皆さんおはこんちばんは。火曜日担当万回転です。

昨日、悠遊道の名物(?)困ったちゃん(?)コメンテーターであるHN田中氏よりこんなコメントを頂戴しました。

次にSPコラムをやるなら『パチ異世界』をテーマにして欲しい誰でも書いてる異世界転移話を「書き物のプロ」を名乗る悠遊道ライターたちは書き上げられるのかを見てみたい

変わるモノ 変わらないモノ/万回転

異世界転生っていうとラノベ?漫画?のフワッとした雰囲気しか知らないし、勿論そんなもの書いたことも無いんだけども、たまたまデジパチの撮影日だった事もあり、暇な通常時にちと書いてみようかと思い立ったのが本日のブログ。

普段と全く毛色の違うアレではございますが、1985年ごろにタイムスリップしたら……って想像だけで書いてみた、妄想短編「サッポロのビン生」。お暇潰しにどうぞ宜しくお願い致します。

 気怠い朝の通勤・通学ラッシュ。親父もタバコを吸う人間だったから慣れてはいるけど、ホームでポイ捨てをする連中を見てはイヤな気分になるところから今日も1日が始まる。

 大学までの道のりは片道2時間。朝が弱いボクはこれがとても辛かった。一限に出られる気はしないし、浦安なのに東京を名乗る開園して間もないディズニーランドの話で浮かれる同級生の輪の中にも入りたくない。

 大学はボクにとって心地よい空間じゃなかった。かと言ってサボることに抵抗がなかったわけでもない。だから、罪悪感すら忘れさせてくれる、喧騒に一人で紛れ込む事ができるパチンコ屋が好きだった。

 今日も通学途中、いつもの駅で下車。自動ドアが当たり前になりつつある中、観音開きのニューゆたか会館のドアを押し開いた。

 

 パチンコは話に聞く限り、新装開店が勝ちやすいらしい。でも、たまたま大学近くのホールで見かけた新装初日の人だかりは、あまりにも殺伐としていて、とても行きたいとは思えなかった。

 押し合いへし合い、ドアガラスを割らんばかりの勢いで店内に雪崩れ込む人たちは、自分とは別世界の住人。そう感じて以来、新台とそこに集う人々を避けてきた。

「これはちょっと……」

 竹の子族を気取る同級生も苦手だけど、素性も知れぬヤクザみたいな人たちはもっと苦手。結果、客付きもまばらな、ニューゆたか会館がボクの棲家となった。

 選ぶのは勿論ヒコーキモノ。

 学校に未練はないし、フリーアルバイターにちょっと憧れもするけど、取り立てて特技もないボクは、馴染みの中華屋さんで週2回、時給500円のアルバイトが小遣い。

 セブン機は勿論、一発台にトライする勇気もないから、いつも大分痛んでいるゼロタイガーや、新台入替の喧騒がひと段落したレッドライオンで時間を潰す日々だった。

 

 パチンコは釘を読むと勝てるらしい。パチンコで生計を立てている人をパチプロと呼ぶのだと、王様手帳で見た。詳しい事はよく分からなかったけど、この寂れたニューゆたか会館にも、なんだかいつも見る顔がいる。

 朝からマジマジと台を見ては、これぞという一台を選ぶのか、多分ボクが見る限り、いつも勝っているように見える。

 午後にお店に入った時は、大概その人が箱を抱えているから、同じ台を打てば勝てるのか?と別の日にその台に座ってみたりしても、ボクの戦績はイマイチ……というかやっぱり勝てない。

「パチプロなんて絵空事だろ…」

 そう思っていたある日、その人から急に声をかけられた。

「兄ちゃん、その台もうダメだからやめときな(笑)。ここ締まっとるの分かんねぇの?」

 ドキッとしてアワアワしているボクを面白がったのか、からかうような口調で次々とボクの知らない言葉を発するその人は、のちに吉田と名乗った。

 歳は一回りくらい上だろうか。以来、

「おう、よーすけ、また負けに来たんか(笑)」
「何ウロウロしてんの?やる台ないならアレいいぞ」

 と、気さくに声をかけてくれる吉田さん。

 ホールで顔を合わせたら、ボクからも挨拶をするようになり、吉田さんがいつも飲んでいるマックスコーヒーを差し入れしては、その都度他愛もない会話をする……。そんな関係が楽しくて、ますますホールに行く機会が増え、キャンパスからは遠ざかった。

 時々、夕飯をご馳走してくれたりもした。酒の味を教えてくれたのも吉田さんだった。お気に入りはサッポロのビン生。ビールなんて最初は苦くてしょうがなかったけど、吉田さんの話が面白くて、ずっと聞いていたくて口にしているうちに慣れていくのだから、ボクにもどうやら素養はあったらしい。

 そう言えば親父も酒飲みだったもんな。高校生の時に亡くなった親父と酒を飲む事は出来なかったけど、いつしか吉田さんをオヤジのように、兄貴のように、慕う自分がいた。

「今日は俺が教えた台で勝ったんだからお前の奢りな(笑)」

 なんて、別に教えてもらった台じゃないのにタカられたりもしたけど、釘の話、クセの話、機種ごとの違いや打ち方等々、吉田さんから聞くパチンコの話は目から鱗ばかりで、次第にボクも勝ち方のコツを会得できたのだから、たまにタカられる酒代など安いもんだった。

 

 そんな日々が半年ほど続いた頃―

 

「なんだ、これなら俺もパチプロになれるかも……アルバイトなんて馬鹿馬鹿しいや。」

 ボクは、天狗になりつつあった。そして、気付けば早起きも苦ではなくなっていたある日、事件が起きる。

「おいてめえ!その台はダメだ!ちょっとこっちこい。」

 普段、滅多に声を荒げることのない吉田さんの突然の剣幕に、恐々としながら店の外に出た。

「いいか、あの台は昨日ちゃん婆がやられた台じゃねえか。お前昨日も見てただろ?」

「いや、俺昨日は来てないし……」

「うるせえ!いいからあの台はちゃん婆に譲れ!」

 ニューゆたか会館の常連は何人もいたが、中でも「ちゃん婆」と呼ばれるお婆ちゃんは、いつもニコニコしているホールのマスコット的な方だった。

 ただ、どう見ても勝っているようには見えない。プロでも何でもないそんな人に、吉田さんをはじめとする常連の人たちが、いつも飲み物を差し入れたり、台を譲ったりしているのをボクは不思議に思っていた。

 そして、ボクは昨日、お店に来ていなかった。ちゃん婆が打っていたなど露知らず、ただ釘が良さそうに見えたから確保しただけ。なのに理不尽に怒られ、台を譲れと言われて正直ムッとした。吉田さんだって朝一は競争だって言ってたじゃないか。

 納得いかない気持ちのまま、台に置いたセブンスターを回収し、吉田さんにも、ちゃん婆にも一瞥もくれず店を出た。

 

 その後、ボクはニューゆたか会館から足が遠のき、他のホールでまだ見ぬ台、初めての環境で遊ぶ刺激を楽しんだ。

 初めは店によるクセの違い、ルールの違い、中でも2.5円と3円交換での釘の違いに戸惑ったものの、サボり学生に時間は腐るほどある。

 徐々に他店でも勝ち負けが出来るようになっていく、そんな過程が楽しかった。

 ただ、他店に吉田さんのような人はいなかった。

 何人か話す人はいたものの、皆どこかギラついていて、ボクから情報を引き出そうとする者、あからさまに利用しようとしてくる者……当初あれほど避けていたはずの、チンピラからの恫喝にもあった。

 そして、あの日の事がずっと喉の奥の小骨のように引っかかっていたボクは、久々にニューゆたか会館の最寄駅を降りた。

 ドアをくぐった先に吉田さんの姿を見つけた時、少しだけ逡巡したけど、勇気を出して自販機に向かい、マックスコーヒーのボタンを押した。

「お久しぶりです」

「……?」

一瞬、怪訝な顔をした刹那

「おー!よーすけ久しぶりじゃん。生きてたのか(笑)」

 屈託のない笑顔が、嬉しかった。

 夜の帳が下りて、久しぶりの暖簾をくぐる。

「あの時はごめんな。ちゃん婆にも、“あの子前の日いなかったでしょ”って怒られちゃってよー(笑)」

「いえ、ボクもあの時はすみませんでした」

「で、最近何してたの?」

 他の店でも勝てるようになったこと、そこであったイヤな出来事……サッポロのビン生を次々にあけながら、色々な話をした。

「でもボク、他の店で打って、あの時吉田さんが言わんとしてた事が分かりました。」

「マーク屋って言うんですよね。あんなのやる方もやられる方も気分が良いもんじゃなかったです。」

「そうだな。あと俺らみたいな連中はさ、結局、店と負けてくれてるちゃん婆みたいな人らがいてこそ勝てるんだよ。だから、常連さんには気遣わなきゃいけないんだよ。」

「それにお前、学校行ってねえんだろ?どうすんのか知らないけど、この世界じゃ派手にやっても自分の首を絞めるだけ、ってのは覚えておいた方がいいぞ。」

 その日、どうやって家まで帰ったか覚えていない。でも、この時教わった言葉は、ボクの中で金言になった。何故なら、その日以来、吉田さんとは2度と会う事が無かったから。

 

 吉田さんと飲んだ次の日も、ボクは朝からニューゆたか会館にいた。ちゃん婆にも久しぶりに挨拶できた。

 でも次の日も、そのまた次の日も、何度お店に足を運んでも、吉田さんはニューゆたか会館に現れなかった。他の常連さんに聞いても、誰も彼に何があったのか分からなかった。

 勇気を振り絞って、恩師に再開したその日を境に会えなくなるなんて……。微塵も考えていなかったからこそ、始めは「その内来るだろう」なんて気楽に構えていたのに、気づけば数年が過ぎてしまった。

 

 あれからボクは大学を辞め、結局パチプロになったが、細々と気楽にやるのが性に合っていた。

 パチンコは保留連チャン機がブームになり、業界はやれ30兆円産業だと持て囃され、テレビにまで取り上げられるようになっていた。

 必勝や攻略を謳う雑誌も創刊され、掲載された攻略をボクも少しは齧ってみたけど、そんな台に集う人々の空気感には最後まで馴染めなかった。

 そして、ニューゆたか会館もいつしか、新装だけ現れてはタバコを床に放り投げる、横入り当たり前、喧嘩上等な連中が跋扈するようになっていた。

 いつしか、ちゃん婆の姿も見なくなった。

 それからさらに数年後、パチンコはCR機の登場でさらに過激になったが、カードリーダーの設備投資に莫大なお金がかかるからか、そのタイミングでニューゆたか会館は店を畳んだ。

 

 吉田さんは今のパチンコをどう思うのかな。まだどこかで打っているのかな……。

 いつかまた会えたら

「なんだよ、結局大学辞めちまったのかよ(笑)」

 そんな風に笑う顔がまた見たかった。でも、吉田さんと最後に会った次の日、隣町で起きた交通事故の小さな新聞記事が、イヤでも核心に迫ってくる。

 亡くなった人の名前は吉田ではなかったけれど、この世界に集う人が偽名を使う理由も、今となっては理解できてしまう。

 だから、きっと再会の願いが叶う事はない。そして、パチンコ屋もパチプロも、すっかり様変わりして、今では吉田さんのような教えを説く人も数少ない。

「もうそんな時代じゃないんだよ…(笑)」

 吉田さんはそう言って笑うかもしれないけど、ボクは彼の言葉を胸に、今も銀玉を弾いている。サッポロビン生から黒ラベルに名前を変えた晩酌を、いつも楽しみにしながら。


■万回転 プロフィール

  • 1978年生まれ ♂ 
  • 累計15年間パチプロしちゃってごめんなさい
  • CR銭形平次の捻り打ち動画をアップしてしまいネットでプチ炎上した事を機に安田プロと個人的な親交が生まれ、悠遊道へ寄稿する事に
  • 色々あって完全にパチプロを引退。
  • 現在は悠遊道動画チャンネルの何でも屋

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