CR大工の源さんは、1996年に三洋から確変1/3の2回ループ機として登場しました。
大当たり1回の出玉約2300発。2回ループ機(1度確変で当たると最低3連が確定)にして連チャン終了時には100回の時短が付くという爆裂性でもって人気爆発。これは、パチンコ必勝ガイド誌が3年前に行った「平成No1パチンコを決めよう」企画でもアンケート結果第4位(1位:AKB48 2位:真・北斗無双 3位:牙狼XX)となったほどの言わずとしれた名機となりました。
3段階の設定付き機でもあり大当たり確率は、設定1:1/369.5 設定2:1/404.5 設定3:1/438.5。導入時は会社の同僚が「大工の源さんで月50万勝てた!」と喜んでましたが、やはり高設定を使っていたからだろうと察することができました。実は導入当初は設定0レベルに当たりやすくなってる、という噂もありましたね。
リーチ演出はコンベア低速、とそこから発展する高速、クレーン、お祈りの各スーパーリーチがいい味出してました。さらには燃え上がる炎と共に突然始まる、周囲からも注目の全回転リーチ。確変図柄の所に来ると止まれ!と気合が入ったものでした。
おおよそ1/400タイプにして1/3の確変が2回ループする、当時最高レベルな爆裂機は1994年登場の「CR黄門ちゃま2(平和)」から広まり、私も恐々ながらチャレンジしました。
やはり1/3の確変の壁(実質おおよそ1/1200)が高く、「バトルヒーロー(大一)」「ちんじゃらV(大一)」「フィーバーワールド(SANKYO)」「スーパーダンク(平和)」など当てても当てても単発ばかりでした。多分バトルヒーローでは計6回くらい当てたのでしたがダメでした。黄門ちゃま2に至っては、友人保有の実機で打ち初め3回転目に八兵衛ジャンプリーチから確変が大当たりしましたが、実践では1度も当てること叶いませんでした。
そんな中、仕事帰りに某E店へ寄って打った大工の源さんで、忘れもしません。
確変図柄であるはっぴ図柄のリーチでコンベアリーチへ発展!これが高速となり、固唾をのんで見守る、というか到底直視できない中、見事にはっぴが3つ揃いました!
2回ループ機でもう何度通常当たりを経たのか、分からんレベルでした。で、ワクワクドキドキの確変中は単発図柄でのダルマ落としリーチがキッチリ当たり、を繰り返しキッチリ最低の3連で終わったのはお約束でした。
その後も仕事帰りや休日にけっこうこの荒波機に手を出しました。1997年3月28日。某店で会社の同僚Nさんと並んで大工の源さんの連れパチをしました。遊技中Nさんが「これ見て」と言うので見てみると、ヘソ釘に玉が乗っかっていました。けっして釘間が狭い訳でもなく、玉に刻印がある為の偶然な感じで。で、続けて打ち、その玉がヘソに入って・・・
それがものの見事に確変を射止めてしまったのには驚きました。
その日は2人共快勝できました。私の大当たり履歴は、4連、単、6連、3連そして20連で計34回大当たりし、源さん最高収支の+153(千円)となりました。
長きに渡って人気を博した機種なので、いろいろな噂も飛び交いました。源さん走行中のデモ画面の中でブロック塀の線のとある所が太いと高設定、とか。
炎滑りからの「3源源」はリーチ目。そこから60回転以内に確変で大当たりしやすい、という某所からの噂は、もともとこの炎滑り事態がレアなので、それに絡む特定の出目なんて大当たりさせるよりもよっぽど出にくい事柄。なのでガセであると私は直ぐに烙印を押しましたが、その後もいろんな機種でのガセ情報の蔓延には辟易したものでした。
遠征先で1000回転を超える大ハマリし1度も当たらずリタイア。帰る前にトイレへ行き、外へ出る過程でフと私の打っていた台を遠めに見ると、おじさんが打っていてその頭上には大当たりを示すランプがチカチカ。どうやら確変を射止められていたようで、さらにガックリしたお話は、パチテレの番組「ニュートンの法則」に応募して採用。演者さんがこのお話を演じられた、ということもありましたね。
当時はまだ回転数を示すカウンターなど無い時代でしたが、最後はいろんなお店でもう当然のように最低設定であろう1/438.5の台を多分2000回転以上回して当たらず、だった大工の源さん。今もリメイク機が絶えない平成の名機でした。
僕が「初代大工の源さん」を打っていたのは、関西時代、西中島南方に事務所があって、会社の先輩とよく行ってました。パチ屋もたくさんあったと記憶しています。
その日始めて源さんを打ちました、まだ新台ですね。
ちょうど、おじさんが打ち終わり、帰ろうとしています、10箱以上はお持ち帰りしてたと思います。
設定があるのもガイドを見て知ってたんで、即、台を押さえました。
確か、一万も使わず確変を引き、出るは、続くわで、10万ぐらい換金して、お気に入りの風俗に寄って帰りました。もちろん、パチンコ屋には4倍ぐらいにして返しましたが、楽しい思い出です。
福山昌作さん、コメントありがとうございます。
当時はどこにでもパチ屋はあったかと思います。先日、趣味であるプラネタリウムを観るため科学館へ行きましたが、繁華街歩いてもパチ屋は見なくなりました。
導入当初の源さんで、よく出てた台は確かに狙い目だったですね。この2回ループ機で当たった確変は誰もが憶えてる良い思い出かもしれませんね。
源さん、懐かしいです。世紀末の当時住んでいた石川では「設定1祭り」なるイベントが開催されておりました。
交換率は2円に毛が生えたくらいの低交換率だったので出来た所業なのかもしれませんが。
そのころトンデモなく出てるのを見に行くとだいたい源さんか浜ちゃんだったなーと思い出します。
大工の源さん懐かしいです*\(^o^)/*
某梁山○さんで攻略打法を買ってる子もいました😂😂😂😂😂
今ホールにある源さんを¥1パチで一度だけ打ったことがありますが、全く違いますね💦
>白いシローさん、コメントありがとうございます。
いいですね、設定1祭りイベント!
そのイベントだけで台が埋まり、皆粘るから凄い出玉感になることが想像できます。
浜ちゃんも、連チャン仕様ならこれまた半端ない出玉感がありました。某店では浜ちゃん専用4000箱を用意して積み上げていました。その中に私もいたかも。
>おさとさん、コメントありがとうございます。
某梁山〇の攻略打法販売は、モンスターハウスやエスケープ(体感機使用)ならいざしらず、大工の源さんは明らかにインチキでしょうね。
今ホールにある源さん、数種類ありますが、韋駄天シリーズなら全く別物。しかし、PA元祖大工の源さん、の初代モードはかなり似せてありまよ。ただ、3源源が強チャンス目とかが異質ですが(苦笑)。
じゃじゃさん、こんばんは
丁度この頃自分はホールスタッフとして源さんを見てましたね👀毎日、朝からくる常連のおじ・おばちゃん
自分の席が決まっているように綺麗に満席✨その状態が長期にわたって続くんだから今の人気台なんかの
比ではありませんでした😱でも、一方でそのスペックと荒さ故に殺気立っているお客様だって沢山いた🤔
パチ人気の頂上を物語るような台!
それと御免なさい、煽りマイクで「甘釘調整!設定1です、お客様~」なんて随分適当言いました😵
>レギュラーマンさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
多分パチンコが1番活気があった時代にホールスタッフをされてたのですね。なら、いろいろな面白話もお持ちでは?と察します。
やはり金が絡みますから、この爆裂機を前にしたら一喜一憂の度合いが違いますね。さらに、それを煽るようにマイクで設定1です、には笑いました。
まあ、八兵衛も「次は当てるよ」とハズれるたびに言ってましたし(笑)。
3または5図柄のコンベアー高速で5または3でハズレた時の刹那、天国まで持ち上げられ奈落の底まで突き落とされた様な感覚は、今となってはいい思い出ですねw
私は結局、源さん確変童貞卒業できませんでしたが、トータルではちょっぴりプラスでした。
今思えば、台の見極めや立ち回りがちゃんとしてたんだなと、あの頃の私を褒めてあげたいですねww
禅寺丸さん、コメントありがとうございます。
おおっ!3または5の確変図柄でのコンベア高速をハズされましたか!これはお察しいたします。
確変当たらずともトータルでプラスとは、高設定台獲得など立ち回りが上手だったともお見受けいたします。
私は、花満開で3のスーパーリーチを外し、この機種で確変童貞卒業できませんでした。
人によって得意不得意台はあるもんですね。
花満開は、おそらく生涯で一番の出玉だったであろう台ですw
源さんといえば、当時バイト店員だった友人の停電の話とか、独自のオカルト打法で事務所につれてかれた爺さんの話とか色々あるんですが、機会があればコメントしたいと思いますw
禅寺丸さん、再度のコメントありがとうございます。
花満開で生涯最高出玉とは、いつも他人の出玉を羨むばかりだった身には羨ましい限りです。
大工の源さんで確変中に停電した時の喧騒は想像するに余りありますね。またのコメントお待ちしてます。
突然ですが昔通ってたホールは、台の上に大当たりの回数を表示するマグネット(シール様)のような物を貼ってました。10個並びで最初が黄色、次が青、緑、赤の順番だったと思いますが、赤の印が貼られた台は30回以上大当たりしてるのが、ひと目で分かるシステム(手動)笑…
今と違って当たり1回の出玉が多かったので、30回と言えばそこそこの出玉になります。当然ドル箱積みの時代で、別積みとかの技術(笑)も浸透してなかったから、マイホだと隣の人が離席出来なくなるという事態も😅
この緑、赤が見られる機会が1番多い機種こそ当時の初代大工の源さんでした。まだ初代花満開が現役でしたが、当時のパチンカーには大当たり確率より3回ループの突入率が魅力だったのか、後発の源さんは驚くほど支持されました。
データランプ導入で大当たりシールは無くなり、パーソナルシステムでドル箱も消えましたが、かろうじて自分の記憶は消えずに残ってます。昨日食べたものも思い出せないのに💦学生の頃やパチンコを打ち始めた頃のことは覚えてる。楽しかったんでしょうねきっと…それは曖昧(笑)じゃじゃさんのように辛い思い出も…
じゃじゃさんが書かれてる機種はもれなく打ってます。エピソードも思いも共感しかありません。当時あんな爆裂機を何故貧乏人の自分が打てていたのか?射幸心に煽られる若さ(馬鹿さ)はもちろん、結局は2.5円交換だったから店が回せたというのが大きいと思います。回る台は楽しい👍
最後にマグネットシールですが、40回以上大当たりして赤が無くなると次は白になるんです…白シール貼られた台の後ろを通る人は、まず例外なく二度見しますね(笑)🤣…その後はループしますが白を残して貼っていくので、爆裂台は一目瞭然‼️
しゃだいさん、コメントありがとうございます。
色別マグネットで大当たり回数を告知、いいですね。
当時2300個機が20回も当たれば、もうかなりの出玉。それが緑、赤ともなると、と言う感じですね。
例えば、赤シール当該32回当たりでホームラン、の経験ありました。でも、さすがに白は経験ないです。
テンゴ換金やラッキーNo制ゆえの回って当たり前台だからこそ、もありましたね。大当り毎に台の上部に札を差して5回、10回、20回と書いてある札に格上げ、というお店もありました。各台札だらけで遠めから見ても迫力ありました。
源さんの新台狙いは良くやりましたね。
別に設定1に期待してという訳では無く、釘調整のやり方がおそらくメーカー側も店側も初期は分からなかったからです。
今以上にブッコミ狙いが定石だった時代で、源さんは他がノーマル調整でヘソ釘を開けてしまうととんでもなく回ってしまう事を。
ブッコミ狙いを想定して試し打ちしたのでしょうが、源さんはノーマル調整だとワープ狙いをする事で下手したら倍くらい回ったのです。
ブッコミ狙いだと千円三十前後くらいの台が、六十回オーバーになる感じです。
それだけ回れば設定3だろうがオール単発だろうが、確率通り当たるだけで玉は増えて行く。
それだけ回れば出玉もほぼ二千五百発くらい有ったんじゃないかと思います。
単発でも、設定3でも確率分で当たれば五百発以上増える。
店員や店長が後ろに張り付いたりしてましたね。
他の台より倍以上回ってる訳だから当然ですが。
4日目くらいになるとヘソが閉まりすぎたり、ワープの甘さに気付かれたりで30回くらいになれば終了という事で、また他の店の新台を狙ってました。あの当時は新台入れ替えもそこかしこで有ったし、新台のヘソの開け方は今では考えられないレベルでしたから楽勝でした。
1日での最大ハマりも源さんで、3200回くらいだったかな?
それでも朝一10連オーバーが有ったからプラスでしたが。
今の若い子に話すと嘘だと思われるかもですね🤣
でもそれだけ回れば多分1日八回くらい当たれば負けないくらいの計算ですからまあ当然かと。
スロットのモーニングを取り、パチンコのモーニングを取り、そのプラス分からスタートしてこの源さんレベルの台を打てる…本当に良い時代でしたね^ – ^
トリプルキング最高さん、コメントありがとうございます。
なるほど、設定云々より、甘いワープのため回り過ぎる可能性があり狙い目だったのですね。
当時、新装からしばらくして手を出したのは遅かったのか。