東京での新たな生活にも、すっかり慣れてきた1991年4月の、ある夜のことでした。
その夜、私は例の掃除屋のバイトで、東京ドームにほど近い賑やかな一角にある小さなホールを訪れていました。
パチンコ・スロットあわせて1フロア200台ほどの、昔ながらのほんとに小さなホール。作業も床清掃だけでしたから、午前1時を過ぎた頃にはすべて終え、撤収に入っていました。
道具を片付け、クルマに積み込んでいた時のことです。店長さんだか主任さんだか、とにかく役職と思われる白シャツの人がやってきて、タバコをふかしながらこんなことを、誰に向かって言うでもなく、つぶやき始めました。
「いや〜、参ったよ。コンチネンタルってスロットがあるだろ。プロが出ちゃってさぁ」
現場リーダーを始め他のバイト仲間はパチンコもスロットもやらないので、「はぁ」と生返事を返すだけでしたが、私は「プロが出た」という言葉に、ついつい機敏に反応してしまいました。
「えっ、攻略法でもあるんですか」
私がそう返すと、その役職さんは「そうなんだよ。困ったよ、ほんと」と言いながらも、嬉しそうに話を続けました。
「メダルを3枚入れてレバーを叩くだろ。そしたら、リールが回るか回らないかのタイミングでメダルを『ドゥルルッ』と追加するんだよ。で、そん時にメダルが1枚飲み込まれたら、セブン(ビッグ)が入るんだよ」
にわかには信じがたい話でしたが、これがのちに伝説として語り継がれることとなる世紀の攻略法「4枚入れセット」の存在を、私が知った瞬間でした。
「探せば都内にも、まだ出来る店があるんじゃないかな」
役職さんのそんな言葉に、その夜はアパートに帰って床に就いても、気になってなかなか寝付くことができませんでした。
結局、まんじりともせぬまま朝を迎えた私は、居ても立ってもいられず、池袋や新宿のコンチ設置店をあたり、件の手順を試してみました。しかし、タイミングをあれこれ調節したりして何度もトライしましたが、ついに一度も成功することはありませんでした。
でも、「くそー、ガセを掴まされた!!」みたいな気持ちには、なりませんでした。なぜかというと、何軒か回っているうちに、コンチのシマのムードが以前とは明らかに違っていて、「確実に、コンチに何かがあった」と感じ取れたからです。
まず、とにかくお客さんがいない。さらに言うと、当たっている台の様子を観察していても、以前のような激しい連チャンはしないんです。
そういえば、例の役職さんも、こんなことを仰ってました。
「メーカー呼んでセレクタ交換してプロ封じはできたんだけどさ。そしたら、連チャンしなくなっちゃってさ。連チャンしなきゃ、コンチじゃねぇからよ。客も飛んじゃうし、ほんと困っちゃったよ」
それから2週間ほど経った頃でしょうか。しばらく音信不通だった在阪時代の知り合いの攻略プロから、久しぶりに電話が入りました。
「ああ、コンチか。先週で終わってな、それで大阪に帰ってきたんや」
訊けば、プロ仲間とワンボックスカーに乗って、コンチを追いかけて大阪から北陸、そして東北まで行脚していたとのこと。ネタは紛れもなくホンモノだったわけです。…ってか、なんで最初に教えてくれへんかったの、もーっ!!
まぁ、そんな感じで。せっかく、雑誌に載るよりもずっと早い段階でその存在を知らされるも、私自身は一度も成功することもなく、「4枚入れセット」は伝説となってしまったのです。
残念、無念。
次回も、シリーズ「掃除屋は見た」、お楽しみに。
それでは…再見!!