パチンコ、パチスロに関しての切ないおもひで、ですか。正直、あまり思い浮かばないのですが、自分の勝ち負けに直接関わらないようなことであれば、幾つか思い出されることはあります。以前も書いた覚えがありますが、機械の故障から起きる不具合に関することで、自分以外誰も打っていないシマでビッグシューターの羽根が勝手に開放するというもの。音で気がつくのですが、始動口に入賞した時に発生するあの独特の効果音が定期的に流れるんですね。
一台に限らず、数台のビッグシューターが定期的にブオーンウォンと音を鳴らし、即何事もなかったかのように静寂が戻る。数分後にまたブオーンウォンと音が鳴り、音が鳴った方へ目をやっても誰も打っていない、単純に始動口センサーの故障ということは分かるのですが、何か物悲しさを感じましたね。おまけに、それでは故障している台を打てばいい、入賞しなくても羽根が開くのだから勝ちは約束されたようなものと意気込んだところで、なぜか羽根は開かないのです。お前の思うようにはさせないと、機械に弄ばれているような気がして、ますます悲しい気持ちになったことを覚えています。ちなみに2チャッカーのセンサーは壊れていなかったようで、聞こえてくるのは1チャッカー入賞時の音でした。
それなりに客が着いている店なら雰囲気的にまた違うのですが、自分以外誰もいない、薄暗い店内、床は板張り、だったかどうかは覚えていませんが、とにかくそんな状況だったので、気分的にはあまり良くないんですね。しかも、実際にその台を打ち始めても、なぜか勝手に羽根が開くようなことはまずもって起きなかったのですから、おお、入賞してないのに羽根が開くぞ、俺だけのお宝台だというわけにはいきません。この店は何かおかしい、呪われているのではないかとか、オカルトや呪術的なことに関して一切気持ちが傾かない自分でも、何かしらスッキリしない気分になりました。
あの頃、平成初期あたりでしょうか、始動口センサーの故障は良く知られており、これも以前書きましたが、ヘソ釘下をカバーしているプラスチックに玉が当たるだけでメモリーが全部点灯する欠陥台がありました。平和のアトミックという一般電役でしたが、ビッグシューターと言い、アトミックと言い、センサーの不良は平和の機種に多かったような気がします。ちなみにアトミックは大当り時のファンファーレがやたらと格好いいので、良ければ検索して一度聴いてみてください。
他には雑誌とタイアップしてイベントを行い、盛況で終えたのはいいが、その後の営業努力を怠り、数ヶ月後には誰も打っていない店になってしまった、客が一人もいない虚しさ、切なさを感じざるを得ないと、まあそのような店は幾つか見てきました (先述の店も似たようなものでした)。イベントの様子は誌面で紹介されるわけですから、宣伝効果という意味では十分です。記事につられてお客さんも多数来店することでしょう。しばらくは雑誌に掲載されて良かったとなるわけですが、元々それほどヤル気のない店だと、釘は二度と開かない、設定は二度と上がらないとなるわけで、気がついた時には誰も打っていない、誰もいないシマで時折ビッグシューターだけが虚しく羽根の開放動作をするという店が出来上がるわけです。
古びたホールや廃業間近のホール、もう閉店廃業してしまったホールなど、賑やかだった頃を知っていると一層虚しさや切なさを感じざるを得ません。こういったことは廃墟ホールの探索で有名なライターの栄華さんが詳しいですが、個人的には自分も昔ながらの店が幾つもなくなっていったり、釘がガチガチになっていったりする様子は何とも言えない気分になります。
ホール軒数は減少の一途をたどり、老舗メーカーの廃業もあり、遊技人口も過去最低を記録しています。それでも業界はやれスマパチだのスマスロだの、これで起死回生、何も問題ないとでも思っているのでしょうか、この危機感のなさは正直良く分かりません。自分の周りでも、パチンコ、パチスロをやめた人間が多く、その理由のほとんどが「遊べない」「お金がかかりすぎる」といったものです。たまに会って談笑したりする友人らとパチンコやパチスロの話ができないのは、それもまた寂しい思いがします。つい10年、15年ほど前は幾らでもパチやスロに関する馬鹿話に花を咲かせることができたのですから。
ちょっと話が本題から逸れましたが、ホール軒数が減ったり、機械そのもののゲーム性が大きく変わったりするのは時代の流れとして仕方ないことなのかもしれません。でも、何事にも限度というものがあります。ホール軒数も減りすぎです。機械のゲーム性も変わりすぎと言うか、複雑になりすぎと言うか、お金がかかりすぎと言うか、とにかく限度を超えているのです。だから、ファンはついていけなくなってやめてしまうし、ホールだって限度を超えた赤字は出せないし、それで経営が成り立つわけはないですから廃業を選びます。メーカーとしても機械を売る店がない、黒字にならない、会社が持たないとなれば廃業します。
限度を超えた遊び、遊技、娯楽は誰も幸せにしません。こんなことを言うと、勝ってる人もいるとか、きちんと努力すれば勝てるとか、そう反論する人もいることでしょう。でも、それは負けている人がいるからこそ、成り立つ現実、成り立つ理論です。娯楽として許せる範囲内での負けを計上できるお客さんがそれなりにいるからこそ、ガチで勝てる人が存在できるわけです。
また店が潰れた、どこそこのメーカーも危ないようだ、パチンコ打つ人本当に少なくなったみたいだ、今年もそろそろ年の瀬ですが、来年こそ、こういう虚しさや切なさを感じるのはやめにしたいものです。
元々メーカーとホールは持ちつ持たれつ、しかし“機歷”の話を聞くたびに「メーカーが力を持ちすぎなのでは?」と思います。他業種に手を出し始めたメーカーも多いとも聞きます。こうなると世間から白い目で見られがちなこの業界でもあることだし、儲けるだけ儲けて次に危なくなったらヒラリと業務転換しようとしている様に見えて仕方がありません。
もちろん開発部などメーカーの中でもなにか面白いモノ、“夢”を作り出そうと頑張ってる人達もいることでしょう、しかし会社全体としてはそういう方向も検討されているのだろうと想像してしまいますね。
かつてよく通った小さい店を久し振りに訪れたら機械の電源は入っているのに誰もいない、客はおろか顔馴染みだったスタッフさえも、という経験が有ります。ま、打って2~3箱出して両替して帰って来たのですが、その間「いらっしゃい」と一度様子を見に来たのも、レシートを“ブツ”に替えてくれたのも、そのブツをいくばくかの現金で買い取ってくれた“穴”の中にいたのも“爺ちゃん社長”ただ一人でした。モチロン?時を置かずしてそこは閉店しました。
この頃からかな?昔からの個人経営の店や地域では強かったローカルチェーンの店が次々と閉店していったのは、近所にダ○○ムやア○ジ○が建ったりして。
なんにせよ記憶の中にある若い頃、子供の頃😄の光景が今はもう無いというのは“切ない”ものです、と言いたいトコロですが、この歳になるともうそんなことには慣れっこになってしまっていて、あんまり心が動かなくなっていたりするのです😃
街中の小規模ホールはホントに減りましたね。
メーカーが強くなりすぎた、という話をよく聞きます。
もう少し寡占が進むと逆転現象が発生するんじゃないかと勝手に思いますがどうなんでしょうね。
買ってくれる相手が減れば、当然少ない相手にお願いするしかなくなるので。
個人的には限度を超えているとは思いません。というのは昔は4円・20スロしかなかったのに今は低貸しが存在するからです。
ただ、入らないパチンコだけは間違ってると思います。貸し玉の問題ではなく単純につまらないからです。
>>ギルBさん
機械がなければ営業できませんから、力関係としてはメーカーの方が上になるのでしょうが、それではホール側は買わなければいいだけではないかと、昔から業界界隈では言われていることですよね。ですが、ホール側にまとまりがなく、ライバル店が買わないのならウチが買うとか、そんなことばかりやってきたわけです。機歴や抱き合わせ販売云々は独禁法に抵触しないのか疑問に思うところですが、メーカー、ホール双方が共存共栄を図りたいのなら、ある程度は決まりごとを設けて進めていくべきことと思います。どちらか一方が優越的な地位を維持したまま存続している業界というのはいびつなものです。
>>白いシローさん
購買者数が減れば販売方法も変わってくるでしょうね。そうなって、ようやく気がつくんでしょうかね。お得意様を何軒も失ってしまったと。
低貸はひとつの営業スタイルとして定着しましたが、欲を言えばあまり利益至上主義に走らないでほしいですね。以前、ある業界誌の方と話をした際、低貸で失敗したホールのほとんどはガッツリ抜こうとしたからで、4円と同じ感覚でやろうとしたとのこと。低貸で思いっきり勝ちにこだわる人もあまりいないでしょうが、ホール側も普通に遊べるくらいには調整してほしいものです。