1989年の秋頃から、我がバイブルであるパチンコ必勝ガイドの誌上では、にわかに「デジパチ連チャン攻略」の話題で盛り上がってました。

端緒となったのは、豊丸の「ドンスペシャルB」。この機種で、「朝イチ台を単発回しで当てればほぼ確実に連チャンがモノにできる」ということが判明するや、他の連チャンデジパチも同じ方法が使えるんじゃないかと、毎号のように誌面では特集が組まれていました。

私もこの時期になるとハネモノよりもデジパチを打つことが多くなっていたので、興奮しながらガイドの記事を読んでいました。ただ、件のドンスペ。これが、残念ながら私の行動範囲内にあるホールでは、まったくもって見かけなかったんですね。

まぁ、仮に見かけたとしても。公称324分の1という低い初当り確率を考えれば、果たして大当りするまで単発回しを完遂することができるのか。忍耐力に乏しい私は、ちょっと自信がありませんでした。

一方で、同じくあからさまな保留玉連チャンで誌面を賑わせていた三共の「フィーバーレクサスV」とシリーズ第2弾の「VII」、どのホールでもよくみかけました。前者は保留玉1個目に同じ絵柄・ラインで再び当るという明確な連チャンパターンがありましたが、後者にはそれがなく4つの保留玉いずれにも連チャンのチャンスはありました。

スペックは両機種、ずいぶんと違いました。前者は大当り確率205分の1と激甘な上に連チャンもあるためクギは総じて渋めで出玉も少なかった。逆に後者は大当り確率275分の1と辛い分、連チャンは強力で出玉も3000発くらい出る店が多々…と。当りの軽さを取るか一発逆転のギャンブル性を取るか、って感じですか。

とりあえず、どちらの機種も単発回しをすることで連チャンを誘発させることはできたのですが、どちらの機種も自分にはどうもしっくり来なかったんです。方や確率が高くてもクギが渋すぎてお話にならないし、方や当ればデカいといえ確率が低いからリスクが大きい。確率が低い分、回してくれれば気も楽ですよ。でも、大半の店は出玉の方に割を転嫁しちゃってるもんだからキツかったです。

そんなわけで、レクサスシリーズは気にはなっていたけどスルーして、斬新なデジタル表示部を搭載して鮮烈にデビューした平和の「ブラボーエクシード」や西陣の「ファンキーセブン」を打つことが多かったんですね。

これら両機種も、「連チャン機か!?」などと誌面では大いに騒がれていました。とりわけ前者については「リーチ目がある!?」などとも噂されました。まぁ、結果的には両機種ともプログラム解析で仕込まれた連チャン性はナシとの判断が下されたわけですが、様々な噂が立つのも人気機種ゆえのことだったんでしょうね。

さて、年が明けて1990年初頭。たまたま、地下鉄千日前線の玉川駅そばに新規オープンしたホールを覗いた時のことです。デジパチのシマに、見たこともない台が並んでいました。

枠からして三共の台だとはすぐにわかりました。盤面中央には、数字が描かれたドラムが装備されていて、「7」だけが赤い。

気になり、さっそく空き台を見つけて腰を降ろしました。フィーバーレクサスシリーズで唯一、私が熱中しとことんまで打ち込んだ「VID」との初めての遭遇でした。

この時点ではまだガイドなどの雑誌で見たこともなく、大当り確率は不明だったんですが。とりあえず朝イチではなかったものの単発回しで打っていると、ほどなく大当り。そして、保留玉で連チャンが発生しました。

ラッキーナンバーじゃなかったので出玉は交換しましたが、回りがよかったので勝負を続行したところ、その後もコンスタントに初当りと連チャンを重ね、結構な勝ちになりました。

数日後、パチンコ必勝ガイドに初めて「VID」の紹介が載っていて、「表示上の確率は205分の1」と書かれていました。実際には少し悪く225分の1だったのですが、当時の出玉2000~2500発のデジパチとしては標準的な値であり、シリーズの中では最もバランスの取れたマシンだと私は思ったのです。

どうやらそう思っていたのは私だけではなく打ち手やホールもそうだったみたいで、みるみるうちに「V」との入替で「VID」や絵柄違いの兄弟機「VI」があちらこちらのホールに導入されてゆきました。

残念ながら近所の店には導入が遅れていたので、私はバスに乗って前出の地下鉄玉川駅の店や梅田界隈の店に朝イチから出向き、「VID」と向き合いました。狙ったのは、午前中のサービスタイムがある店です。

当時、デジパチはラッキーナンバー制が基本だったんですが、たいていの店では「午前中に限りノーパンク(無定量)」というサービスをやってたんですね。基本がラッキーナンバー制で交換率も2.5円だったもんだから、午前中だけとはいえ無条件で持ち玉遊技できるのは本当に大きかったんです。

ちなみに、サービスタイム終了後の持ち玉の扱いですが、たいていの店はアンラッキーナンバーで当たれば全部交換でした。ただ、中には正午るや否や「はい、終わりやで」と問答無用で交換を促される店もありました。まぁ、そんな店では打ちませんでしたが。

ともかく、レクサスVIDにはほんと、お世話になりました。朝イチでなくても、保留玉が無い状態で当たればそれなりに連チャンが期待できたし、同等の大当り確率のノーマル機と比べても取り立ててクギが渋いわけでもなく(たまたまクギが甘い店ばかりで打ってただけかも)、ほんと甘い機械だったと思います。

…というわけで、今回はこの辺で。
次回は、翌1991年の東京移住を目前に控えた在阪時代末期頃の個人的パチンコ事情というか思い出を綴りたいと思います。

では…再見!!