この頃…というか、1年程前からホントに身体の具合が思わしくなく、鬱っぽい状態が常態化しています。が、直ぐにこんな駄洒落めいた事を書いてしまうので誰からも本気にはされない。そんな水曜日の夾竹です。
リアルな体調不良だけでなく、『アホな事を口に出さないと死ぬ病気』も併発しちゃっているんでしょうか。教えて偉い人。
考えるところがありまして
流石に『自分より年長の近親者達が逝ってしまう事』が多くなってなって来ると、『僕の番も近付いてきたな…」のように、色々と考えてしまいます。とはいえ、可愛い娘も頼りないなりに立派に成長してくれたし『まぁ、もうイイか』って思えるようになったりしなかったり。
少し前の話ですが、実父を病気で亡くしました。手術の数日前に突然ウチの玄関先に現れて少し話したんだけど、いつもの様に厄介な事この上なかったなぁ…。(笑)
祖母も叔父(母親の母親と兄)も、数年前にそれぞれ逝ってしまいました。
血は繋がって無いけれど、弟の父親も不慮の事故の後、数ヶ月でこの世を去りました。
大好きだった父方の『おばあちゃん』が大腸癌で死んだのは30年以上も前でしょうか、その時は未だ60歳にもなっていなかったのかな。
とまぁ、今まで『付き合いのあった近親者』の訃報を耳にしても、心の中で『嗚呼、そうなんだ。』くらいにしか感じなくて、涙ひとつ流す事は無かったし、この先も直ぐには変わらない気がする。
でも最近になって、人間の屑みたいだった実父に関してだけは違う感情が湧いて来ている事に気が付いたんですよね。
ロクな仕事もせずに【ギャンブル大好き野郎】だった父は、幼少期竹が物心付いた頃から家に帰る事も少なく、帰って来たと思ったらずっと寝ていた。(今思うと、寝てるフリだったのかも知れないけど。)
当時住んでいた駅のすぐ傍の借家から出掛けたと思ったら『電車が出た後だったわ。ゲンが悪い。』とか、幼かった頃の僕には理解出来ない理屈を捏ねて、また暫くしてから出直す。という、屑みたいな人。そもそも【ゲン】ってなんだよ!【縁起⇒ギエン⇒ゲン】なんていう成り立ち何ぞ『ザギンでシースー』すらも知らない未就学児にゃ判らないってば。
ともあれ、今ならなんとなく理解は出来なくもないけど…。
きっと、何処かの地方競馬の馬券とか買いに行くのに縁起を担ぎたかったんだろう。残念な事に『あの頃の親父』より随分と歳を喰った息子は、その手のオカルトには否定的です。
少し後悔はしています
父親が逝ったと報せがあった時も、いつもの様に『嗚呼、そうなんだ。』『幸せな人生だったねー。』って思った。なんの心の揺れも無かった。
常識が通用する人なら『自分の配偶者とその子供達』の事をこの世で最も大切にしなきゃならないハズ。だが、そんな『大切にすべき存在』すらも口先三寸でいい加減に扱ってきた生涯。それは彼にとってどんな風に映っていたんだろうか。
最期には辻褄の合わない事を言って周りを困らせていたらしい。きっとその内の何割かは、僕なら理解出来たんだろうけど、今際の際に理解者が居ないまま【その時】を迎えてしまった事も自らの業のなせるなんとかなんでしょうか。
ただ、義理ゴトとしての親父の葬儀に参列する気は起こらなかった。
親戚達が仕切っている手前、親父の事をあーだこーだ言われるのを阻止出来ないし、それをその場で聞いていられる程の人格者には、僕は未だ成れていない。
その時にどこまで頭がしっかりしていたのかは親父本人ですら判っていなかったのだろうけど、きっと最期の瞬間かその手前辺りに【後悔の波】が押し寄せたに違いない。
まだ、もう少し時間があると思われる僕がそう思っているんだから。
そう言えば、わいの父親は(も?)屑みたいな人で、自分の物は自分だけの物、子供の物も自分の物で本当にどうしようもない人だっけど一つだけ学んだ事がありました。
あんな人にはなるなって(笑)
2ヶ月後、楽しみだな(*σ´ェ`)σ
親父は“二日寝て二日起きる”というのを何度か繰り返し、ある朝起きて来なくなりました。起きている間は私たちには見えない誰かと話をしたりしてましたから、その人に見られながら話ながら逝ったのかも知れません。
“年上の近親者”もあらかた居なくなり、“タメ”や“年下”の友人の見送りも何度か。どの時も泣くことは無かったけど、唯一40いくつかの時に2個下の友達の葬儀の時には「自分の涙の総量がこんなにあったのか!」と驚くほど感情が揺さぶられました。
順番がも少し後なので自分の時のことはまだシリアスには考えられませんが「実際どうなんだろうね、夾さん、どう思う?」てな感じ、「こんな風がいいなあ😉」って希望はあるんだけどね😃。
んと、“ちばれい”、ありがとね😄
血が繋がっていると、他人には気付かないであろう所も変に気付いてしまいますよね。
とにかく調子のいいことばっか言って、他人にはカッコつけたがるウチのクソオヤジ。端的に申せば、嘘つきでワガママ。
周りからは評判がとれても「まーたテキトーなことほざいてんなぁ。またオレが尻拭いかよー。」ってのが常日頃。
それと同時に、そんな遺伝子が我が身にも半分入っていることにゾッとしてしまいます。
こんな感情を携えてる以上は、クソオヤジの臨終にどんな対応をとったところで大なり小なり後悔はするんだろうなとは覚悟しておりますね。
まさおchan
今思うと親父の呪縛から逃れる為の幼少時代でした。
ギルBさん
千葉麗子さんに関しては当時チラッとだけ舞台と楽屋の間で
見掛けた事がアリマス。手を振り返してくれましたw
禅寺丸さん
凄くわかりみが深いw最期の瞬間までまだ時間があると思い込んでふざけてイキます。
自分も親父は大嫌いだった、いや大嫌いだけど死に際は看取りました。脳幹出血で倒れて(パチンコホールから救急車笑)病院に行った時は既に意識はなく、親父との最後の会話が何だったのかも思い出せない。それからちょうど3ヶ月後に死んだけど、まあまあ息子孝行かな?何ひとつ財産は残してないけど、あのまま寝たきりで長生きされたらこっちが保たなかったかも…とはいえ死んでくれと願うわけにもいかず
落ち込むだろうなと思ってたお袋は葬式他諸々の流れを終えると意外に元気そうで9年経った今も健在…女は強い
親父が大嫌いな俺だけど、いちばん理由として確かなのは自分が似てるからだと思う…こんな奴に似てる自分が嫌い→大元の親父が嫌い…結局血の呪縛からは逃れられないんだよ
しゃだいさん
親父の事が嫌いになる程に一緒に居なかったので、憎たらしいヤツって感じですかね。自分が似てしまっている箇所を見付けて勝手に苦しんでしまうのは、どんな親の子もそうなのかもしれませんね。