何?この動く羽根、どんどん入る玉。すごい!

玉はチューリップに入れ、じわじわ増えたり減ったりするもの、であった時代に風穴を開けたヒコーキ。初めて見た時は誰もが驚きました。

ヒュー ヒュー

盤面の左右下部にある落としの「1」に入れば1回、中央下部の「2」に入ると2回、効果音とともに羽根が開放。

そして中央のVに入ると

トゥルルルルルルルルルル・・・

1Rで18回、入賞個数に制限なく最高8Rまで続く羽根開放。そのVへの入り方のまた美しいこと。一旦左のハズレに落ちたと見せかけてコロンとVへ、が王道パターン。

木張りの床、タバコの煙で曇った狭い店内、BGMは軍艦マーチ。チューリップ台で大衆の娯楽してたパチンカー。もうそんなチンジャラ台など誰も見向きもしなくなり、各メーカーは競ってヒコーキ物と同時期に出たフィーバータイプに方向転換、パチンコがギャンブルへの道へ変わって行くきっかけとなりました。

羽根物の元祖ゼロタイガー。1981年に平和から登場。当時、羽根物という言葉はまだ無く、ヒコーキ物とか言ったり。

そして、新台入れ替えの時なんかはもう店の前黒山にて「早よ開けんかい!」の怒号飛び交うおしくらまんじゅう状態。少々奥でも入り口の正面に立っていないと、弾き出されて入れないことはこの時に学びました。

打ち止めおおよそ1万円分。「本日は21時をもって閉店とさせていただきます」いきなりのアナウンス。出玉を抱えジェットカウンターへの行列に並ぶ。レシートを持ってサービスカウンターへの行列に並ぶ。そして特殊景品持って換金所への長々とした行列に並ぶ。いったいいつになったら帰れるのやら・・

昭和の末期、日本全国の駅前にあった○○会館。駅を降りるとすぐ目につくパチンコ店。吸い込まれるように入り当たり前のように黄色い台、ゼロタイガーに座るのが普通だったパチンカー。

個人的に学生の頃1番行ってたのは近鉄沿線の八○ノ里会館でした。そして田舎に戻れば駅前のメ○ロ会館。台に細長い箱を用意し、台間サンドに100円単位でお金入れ、手で玉を受け取って上皿へ。隣と共有ゆえ隣人が使用中なら待って、も普通。

打ち出しの玉が切れた刹那、残り玉が落としに入って羽根が空しく「ヒュー」するのはいつものこと、でした。

台を選ぶ目安として、左落とし上の袴釘上から3つ目が絞れてるかどうか。いつの頃からか、私はこれを1番意識してました。

羽根物は根気の勝負。打ち止めまで時間がかかります。でも、粘れば何とかなるのも羽根物でした。

入賞もしないのにいきなり羽根開放が始まる、台を打ったこともありました。まあ、いつ開放が始まるかは分からなかったですが。

そして会社の同僚と岡山県へ旅行した際、偶然に寄った岡山駅前のお店。「懐かしい」と言いつつここで打ったゼロタイガーが打ち納めとなったのでした。まあ、最後まで残ってたのが岡山の駅前店であった記事を見たことがありましたが、そのお店だったのかは?です。