11月の動画撮影でぽち。君と久々に会って話をした。こんなに間が空いたのはここ20年でも初めてのことだ。コロナが憎いねえ。

そこでは記事のことも話題になったのだけれど、彼の中ではまだスタイルが確立していないようで、
「えっ、この記事が閲覧ランキングする?」
とか
「この記事はもう少し反響があると思ったんだけど」
みたいな感覚があるようだ。当然、書き慣れた自分と違い、記事作成にはかなりの時間をかけているはず。

自分の場合は長く物書きをやり、達観というか「書ける物は決まっている」や「悩まないで、日々思った物を書くだけ」という意識なのだが、若い人(ぽち。君は40代だけど)はロートルと違って、いろいろと考える時期なんだろう。それも良し! だ。

まあ、自分の経験だと筆(今はキーボードのタッチか)が進みやすい方法というのはある。
それはテーマを絞ること。紙の世界の連載というのは最初こそ形を作る必要があって大変ながら、フォーマット的な物ができると、後はすいすいと書けるようになるもの。
絞るは縛りと言い換えてもいい。「縛る」というと不自由に思えるけれど、書く内容の範囲が自然と絞られるわけで、「何を書く?」の最初のハードルがだいぶ越えやすくなるんですよ。
これは書き手としてのスタンスも同じ。一般向けの記事を書いているあしのさんなんて、3回の連載はパチンコファンに向けた内容かつ、くだけた話にしてすぐにランキング入りしたもんな。この辺の引き出しの多さは、さすがの一言だ。

「どういう視点から、何を書くか?」あとはリアルさがあれば、パチンコの記事というのは十分かな、と自分は思う。
極論、文章は日本語として通用すれば、そんなに問題はない。
個性というかキャラも必要かもしれないが、取ってつけたようなキャラクターよりは、素を出した方が楽だし、失敗も少ないような気がするんだよなあ。
「そりゃあ、安プロは長くやってるから、それが下地になってるからでしょ」と、紙の世界の若手は思うかもしれないけどね。

もっとも、世の中の表現方法は一つじゃない。悩まずにスピードを優先する自分のやり方がベストというわけでもないことだし、ライターの皆さんが思い思いの書き方を模索し、悠遊道を実験の場として使ってほしいと思うのです。
そして、あと3年を待たずに還暦を迎える自分の後を継いで、サイトを背負っていく人に現れてほしいものだ。

しかし、万回転の文章は巧いなあ。貴方野チェロス君を初めとして、紙の方のライターさん達何人もから「彼は何者?」と聞かれる度に、発掘した自分は誇らしいのです。