毎度どうもです、水曜日の夾竹です。

未だに貴方野チェロスさんからは『キョウチクさん』と呼ばれてしまいます…いや、そんな事はどうでもいいんですがw

いつもの散歩中に

先日、いつもの散歩(DQW)中に、街中にある川沿いの遊歩道みたいな場所を歩いていたんですよ。

その遊歩道は、人間同士ならすれ違う事の出来るであろう幅しかなく、車道とは完全にガードレールや柵なんかで分れているような感じです。

んで、そこをおぼつかない足取りで歩いてたら、後ろからチリンチリンとベルを鳴らして近づいて来る誰を背中で聴いて、左端に身体を寄せようとしたんですよ。

でも、少し左に寄ったらフラついて、右足だけ中央に寄ってしまう。そんな事を2,3度繰り返している最中も、延々と自転車のベルは鳴り続けている。

心の中では『うるせえよ、この幅はどう見たって人間専用だろ、車道を通れよ。そもそも、そのベルは『退け!道を空けろ!』ってつもりで鳴らしてるよな?交通ルールに違反してんだよ!』ってイヤな気持ちに支配されていく。
※編集注記:道路交通法第54条第2項において「車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。」と規定されており、退いて欲しいという意思表示の為に用いるのは道交法違反となる。

業を煮やしたのか、背後からヨロヨロ竹の脇をスレスレで抜かして行ったのは、パッと見た目は小学生男子。しかも少し離れてから思い切り睨んでたw

仮に、僕がいきなり振り返って掴み掛かる様な恐ろしい人だったら、どうするんだろう。殴られてから「僕は何も悪くない!」とか言いそうで恐怖を感じる。怪我させられてからじゃ遅いんだよ?でもまぁ、見掛け倒しのオッサンで良かったね。

・・・ひょっとしたら、僕の後ろ姿が元気なオッサンに見えたのかな?『コイツなんでさっさと退けないんだよ!さっきからベル鳴らしてのにィ』みたいな。いや、想像でしかないからやめとこう。

男か女かなんてどうでもいい

彼も、ホントは小学生ではなくて中学生くらいなのかも知れない。

以前、娘が6年生だったかの時に授業参観に参加させてもらった事があるんだけど、明らかに幼い感じのカナリ背も低い男の子が何人か居て『なんで、低学年が混ざってんだ?』って不思議に思った事があるんですが、後で確かめたら同じ学年だったって事もあるし、逆に身長が170近くある女の子も同じく運動会の時に体操服姿で見掛けた事もある。

先程の【チャリンコベルマニア】だって、勝手に男の子だと思ってるけど、生物学的にどちらかなんて判らないし、このご時世だと心の性別とか更にはどちらでも無い可能性だってある。

なんかそんな事を頭の中で考えていたら、『【ベルマニ君】も、僕が立ち止まってあげたら、スンナリ追い抜いて行けたのかな…』とか、自分の行動がベストでは無かったな…と、気付けました。

とはいえ、彼があまりにも無知なままで居たとしたら、近い将来イヤな事が待ち受けているのかもしれない。

まぁ、免許を取れる年齢になって座学を受けた時に気付きを得るだろうし、それまでの意識醸成は周りの友人や大人達に任せるとしよう。強く生きろよ!ベルマ君。

多様性ってなんなんだよ

それにしても近年【多様性】ってのが幅をきかせておりますが、如何なもんでしょうね。

端的に云うならば、何も決められない世界になる気がして仕方ないんですよ。

病気や怪我で困っている人の事を考えて行動したり発言するのは当然だと思うんだけど、各人それぞれの嗜好やら考え方なんかに必要性以上に寄り添うってのは、なんかねぇ・・・。

単に、僕の頭がアップデート不足なだけなのかも知れないけれど、ちょっと急ぎ過ぎてないかい?

ほんの少し前まで『家事は女がやるべき』とか言ってた上に、大多数がそれを是としてたハズなのに、それがクルッと手のひら返し、もっともらしい事を述べて【旧態依然は悪!今はこれが当たり前!】を連呼して正当性を主張するのは無理ゲー感が強すぎだと思うんですよ。いや、最終的に目指すところがソレだとは理解できるし動き自体は間違っていないとも思えるけど、何と言うか『極端』なんだよなぁ・・・。

例えば、女性を軽んじる様な考え方はカナリな昔から欧米諸国ではあり得なかったらしい。けど、奴隷制度や民族間でのゴチャゴチャは今なお存在するし、黒人差別は無くなっていない。

日本でも、被差別部落の問題が未だに形を変えて続いてるし、アイヌの人達の事だってそうでしょ?いわゆる、日本人同士でも自分が生まれた土地以外に棲む人達や地方そのものをお互いに差別的に見ている人も大勢居るのが現実。

その辺を思うと、何だか聖人君子を気取りながら綺麗事を並べて、一見すると丸く収めたような感じにしたいだけのかな?なんて思ってしまう。もっと辛辣に言えば『声のデカい馬鹿が言いたい事言うのが多様性ってヤツですか?考えうる全ての方面を見て、考えて行動するのが多様性ですか?』と。

一生グルグル首廻して何処にも進めない気がしてならないんですよ。困っている人が最初から困った状態にならない為にとか、そんな事を考えるべきなんじゃないの?と。

今、必要以上に声高に多様性を訴えるヒトを見ては、ほとんどが『これで免罪符を手に入れられるぜ!』って内心思っていそうな輩ばかりに見えているんですが、それは僕の頭が変なんですかね。

『言ったもん勝ち』とか『書いたもん勝ち』みたいな考えはもうヤメにして、俯いて自分自身を疑ってみるのも時には必要なんじゃないかな?

考えて考えて、その先に辿り着く答えがきっとあると思います。

戦争という名の殺し合いはまっぴらごめんだけど、噓で塗り固めて取り繕ったような平和を目指しながら人間の心がゆっくり腐っていくのもヤだなあ・・・。