画像引用:amazon

 例の池袋交通事故で一気に広まった感のある「上級国民」という言葉。〇〇よ、選挙に行くな?の弊記事内で、上下の分断に関して触れた事もあり、関心があるテーマだったので久しぶりに読書をした。

 タイトルは明らかに件の事件を意識した物で、冒頭で少しそれに触れているものの、中身は権力や勲章がどうこうといった近視眼的なものでは全くない。想像以上にディープでつい熱中してしまい1日で読了した。トランプ当選やブレグジット、黄色いベスト運動や今の日韓関係等々、分断はなぜ起こるのか、そして過去の歴史や数字を交えて起こり得る未来の可能性について、実に分かりやすくまとめられている。

 そこに、なぜかパチンコ打ちの世界と通じる物を感じ取ってしまった。

 先日、とある掲示板で見かけた言葉に「(懐古的なパチプロの)暗黙のルールなんて時代遅れ」という一節があった。それは確かにその通りなのだが、発言しているのは前後の流れを見る限り打ち子・引き子をやっている人物のようだ。先週のブログでも触れたが、本来打ち子をするような人間は、親から間違いなく不当な搾取をされている。にも拘らず彼が懐古的なパチプロよりも軍団を肯定するのは、誌上プロがこれまで流布してきた勝ち方の指南よりも、軍団に属する方が直接的に利益を得られるというのが大きな理由だろう。

 

 冒頭の本の中で驚いた話があった。それは、上級・下級と評されるように貧富の格差が拡大しているにも関わらず、アメリカのサイバーリバタリアンと呼ばれる科学やロジックに重きを置く“超富裕層”と“プアホワイト(貧しい白人)”が、自由主義において共鳴しているという点だ。


画像引用:上級国民/下級国民(小学館)

 ここで比較されている横のグラフは学歴だが、学歴と所得に相関関係があるのは言わずもがな。男女の差についても非常に興味深い。女性がパチ軍団の親になった話など聞いたことが無いからだ。

 書籍内ではサイバーリバタリアンやプアホワイト等の定義や背景がより詳細に語られているのでそこは書籍を読んで頂きたい。この話とパチンコに通ずる点は、サイバーリバタリアンと軍団の親がロジックを最優先しているという点だ。軍団の親はパチンコで勝つ為の方法論として、実に理論的に物事を見ているし、パチプロを浮き草稼業的なヒッピー文化とは見ていない。

 そして、「何をしようと個人の自由だ」という自由主義において、親と子は共鳴している。自分たちをより悲惨な未来へと誘う親に対し、打ち子や引き子が引き寄せられるのは、恐らくここに根本がある。パチンコという非常に狭い世界で、良くも悪くもあえて自分を縛ってきた懐古的プロとその考え方が淘汰され、情緒を排除してロジカルに突き詰めた親が富を手にする。その分け前を(低賃金で)得られるプア層がその流れを更に加速させる。こんな小さな世界でも、そんな上下の分断が始まっているという事だろう。

 

 ボクは恐らくこの図で言えば中間にあたる層だ。パチプロなんてもんをやっていた以上、自由主義には間違いないのだが、自治会活動を大切にしているところなどは真のリベラルとは言えないし、とても中途半端な立ち位置だ。

 同書内では、いずれテクノロジーに人間の適応力が追いつかなくなった時に全く新しい時代が来るとし、ボクのような中間層は少なくともそこまでは減り続ける、とされていた。実際、懐古(保守)的なパチプロは減っているし、自治会活動に参加する人も減っている。インターネットの出現とともに、プロの情報が一般化し、サイトセブンやツイッター等、新しく生まれるテクノロジーを上手に利用した者たちが生き残った。

 そして、どれだけ声高に理想を叫んだところで、ボクのような中間層が社会に与える影響は至極小さい。所詮マイノリティだからだ。例え周りの数人に影響を与える事が出来たとしても、全体の流れを変える力をボクらは持たない。それは、パチンコライターが物書きから演者に変わっていったここ10数年の流れを見てもよく分かる。

 さりとて、マイノリティにはマイノリティなりの意地もある。社会は変えられなくとも自分の生き方や幸せは自分で決められる。

 故・田山さんや安田さんに憧れパチプロになり、その矜持を現場に持ち込んだ自分に後悔は無いし、こうしてその思いを発露させてもらえる悠遊道をこれからも大切にしていきたい。後は、野となれ山となれ、だ。

 そんな先週のコラムを引きずったかのような話はさておき……先週のブログ・コラムにコメントをくださった皆様、本当にありがとうございましたm(__)m

 内容が内容なだけに炎上が怖い感もあったのですが、理解して下さるコメントが多く、それは純粋に嬉しかったです。ただ、肯定的なコメントに対して個別に返信するのも“なんか違う”という振り切れない中途半端感を持つ者ゆえに、それは控えさせて頂きます。そして、こんな声も頂きました。

 そう、そうなのよ。所詮、青臭いレベルの話。世の中ってもっと大きなもんで動いてて、それを知れば知るほど無力感と自分で何かを負おうとしない無責任感がよく分かるのよ。

 更にこんなコメントも頂きました。

もたすけ
2019年9月15日 at 2:45 PM
うーんピンのパチプロが光かがやく聖人なのかというとそうでもないし…
数人の打ち粉使ってますみたいなのはどこにでもいますし、それらみんなが極悪人かというとそんな単純じゃないでしょいい人も沢山いるはずだ
例えば兄弟家族なら3人までセーフ!親族以外の集団は4人から極悪サイコパス!ってそんなむちゃくちゃなってなりません?

 そう。正に仰る通りで、パチプロの世界に明確な境界線なんてありませんし、ピンプロも光り輝く聖人はおろか善なる存在でも決してありません。コラムで書かせて頂いた内容は、あくまでもボクの私見であり大いに偏った主観です。それを皆さんに投げかけ、考えて頂き、各々が答えを出していくキッカケにする事こそが、あのコラムの意義だと思っています。

 ここはあくまでも安田さんのサイトである以上、どうしても懐古的なパチプロを好む方が多く集まる場です。あのコラムは、もっと大きな場に出たら、恐らく強い批判の声が上がるでしょう。表に出す事すら編集からストップがかかるレベルだと思います。それを分かっていて、かつ表舞台には立とうとしない時点で、ボクの主観なんてその程度のもんなんです。 

 そんな自分がスキでイヤで。イヤでスキで。もう、ナニコレ珍百景。

 パチプロってもんは、そんな葛藤を常に抱えている人種なんだと思います。特に懐古系は。さぁ、そんなボクが頑張れる事ってなんだろう。

 結局、打つ事。

 あの花を打ち、ディスクを打ち、まどマギ2やらうみねこやらバイオAやら乙女マスターズやらを打ちつつ、ギルティクラウン打ちたいなーとか、まどマギ叛逆いつ打てるかなー、と虎視眈々とデータ集めに勤しんでおります。

 最近、環境が整った事でパチスロ熱が再燃。午前中に仕事をして、お昼ご飯の為に知らないラーメン屋の発掘をしては、パチ屋に立ち寄り1~2時間ほど遊ぶ。帰宅してまた仕事(時々夕方までパチスロに熱中)という毎日。

 そして、徒歩10分という立地に⑥は少数④バラマキという気配のホールがあります。ボクがまだ現役だったら、期待値的に行かないようなお店。でも、ハイボールで酔っ払っていても下見に行けるがゆえに、イベ日に関してはヤレる気がして、昔のガチ感が沸き上がり打ちたくてしょうがない。

 一時期、諸々の問題で現場を離れていた結果、パチ・スロへの興味を失いかけていました。その時は洋子とか言う謎キャラでそれを誤魔化していましたが、今は純粋にパチ・スロが楽しい。これまで、悠遊道という場があって、継続的に書く以上は打たなければ、という義務感があったのは事実ですが、そのお陰でまたパチ・スロの楽しさを再発見しています。

 以前、ドラ広さんが

「(ライターがよく言う)“パチンコ・パチスロの楽しさを伝えたい”なんて違うっつーの!そんなもんみんな自分で見つけるんだって!」

 とお酒を片手に力説していた事があったのですが、きっとその通り。誰かに何かを伝えようなんておこがましい考えを持つ前に、まずは自分が楽しむ事が第一。その上での主張があれば言えばいいし、あとは受け取る方次第です。

 冒頭の本の中で、今は知識社会(知識格差)の時代と書かれていて、それはパチ・スロの世界にも当てはまります。もはや、知りたい事はネットで何でも分かる中で、勝ち方も楽しみ方も、誰に教えられずとも皆知ってるんですよね。だからボクは、懐古的なパチプロに傾倒しつつ、それを全う出来なかった元パチプロの“中途半端な生き恥”をこれからも晒し、分断される上下の両方を見続ける自分でいたいと思っています。