パチスロ5号機の歴史(その1)~もうすぐ終わる!? 5号機時代~(パチンコ・ビレッジ)

4号機から5号機へと移り変わったのが2004年の7月。ですから5号機時代は13年以上続いているわけです。1992年からの4号機時代も長かったんですが、5号機時代はそれ以上に長かったんですね。

(中略)

先述のとおり、5号機への規則改正が実施されたのが2004年7月。まず、登場したのが『CRP花月伝説R』。メーカーはSANKYOです。登場は2005年7月。

―――引用ここまで

 

2004年と言えば、もう13年も前になるのですね。

大人になると月日がたつのはアッと言う間とはよく言いますが、そんな感覚を改めて呼び起こさせてくれるパチンコ・ビレッジ様の良特集が新たにスタートしました。

それにしても、五号機初代がパロットだったとは……言われて初めて思い出すレベルで、全く現物を見た事がありませんw

 

ボクがパチスロを覚えたのは4号機の途中から。クランキーコンドルが全盛期を少し過ぎ、続編として登場したクランキーコンテストや、予告音とリールフラッシュで一世を風靡したサンダーVが全盛期だった頃の話です。

その頃は右も左も分からず、ただ目の前の台に一喜一憂する毎日でした。

そこから花火、どんちゃん2、ビーマックス、大花火、初代ルパン、ダイナマイトなどなど、どんどんリプレイ外しを含むBIG中の目押しが主流となる台が登場し、そのゲーム性に魅了されていきました。

あのジャグラーにもBIG中に技術介入があったなんて、きっと今の人には伝わらないでしょうね。

そして、ウルトラマン倶楽部、アステカなどのCT機、インディジョーズ、獣王などの爆裂AT機と時代が移り変わっていく中で、未だパチスロ史上最高のヒットと言える初代「北斗の拳」が登場しました。

その頃になると、いつしか

 

「北斗世代」

 

なる言葉が生まれていました。

 

これは、それまでビタ押しを含むシビアな目押しが要求されて当然という流れから一転、押し順を守れば大きな差が出ない機械が大ヒットし、それに辟易(と言う名の時代に対応できない嫉妬を)した古い世代が生み出した、主にネット上に飛び交った言葉です。

そして、北斗世代から5号機世代へ、と時代も言葉も移り変わっていきました。

 

人にはそれぞれ生まれ育った環境というものがあります。

パチンコ・パチスロ史に限らず、団塊世代、バブル世代、氷河期世代、ゆとり世代、さとり世代等々……。

その時代を生きてきた人は、その人なりに同じ世代と切磋琢磨し一生懸命生きてきた。

けれど、時代の違いからどうしても得手不得手は生まれる。

それを古い世代は自分と比較し、下の世代の足りないアラ探しをしようとする。

下の世代は上の世代の持つ有益な価値観を受け入れず老害と断ずる。

優劣をつけたがるのが人間の性ですし、それは仕方のないことかもしれません。

 

けれどことパチスロにおいて13年間も続いた5号機は、それまでの世代(主に爆裂AT機)が残した負の遺産を跳ね返してきたと思います。

爆裂機を嗜好する人々はサラ金の総量規制とともに消えていき、ユーザー人口は下り坂を辿っていきました。

一方、記事内で取り上げられた初代パチスロ エヴァンゲリオンは、当初は設定6のペイアウトの低さから見向きもされませんでしたが、後に何機種も続編が作られるだけの礎を築きました。

そして、エウレカセブン、新鬼武者をキッカケにパチスロが再び盛り上がり、4号機世代を駆逐していかんばかりに世相が移り変わりました。

4~5号機の変遷の中、「パチスロは終わった」と多くの人が思っていた中、現場の熱が戻ってきたのをその時確かに感じたものです。

 

今このサイトをご覧の方は、間違いなくパチンコ・パチスロと密に接した経験がある方かと思います。

十人十色の人生の中、5号機と過ごした時代が自身の人生と重なり合う。

そんな20~30代の方にこそ読んで欲しいパチスロ5号機の歴史(その1)~もうすぐ終わる!? 5号機時代~

 

季節とともに、匂いとともに、はたまた流行りの音楽とともに甦る記憶。

そういうものを呼び起こす力がある内は、パチンコ・パチスロにもアイデンティティーがあるのだと思います。

(万回転)