オレの名は須磨 素郎(すま すろう)。21歳、東大空手部だ。

東大は東日暮里大学の略なので「ひがしだい」と読む。とうだいじゃないからそこだけ気をつけてくれよな。

趣味は空手。特技も空手。好きな料理は空手。将来の夢も空手。とにかく物心ついた頃からひたすら空手に打ち込んできたし、これからもそのつもりだ。

ああできるなら空手と一体化して空手そのものになりたい。セイッ。セイッ。突き出される正拳突きはオレの呼吸であり、空を切る蹴りは鼓動だ。

このまま一生空手だけを考えて生きていく。それがオレにとっては自然な事だったし、実際にそうなるハズだったのだ。そう、あいつに会うまでは……。

「セイッ! セイッ! ……素郎先輩! どうしたんですか?」

練習中、東大空手部の後輩、落暉 鳥賀(らっき とりが)が心配そうな顔で尋ねてきた。

「なんだか正拳突きにいつもの勢いがありませんが。体調でも悪いんですか?」
「セイッ……セイッ……はぁ……そんなことは……いや。ウソは吐けんな……」

気がつくと、オレは正拳突きを辞めてベンチに座り弱音をはいていた。

「実はオレは今、強大な敵を前にして生まれて初めて怖気づいているのだ」
「え! 素郎先輩ほどの空手家がですか! そんな……いったい敵は、どこの道場の選手なのですか……?」
「いや、そうじゃあないんだ。相手は空手家ではない。それどころか……」
「……それどころか?」
「人間ですらないんだよ。オレが恐怖する相手。それはな……」

1ヶ月前のことである。

気分転換にいつもと違うコースをランニングしている最中、唐突に腹を下した。

さすがのオレも下痢には敵わない。公衆便所付きの公園を探したがどこにも見つからない。こんなことなら遠出なんかするんじゃあなかったと後悔しつつふと見ると、なにやらきらびやかな店があった。トイレを借りるため、藁にも縋る思いでその店に入る。空手以外何も知らぬ、醤油とソースの区別すら付かないオレには知るよしもなかったが、そこは「パチ屋」と呼ばれし魔窟であった。

「パチ…屋……? なんですかそれ」

初めて聞く単語に、鳥賀が不思議そうに首をかしげた。

「パチ屋というのは、パチンコという生きるか死ぬかの真剣勝負をする店だ」
「フルコンタクトってことですか?」
「いや、そうではないんだ鳥賀。簡単にいうと、お金を入れたり出したりする店だ」
「なるほど、琉球空手ですね?」
「琉球空手でもないな」
「ちょっと良く分からないです……」

そう。最初はオレもよく分からなかった。が、トイレを済ませて落ち着いたオレの目に、壁に貼られた「新台導入」の文字が飛び込んできた。しかもそこに煽り文句のごとく、我々空手家の格闘魂に火を付ける、あの一言が書いてあったのである。

「まさか……!」
「そう。そのまさかだよ」

――挑戦者求む! 

「馬鹿な……。なんて店だ! 素郎先輩に勝負を挑むなんて! 命知らずにも程がある!」
「だろう?」

オレはそのままポスターに書いてあった絵を頼りに店内を見て回った。そして見つけた。オレに勝負を挑む命知らずの愚かなる挑戦者<チャレンジャー>、それは「L革命機ヴァル◯レイヴ」、通称「ヴ◯ヴ」だった。

「ヴ◯ヴ……? なんですかそれ」
「2022年11月21日月曜日に導入されし、SANKYOのスマスロ参入第一弾の機械……純増7.2枚、90%ループの上位AT『超革命RUSH』は業界に衝撃を与え……」
「業界……まさか空手連盟ですか?」
「ちがう。黙っとけ。……業界に衝撃を与え、現在のスマスロの『上位ATにブチ込んでからが勝負』みたいな風潮を作り出した、パチスロ業界におけるゲームチェンジャーのようなマシン――それがヴヴヴだ」

それから、オレとヴヴヴの、血で血を洗う真剣勝負が始まった。

ゴクリ、と鳥賀が息を呑むのがわかった。

「勝負の結果は……どうなったんですか」
「勝負にはオレが勝った。ああ。勝負にはな……」
「さすが先輩……!」
「だが……」
「え……?」

1ヶ月の間にオレが挑んだ勝負は計13回。元来無駄遣いをしない性格なので、子ども時代から今までのお年玉は一切手を付けずにとってあったが、それがすべてなくなるのにはさほど時間は掛からなかった。

「お年玉がなくなったあとは、バイトをして稼いだよ。日雇いでな。引っ越しなんかいい種銭になるんだぜ」

1日働いてその金を持ってヴヴ◯へ。負けたらまた1日働いて、その金をもって◯ヴヴへ。そしていよいよ、オレはやった。やったんだ。

「昨日、初めて超革命RUSHに入ったんだ……。ついにキタコレと思ってね。よっしゃコンプまで駆け抜けてオッパブからの叙々苑コースやろと思ったんだけど、それが単発で終わってな……。お前にはよく分からないんだろうけど、90%継続を一回で外すのは間違いなく遠隔なんだ。マジでイラッとして『やったなこいつ』と思ってさ。だからこっちもやったんだ」
「やった……?」
「ああ。セイッて」

子供の頃から何度拳を突き出してきただろう。数万、数十万では効かない。数百万か、数千万か。そのすべての思いを乗せた拳はレーザービームのようにまっすぐにヴヴヴのみぞおちに伸び、鋭く突き刺さった。ヴヴヴ沈黙。男と男の勝負はオレの完全勝利で終わった。が、しかし。警察が来た。昨日の話である。

「一応事情だけ聞かれて一旦帰ったんだけど、聞いた話によるとスマスロってめっちゃ高いらしくてなぁ。高くても10万くらいだと思うじゃん。全然全然。50万くらい請求されちゃったのだが払えないと被害届出すから最悪逮捕だって。マジでおっかねぇわ。しかもね。しかもだよ?」

……――最悪なのは、オレがまだヴヴヴを打ちたいと思ってる事である。

「マジ怖えよスマスロ。空手なんの役に立たねぇしさ」
「いや……ちょっと良くわからないですけど……。オレになんか手伝える事はありますか?」
「なんもないけど……。まあ、とりあえず一回パチ屋見てみる?」

こうして、元から部員数二人だった東大空手部は稼働日が徐々に減り始め、やがて誰も来なくなるのだった。1年生、落暉鳥賀がラッキートリガー機を後ろ回し蹴りで破壊する、1ヶ月前の話である。