きでしてね。授業が終わると、ハンドルを握る仕草をしながら「ちょっと、いかへん?」と、誘ってくるんですよ。たいていの場合、「カネ無いから、ええわ」と断るんですが、たまに「昨日、終了(打ち止め)して勝ったから、ちょっと奢ったるし…な、行こうや」と、しつこい時があるんですよ。奢ってくれるんなら…ね。「まぁ、ええか。じゃあ、ちょっとだけな」と、なるわけですよ。

打ったのは、件のゼロタイガーか、ゼロタイガーの対抗馬として登場した他メーカーのハネモノだったと記憶してます。文字通り、零戦を模したヤクモノが印象的でした。

でも、やっぱり熱中するには至りませんでしたね。気が早いというか、飽き性というか、300円くらい遣って当たらなかったら、「もう、あかん」とか、「カネ、もったいない」とか、「おもんない」ってね。それと同時に、「こんなもんにカネと時間を遣う暇があったら、もっとギター練習しろや」と、F君に対して憤りみたいな感情が沸き起こってきたりもしました。

F君とのバンドを解消し、次に組んだバンドのギタリストY君は、F君よりも数段、ギターの技量も音楽センスもあったんですが、彼もまたパチンコ好きで。どこから情報を仕入れてきたのか、隣町や遠く離れた街の新装開店情報なんかも知っててて、「間違いなく出るから、行こうや」と、よく誘われて行きました。まぁ、結果は先述のとおりでしたが。

そんな感じで、パチンコに関するいい思い出をひとつも残すことなく十代を過ごし、やがて成人を迎えるわけですが、そこで、ちょっとしたブームが訪れることになります。次回は、その辺りの話をさせていただきましょうか。

それでは、また来月。