前回のノルマ販売編でのあまりのブラッキーぶりに驚愕された方もおられるかもしれませんね。そして総合スーパーって年々売り上げダウン傾向により、社員1人が担当する品種が増えるもの。誰かが辞めて人員の補充無し、も普通。
私が担当した玩具売り場も同様で、入社8年目に玩具と文具を兼任することになりました。さて、この文具は週2発注週2入荷のサイクルです。月曜に発注し水曜に入荷。木曜に発注し土曜に入荷。
つまり、水曜に入荷したあの細々した沢山の文房具を全て品出し陳列し終えないと、木曜日発注ができません。土曜入荷もその日に陳列し終えないと1番売れる日である日曜日への対応ができません。その慌ただしさは月曜週1回発注の玩具の比ではなく、レジを見ながら商品出し。お客がレジに向かえばレジへ飛んで行くというストレス業務が当たり前となりました。
もう、玩具商品を脚立使って天井からつるす演出する時間など、無くなってしまいました。また、クマさん応援団長を実演する余裕も無くなりました。そう、あの音と動きでもって楽しい売り場にするおもちゃ屋さん、の時代は終わりました。でも、おもちゃ専門店がそんな売り場になっていないのは体たらくである、とは思ってます。
まだ玩具主任なりたての頃、公休日に大阪の問屋さんまではせ参じ、倉庫に入らせてもらい、カタログでも見たことが無い沢山のプラモデルとジグソーパズル。その中から売れそうな物を片っ端から台車に乗せました。私が選んだプラモデルとジグソーパスルは絶対に売れる変な自信がありました。
いつ行っても売り場に同じプラモデル、ジグソーパズルしか並んでないって面白くない。自分で仕入れた商品を並べる楽しさ。そしてそればかり売れるあの感覚。そして仲良くなった問屋さんに案内され、大阪の専門店調査へ行ったりもしました。担当のOさんからは年末商戦時の品出し応援を優先してしていただいたりもしました。でもやがて昔話になりました。
多くの玩具の問屋さんは潰れてしまいましたが、仲良くしていただいた担当者さんを忘れることはありません。
そして文具では学習机も扱います。入園入学シーズンに、鉛筆お名前入れの承りをします。ランドセルも扱います。年末に向け、年賀状印刷も承ります。この年賀状印刷は承りから運送、入荷確認、入荷連絡と、その管理をしっかりしないといけませんので気が抜けません。そうでなくても玩具地獄の年末商戦と重なりましたし。
その頃には年中無休営業、つまり元日も営業(それまでは正月2日からの営業、でしたがそれでも大変でしたし、正月にクソ忙しい思いをして働いた見返り日なんて皆無)となり、元日のチラシに学習机やランドセルが入るのが普通になりました。
机や椅子の組み立ては手間暇かかります。12月25日まではクリスマス商戦のためそっちに没頭。そして年内最後の公休日となる12月26日にわざわざサービス出勤してでも組み立てないと、元日のチラシに間に合わせるためにはどうしようもありません。
高熱をおしてサービス出勤し、寒いバックルームでもくもくと机の組み立てをした年もありました。ちなみに勤務した17年間で体調不良などで休んだ日などは皆無。言い換えれば、私がいないと売り場が崩壊するの念が常にありました。
君が居なくてもどうとでもなりますよ、とはよく聞く言葉ですが、現場経験の無い戯言(ざれごと)だと思っていましたし、他の病欠の多い社員に対して怒りの念が無かったというと嘘になります。這ってでも出てこい!と口から出そうになるのを堪えてました。
そして机の販売は全て私が配達&組み立てを行いました。そう、ひな人形は4個口の箱のまま配達で良かったのですが、机はそういうわけにはまいりません。
そして子供部屋って2階が多い。机の外箱には2人で運搬と書いてありますが、そんな人員の余裕など無く、丹後ちりめんを織る音がする古屋のツルッツルの階段を滑り落ちそうになりながら気合で2階まで持って上がり、外は降雪というのに汗だくになりながら組み立てたものでした。
また、アパートゆえ玄関の間口が狭く、机が入らないので玄関のサッシのネジをハズして入れたこともありました。そしてパートさんは16時30分まで勤務なので、それに間に合うように帰らねばなりません。なので運送途中で、サービスのマットを乗せてなかったことに気づいてももう取りに帰る暇などなく、仕事帰りに自家用車で再度持参したこともありました。
そして机は売り切りが必須条件。最後は叩き売り状態となってでも完売しないといけません。売れ残るのはデザインがイマイチなヤツ。そして最後に残ったのが私の長女の部屋に置かれることになるのは性(サガ)かもしれません。私が、「これシンプルでいいやつやで」も家内は「全然かわいくない」に平身低頭。
さて、「戦争だった玩具売場の年末商戦」から始まって、ひな人形、自転車、TVゲーム、QCサークル活動、人気商品、季節商品、ノルマ販売、文具・学習机と、休息無しシリーズを書いてきました。
ここまで書いてきて想像ができると思います。私が辞めた理由が。1人の人間にできる仕事には限界があります。耐えうることができるストレスにも限界があります。玩具や文具の品出しをしつつレジを見つつでは、向こうにある自転車コーナーの接客などできるわけがありません。そしてプラモデルコーナーの整理をすると箱がやけに軽い。そう、中身空っぽつまり万引き。もうやられ放題。ストレス溜まり放題。
辞めたら売り場崩壊することは分かっていました。一番の決め手は店長からの言葉「店長になってほしいと考えてる」。飼い殺しにされる訳にはいかない、条件反射的に思いました。
退社して2年後、最後に勤務した店舗の4階にあった玩具・文具売り場でしたが、その4階フロア自体が売り場閉鎖されてしまいました。ちなみに入社し最初に勤務した玩具売り場が5階にあった店舗は、今はもうお店自体がありません。
余談ですが、家内が務めた紡績工場。入社して間もなく、年齢も近い上司(男性)からこんなこと言われたそう。「お前なんか〇んでしまえばええんや」
やはり、昔はどこもブラックだったということか。ということで、この休息無しシリーズも次回をもって最終回となる予定でございます。