うん、コイツは辛気臭い作業をやり続ける台だった。
デジタルが回るのはスルーを通って電チューが開く1秒程度の間に拾われた時のみ。一定間隔で電チューを2個(だったと思う)ずつの打ち出しで延々と狙い続ける。

それで、もっと以前の似た機種はスルーは通りっぱなしが普通だったのだけれど、この時代には電チューばっかりに目を向けていると、小デジの保留が途切れて電チューが開かなかったりね。

初打ちは「回らんなあ」~「なんかやろうにも、小デジがどこかわからん!」だったけれど、2度目の挑戦直前には電チューが開くシステムを女流攻略プロとして名を馳せた七瀬はなさんに聞いていて、そのままやめずに一日中試行錯誤。
これはどんどん悪化するホール状況に危機感を持っていたのと、当時仕事絡みで知り合った技術介入メインの打ち手さん達と話す機会が増えていたのも理由だ。
「この先はわざと店が用意してくれる撒き餌もなくなる。ならば、別の手を探さねば」
って感じ。

結局、この努力は実を結んだ(自画自賛で失礼)。その日のうちに手順はだいたいできて、あと数日でマスター。後々3軒をローテーションして、数カ月は安泰の日々が続いてくれたので。

あっ、もの凄く露骨に打ち方を見ようとする人がいて、「絶対見せんぞ!」なんてこともあったっけ。 星明子状態やら、隣に座って打たずに見るとかは、完全に逆効果だろうにねえ。

もうメディアには元祖一千万プロのマコトプロやとよまるプロも登場していた時代、こんなに長持ちしたのは強力な攻略法があったアラジンへ流れたプロが多かったからだと思う。
「エリちゃんなんてかったるいのはやってられん」ということでね。

スルーの抜けがギリギリの台ばかりだったので、先読み予告や残りのメイン&小デジ保留を考えて、極力無駄な電チュー開放に繋がる打ち出しを減らす小細工をしたのも、多少は効果があったかもしれん。

また、通常時は前述の通りにひたすら止め打ちだが、当たってからも電サポ中の玉増やしをする関係で(やや楽になるが)、やっていたのは一日中止め続ける作業。
「どっかの工場でラインの流れ作業をするよりは期待時給はずっと上だから」
と、羽根デジでも突破型ゆえの荒さに耐えて、自分を納得させながら打っていました。