悠遊道のニュースにもなっていましたが、令和を迎える直前の4月24日に“パチスロ悟空”の経営会社が破産処理を開始して事業停止となりました。オープンは1996年の暮れでしたので、約23年の営業に幕を閉じたことになります。正直なところ、悟空で打った回数は片手で数えられる程度ですが、新宿の南口と東口の方向でパチスロを打ちまくっておりました。

東南口(昔はなかったけど)正面に“グリンピース新宿本店”があったからですね。1992年に5階と地下のフロアがオープンし『コンチネンタル』と『コンチネンタルIII』が導入されました。5階『コンチ』のモーニング争奪戦、毎日入口先頭に並んでおりました。その節はウザい若造が失礼いたしました。

現在、新宿駅の東南口から東口にかけては、“グリンピース本店(1988年より)”のほかに、“マルハン新宿店(1998年より)”と“ベガスベガス新宿店(2017年より)”の3軒が営業しています。いや、たったの3軒しか営業していないのです。

現在は業界の縮図を見るように大型店の流れとなっていますが、1990年代は中小規模のホールが中心で、設置機種や営業方針によって多くの選択肢の中から好みのホールを見つけることができました。

○ビッグスペース(1995年〜2007年)

お洒落な空間を演出しようとしていたものの、とにかく地下深くのパチスロコーナーへ降りる階段が暗かった記憶。6枚交換あたりの非等価交換でラッキーナンバー制(台上のゲーム数カウンタに継続かを表示)が特徴。『サンダーV』を打って2G連続で交換させられたのが想い出。

 

○悟空(1996年〜2019年)

2000年辺りに攻略誌の取材協力店として露出を高め、7枚交換を武器に高設定多数の営業で名を馳せました。地方から上京した人が、一度は打ってみたいホールと言うことも多く、前日閉店時から徹夜の並びが始まることも。すぐ側に“悟空2号店(1997年〜2009年)”を作ったくらい一時代を築きました。

 

○平和(1983年〜2013年)

土日は入口にレース結果が書かれた競馬新聞が掲示され、ホール内では中継をテレビで見られる昭和的なギャンブラーのためのホール。7枚交換で4000枚あたりの定量制(到達で打ち止め)と営業方針も昭和的でした。現在この跡地が建て替えられて“ベガスベガス”になっています。

 

○てんとう虫(〜1999年あたり)

平和とグリンピースの間あった小型店。ユニバーサルの直営店でした。『センチュリー21』とか長く置いてあった記憶、そして最後に打ったのが『シルバーブレッド』だった記憶。ほかにユニバーサルの直営店は首都圏に展開した“ひまわり”が有名。海外カジノの絡みで(オペレーション側はカジノ・ホールを営業していてはならない)、いずれも手放しております。

 

○ロッキー(〜2001年あたり)

『ワイルドキャッツ』と『コンチネンタルIII』(いずれも3号機)を長く残した小型店。キャッツがあまりにも連チャンしなくて「ノーマルだろっ」と言ったら「いいえ、裏モノです」と店員に返される牧歌的な雰囲気でした。

 

○メトロ会館(1964年〜2018年)

老舗中の老舗でしたが、ついに閉店。長らくパチスロコーナーの1階は狭すぎる通路が代名詞でしたが、リニューアルによって短い横のシマだらけに。全体を見渡せない雰囲気になってユーザーの回遊性が落ち込んだように見えました。あまりの雰囲気の違いに、それまで見かけていた年配層も減りましたし。

 

○トーオー新宿店(1992年〜1994年あたり)

バリバリのナニナニだらけだった3号機時代にオープンしたものの、グランド初日にモーニング(BIG仕込み台)がゼロという当時としては驚愕の営業で鳴かず飛ばず。ん?『アラジンII』を打ちましたが何か? 2003年にこの立地は“ニューアサヒ”という大型店となるものの、2013年に閉店。

 

○グリンピース新宿本店(1988年〜営業中)

当時としては珍しかったパチスロ専門店。元祖パチスロのデパート。イベント日という発想も1991年あたりにあった“史上最大の作戦”が初めてなような気がします。古い機種を大事に使う精神、パチスロ愛は創業から変わらず。オールドファンにとっての聖地です。

 

ざっと1997年〜2000年あたりの記憶で書いてみました。あくまでも主観ですが、それぞれのホールのそれぞれの常連客がいました。現在の状況が示すように、どこも大型店化が進んでいます。そういった環境で打ちたくないという人を受け止められないんですね。

盛り上がっていれば良い。好きな機種が導入されていれば良い。若い人はそう考えがちですが、好みというのはそれだけで片付けられません。機種の画一化とホールの画一化。効率的ではありますし、それが主流となることは理解できます。ただ、一辺倒になるのはどうかな。趣味の多様化が叫ばれている時代に逆行しているんじゃないかなと思う次第です。これも遊技人口減少の一因であると思っています。

 

新宿のホールは、あらかた思い出せるかな。南口が“アラジン”一強になった過程や、歌舞伎町方面の変化も。中小規模のホールがなくなっていくのは、東南口に限ったことではありません。人が多いはずの新宿でもこれですからね。ラクな稼業でないと思い知らされます。

ニュースの締めと感想は同じです。グリンピースには頑張っていただきたい。もちろん、全国の中小規模のホールにも。時代が変わって置いてある機種が違っても、少しくらいシマの配置が変わっても。建物と空気だけでも帰ってきたと思えるんですよ。気持ちが若くなるんですよ。出玉以外の魅力とはそういうことかと思います。

こう記憶を遡ってみて。不思議だったのは、ちゃんとシマの光景を思い出せることでした。ロッキーの『ワイルドキャッツ』の背中は『ビーマックス』だったとか。『イエティ』を見た後に閉店したなとか。どのホールもですね。最近のホールでは、数ヶ月前に来たはずなのに、お目当ての機種がどこにあるか迷うんですけど(笑)。