またもや、真夜中におはようございます(執筆時間帯準拠)。

相も変わらず、水曜日の夾竹です。

坂道の途中

この二週間ばかり、リハビリテーションとしての散歩の仕方を見直しまして、そこそこハードな坂道も取り入れています。

まぁ、そもそも我が地元の地形が山に囲まれている盆地でありまして、どの方角に向かっても少し歩くと直ぐに坂道に出くわすんですよね。

そして、ハードな坂道ではあっても、そこを歩くと思い出す事がありまして。

幼い頃、祖母と暮らした建物は【連棟住宅】で、持ち家なのにいわゆる【長屋】でした。建築基準法が僕の知らないうちに改正されていなければ、確か見た目も建築基準法上も、まごう事なく長屋ですね。

その家も、国道を脇にそれ、とんでもない勾配の坂道の更に脇道の細い坂道を上がった所に建っていまして、『夾ちゃん』と呼ばれていた頃の幼少期の僕の足腰を鍛えてくれたのです。

そんな記憶があるからか、坂道散歩に連日勤しめている訳でして、実際にその家の近辺に出向いてみると小学校の頃の想い出と共に複雑な想いが込みあがってくるワケで。

泣きこそしないものの、なんとも切ないことこの上ない。

ジジイが切なくなっているだけなんだけどね

幼い頃の思い出もさることながら、最も衝撃的というか大きく感情が揺さぶられたのが、例の国道から逸れた坂道を登りきって、更に左方向に下った先にあった駄菓子屋が完全な空き地になってしまっていた事。

小学校で使う様々な文房具から黄色い帽子や名札なんかも置いていて、小学校の外にありながらも購買みたいな立ち位置も兼ねておりまして。

そのお店の近所に住んでいた頃は、恐らく毎日通っていた店。

初めてパチンコのアレンジボールや雀球に触れたのも、その店先でした。

手打ちで1玉づつ弾いて、狙った番号やら、牌を狙って麻雀の役を狙うと言う遊技性なんだけど、その当時の僕には難解過ぎて、そんなにハマらなかった気がする。

もっぱら、カレーせんべいとチューブに入った10円のチューチュー吸うアレがお気に入りで、そちらにハマっていましたね。あとは、アオシマ教材社のプラモデル『合体シリーズ』とかも良く買いに行ったなぁ…

そして、正月に一人でその店に行ったとき、店のおばちゃんが可哀想に思ったらしく、何故か売り物でも無いカップヌードルを食べさせてくれた事があって、今思い出すと流石にチョット泣きそうなる。

歩きながら想い出さない様にしないと、小学校の傍で泣きながら歩いているオッサンを見付けたら、高確率で通報される案件だしね。

その駄菓子屋が閉店したしまった事自体は知っていたんだけど、綺麗サッパリ建物も解体されていたのは最近まで知らなかったのよね。

阪神淡路大震災で店内がぐちゃぐちゃになって、『おばちゃん』も亡くなってしまい…それからでも30年近く経ってるんだもんなぁ…。

近くに『おばちゃん』の娘さんが住んでるのは知ってるし、一応数年前に偶然会ったことがあるから、折を見てお墓とか教えてもらおうかな。

生きている間には伝えられかったけど、独りよがりでもいいから伝えたい。

「あの頃の『夾ちゃん』は実年齢以上に老いてしまっているし、後悔の割合が多い人生を歩んでしまっているけど、今は正月を独りで過ごさなくてイイ程度には幸せですよ!」って。