「君には聞きたいことがいっぱいある」

こんなセリフを言われたら、もう恋の予感しかないでしょう

だってこんなの、愛の告白か、何かドデカイ事をやらかした犯人への尋問しかないからです

アンドレ氏からの挑戦状はこんな一言から始まりました。

聞きたい事は文章やテクニック、攻略に対する云々ではない、その情熱は一体どこから来ているのか。浅いと言えば浅すぎるそのキャリアの中で、めまぐるしく変化していく業界において、あれやこれやと挑戦する、一体パチンコの何が君をそうさせ、突き動かしているのか。

これには複雑なものが絡んでいる気がします。おそらく全く回答になっていないかと思いますが、以下に気持ちを書き殴る所から始めます。

これは深夜に書くラブレター
明け方に書き終え、時間をおいて読み返せば顔から火を噴くラブレター

パチンコではてんでバカみたいな事を書き続けていますが、私は50で、もう小娘じゃない。
かといって堂々と語れる年でもなく、やっぱり中途半端な人間ですが、人の心の揺れ動きや、世の中の移り変わりをそれなりにでも見てきました。
パチンコだって楽しいだけじゃない、私に対する、常連客たちの見下すような目も、すれ違う時の舌打ちも、ひん曲がった口元も、見えていないわけではありません。

文字通りの意味で支離滅裂。段落もへったくれもない。句読点はいつにも増しておかしく、ですますもデタラメ。

それっぽいの書けるんだぜって安い自己顕示欲、垂れ流し、こんな事が関係あるのか、散見される矛盾に違和感・嫌悪感。わかっちゃいるけど、今回だけは甘えさせてください。不親切と言われたくない防御心で、7887文字あると先に申し上げておきます。


やばい!
そう思った時はもう、落涙していた。

ようやく終わるのかと思いきや、シーズン2に突入した歯医者通い。その帰り道にあるサブホに寄るのが、もはや毎週のお約束と化している。

1パチの『偽物語』が目に入った。前日にえぐいハマリで終えている台だった。

そういえば秋葉原で初打ちしたっけ。前作『化物語』は、見たことない演出はもうない!と言い切れるほど打ち込んだのに、偽物語はあれから打ってない。
4パチのミドルには手を出しにくいが、1パチなら貯玉もあるし、再プレイ分だけ楽しんで打とう。

回りはよくなかったが、それでも演出を見てみたいと続けて打つ。
何も難しい事を考えず、メモも取らずただひたすら打っていたい。こんな日があったっていいじゃない。

そんなゆるいノリで0回転から打ち出して、44回転目。いくつかの青保留を経て、青から変化した緑保留。

 緑では当たらない

そう思い込んだ私は、かつて点滅保留でさえも「わからんよ!」「あるよ!」と言っていた瞳ではない。
こみ上げる自虐的なセリフを飲み込んで、寂しく笑う。

友人に「色保留がよく出るけど、そういう”煽っていくスタイル”なのかな偽物語って。」と書く。「いま、緑だよ」と付け足して送信。
「当たらないよねー」と返ってきた。

演出は淡々と進み、原作を知らない私は「貝木て誰やねんな」などと思いながら流れを見ていた。
すると炎に包まれた「激引け」が出て、赤いシャッターが閉まる。

おやっ?
「でも外れるんでしょう?」なんついながら、展開を追う。

するとしれっと揃うではないか。
嘘でしょ、と思わず声が出た。

ナニこんなすぐ当たってんのと、あわあわ慌てるのは相変わらず。緑からの大当たりは、ビックリして何の図柄で揃ったのかわからなくなってしまった。
なんとなく「単発であろう」と踏んで、100回の時短を消化していく。そういえば秋葉原でも早めに当たったなぁと思い返しながら。

時短ももうあと数回という終了間際、丸いキリンのシルエットとボタンがうっすらと浮かんでは消えていく。

嘘だよねと思っていたら、キリン柄に包まれたボタンがハッキリと登場して、それが777となった。

そんな感じであれよあれよが続く中、画面上に「次にMAXボーナスを獲得するとスペシャルムービーが選択出来るようになる」という案内が出ていた。

ヒロインとのバトルでMAXを獲得したので、選んでみる。

偽物語は見た事がないので、「白金ディスコ」くらいしか曲は知らない。

アララギくんと妹たちとの微笑ましいエンディングムービーを見終わると、ヒロインの可愛いカットが映し出され、ある曲が流れてきた。

 仲良しの男の子だったのに…

surely

化物語で何度となく聞き、一緒に歌った曲がふいに流れて、私は胸がいっぱいになってしまった。

一瞬にして、
一瞬にして、4年前に戻ってしまう。

辛い出来事を忘れたくて、初めて打ったパチンコ。リングで掴んだオスイチのビギナーズラック。

好きな機種は沢山あるけれど、「化物語」は私が1パチ時代に最も打ち込んだ台。

マイホの常連客ダーイシと好みの機種がかぶっているせいか、1台の化物語をめぐる争奪が何度かあった。

ある日、ダーイシが止めた後で、空いた!と思って座り、打ち出してすぐ、するがちゃんがシュートを決めて当たった事があった。ダーイシが戻ってきて隣の席に座り、背もたれに頬杖をついて、私を睨んできた。

テレビ局の有名プロデューサーによく似ており、背がとても高くメガネの奥の瞳が鋭かった。子どもの頃から、父親を思い出してしまうのか、背の高い男性が怖い。

彼が止めた遊パチの化物語は、200回転ちょっとくらい回っていたと思うが、よく覚えていない。スペックの違いすら分からず、台のデータなんか見たこともなかったのだ。
でも今から思うに、いわゆる「ハイエナしたな」って事なんだと思う。
当時の私はハマりだとか、暗黙の了解だなんて知らないし、ただ打ちたかっただけなのにと思って、敵意むき出しのダーイシにひたすら怯えていた。

しばらくして鼻息か溜め息かわからないが、襟元に「フーーッ」と大きく息がかかって、私はビックリして席から飛び上がった。

店員の向井くんに「私、何かしちゃいけない事したのかもしれない」と言いに行く。
どうしたのと聞く彼に「化物語が打ちたくて、常連さんが止めたからすぐ座ったの。そしたらすぐ当たっちゃって……」といきさつを説明した。

「台を返した方がいいかな」「ルールとか知らなくてごめんなさいって謝った方がいいかな」と怖がる顔を見て心配になったのか「次にまたそんな事されたりしたら、ボクに言ってください」と強い口調で言ってくれ、私はようやく落ち着く事が出来たのだった。

surely

彼は小柄で、童顔のせいか実年齢よりもずいぶんと若く見えたが、その時のキッパリした態度で安心できたこと
そこから「ハイエナはしない」と心に決め、守ってきていること

「せ~の!」の撫子の曲を、カラオケで何度も挑戦するのに、ラップ調早口だもんで全然追いつかないこと
撫子と「STEINS;GATE」のまゆしぃのモノマネが出来ること

パチンコで出会った人たち、くだらない事と最高の出来事が、まさに走馬燈のように一気に流れてくる。

友の心の痛みを我がことのように思うのに、うまく返事が出来なかった
自分はとんでもなく冷徹で、自分だけが可愛いと思っている気がする
去って行った人たちの背中
逆に背を向けた私

頑張ってるんだけどなという、それはただの「つもり」なのに、情けない言い訳

自分の頬を叩いている

今の「初心者である」という武器は、やがて単なる「甘え」でしかなくなるんだぜ

surely

人生はすべてタイミング。
どんなに欲しくて手を伸ばしても掴めないものがあり、努力が必ずしも報われるわけではないと我々はいつしか知る。

もう二度と戻れない世界というのがあり、そして、どんなに愛しても、結局はみな一人で死んでいく。

どうした
さっきからこんな事が浮かんでは消えていく

私は聴覚障がい者で、今は補聴器をかけている。これまで色々な事があったが、今までそのせいにした事はない。
ないものねだりだとわかっているし、ちっぽけなプライドが私を支えているからだが、
でも、
たまに、
呪ってしまう時がある

なぜ小川のせせらぎを、小鳥のさえずりを、そして愛しい人のささやきが聞こえないのか。

大切な事はいつだって聞き逃すのに、パチンコの音は聞こえるので耳栓をしている。
不思議だね。可笑しいよね。まるで何もかもが夢で、嘘みたいな気がしてくる。

大きな水槽の中で私たちは眠らされ、終わることのない夢を見ているのかも知れない。

まるでマトリックスの世界、水槽の中には底知れぬ恐怖と、不思議な事に静寂への憧れも浮かんでいる。

surely

 やばい!
 そう思った時にはもう、涙はあふれ出していたのだ。

子どもの頃「やばい!」という言葉遣いに激怒し、車から私を蹴り落とし、腫れ上がるほど殴ってきた父親の顔を思い出すとき
ボトボトと血が流れる頭を押さえ、台所の床にへたり込む母親のそばで、ガタガタ震えながら「おかあさんだいじょうぶ?きゅうきゅうしゃよぶ?」と声をかけた幼稚園児の自分が見えるとき
ああ、子どもってだけでここから逃れる事は出来ないのだと、がっくりと肩を落としていた日々よ
今も尚、私の両肩にのしかかるつまんない問題たちよ

ひとつのきっかけが、4年を飛び越えて、どんどん自分の物語へ遡っていくパターン

どっぷりとヒロイックな感傷に浸るのは、かつて震える小さな女の子だった中年女

みっともない女だが、愛してほしい

愛してくれと頼んで、愛されるのなら、世間はこんなにこんがらがったりしない。

つい「だけがしんどい」と思いがちなあたしよ

くだらない自分を、くだらない自分が抱きしめている

surely

いつだったか、スーパーマーケットで見かけた男の子
自分の体がすっぽり入るだろうレジカゴを持ち、結構な量の買い物をしている。たった一人で。

どういう事情なのかはわからない。

何かがのっかるその小さな背中を見つめ

「がんばれおにいちゃん」と心の中で声を掛けた。

何の役にも立たないが、でも願わずにはいられない。
どうか子どもの頃の私がそうであったように、やさしい大人たちと出会えますようにと。

皆さんにもいるだろう人生の指南役であった大切な人たちが、私にもいる。

大阪曾根崎でホステスをしていた若い頃、物書きになりたいと言った時、客たちが「いいお嫁さんにもなるんやで」と笑う中、たった一人「それはええ!しっかりやるんやで」と応援してくれた人がいた。

まっちゃんええか、どんな小さな事もやるんやで。誰かが必ず見ている
不思議なことに、小さなものほど、見られているものなんやで

だのに思えばぐうたらして、お嫁さんには一度なったけれどまたお一人ぼっち様を選び、うすらぼんやりと40代を過ごしたような気がする。そうやって自分を甘やかし、失われた10年はもう返ってはこない。
だからなのか、パチンコとの出会いからこっち、必死にたぐり寄せている気もしてくる。

彼の年をとうに越えた私は、何かを得たり失ったりしながらパチンコに出会い、パチンコ必勝ガイド誌の「つぶれてたまるか!」で、絶対神となる安田プロを知った。わらわないでください。オーバーな表現でもなんでもない、預言者を見たのだから。

まるで私だけに語りかけてくれているような気がする、この感覚。出会いはいつだって雷にうたれたような衝撃を伴う。

読者の参考になるように、そしてパチンコだけではない、ものの見方や心の持ちようが綴られていた。30年を越えるキャリア。しかしそれらは決して押しつけがましくなく、「こんな風に考えるのもいいんじゃないかと思うんだ」という静かなもので、私の中にすうっと入り込んだ。実戦DVDでは、ステージ上でゆらゆらする玉を指し、こういうのは、あまりクセのいい台ではないよ等、毎回必ずあるアドバイス。千回ハマりの女性ライターに「回るのなら仕方ない」と優しく声を掛ける。知れば知るほど、敬愛が心酔へと深まっていく。

surely

多くの方々が、業界が衰退していく未来は見えていると言う。

悠遊道の動画で一番ハネたのが「ライター来店の是非」である事の興味深さ。

規制を前にして、現在、飽和状態とも言える状況にあるライターや演者たちは、あるふるいにかけられ、やがて一部を残して淘汰されていくと森本レオ子さんが予想されていた。

そうでしょうか。そうでしょうね。その「ふるい」が何なのかはもう、私のような者が言わずとも見えています。

アンドレ氏からの挑戦状には、続けてこうも書かれていました。

「パチンコ人口の問題を考える時、答えにつながる何らかのヒントがもしかしたら」

私はいつだって文字に恋してしまう。この一言でアンドレさんが大好きになりました。私を通して、業界の行方について触れている点です。人口減少や高齢化社会はわかっていたこと。政府は先送りしてきたツケをいつか払わねばならない。今の業界はそれと同じこと。

この業界に寄せる心が、安田プロと同じだった事に驚き、そして感激したのです。

業界に長く生きてきた者だからこそ、恩返しではないが、そこには反省も含めて、色々と考えて行きたい。それは悠遊道を興した安田プロの、想いの中のひとつと一致しているというわけです。

いつだってトンチンカンな私なので、期待外れになる可能性しか今のところ見えていませんが、かつて傷だらけだった子どもの私に、周囲の大人たちが手を差し伸べてくれた事を思い出しています。あたたかい心で、守られている。今の私はとても恵まれているということです。大好きな店があり、仲間ができて、素晴らしい師匠たちがいる。それを活かさないでどうするのか。

キャリアが浅くても、バカでも、素人ならではの無神経さが鍵となり、思わぬ扉が開くかも知れない。おこがましいが、もしかしたら私にしか見えないものがあるかもしれない。負けたって、パチンコが楽しくて仕方ない。自分の範囲内で遊ぶなら、パチンコは自由だ。楽しみ、教わりながら、周囲をじっと見つめていく。自分の役割が一体何なのかを考え続けることが、無駄ではないと思いたい。こんな調子でも、できる事があるのならやってみよう。見守ってくれる皆さんと、読んでくださる方々に心から感謝し、そうして私はまた走り出すのです。

surely

 やばい!
 そう思ったらもう……

サブホからマイホに行くつもりだったのに、加齢でどっかの神経がバカになってんのか、一向に止まる気配を見せず、自転車を漕ぐ足も止まらなかった。花粉症のふりをして鼻をかんだり目をこすってしょーもない小芝居をするも、そんな事では対応できないくらいにこぼれている。

知らない路地に入り込んで、ひとしきり泣きじゃくった。越してきて20年以上も経つのに、近所にこんな路地があったんだという冷静さに呆れながら。デトックスだなんて言葉は遣いたくないが、自分を慰める時間があったっていいだろう。

だってこの涙は、初めてパチンコを打ったあの頃に流した涙とは違う種類のものだから。あの時と違う温度を持って私を濡らしているから。

みっともなく転び、でも嘘だけはつかずに想いを書き続ける事が、いつの日か何らかの意味を持てば嬉しいんだけどと思う。あくまでも希望。
映画『ショーシャンクの空に』で、モーガン・フリーマン扮する囚人レッドが刑務所内でこう言う、「希望はここでは危険だ」と。でも「希望は誰にも奪えないものだ」とアンディは答え、その言葉は美しいラストへとつながっていく。

みんなに物語がある。ふいに「誰にも人生があるのだな」と思えて、胸がいっぱいになってしまう不思議な感覚を「恋すろっと」で書いた。

SNSではプレイヤーたちのあたたかな交流がそこかしこに見られ、勝っても負けても楽しんでいる大人が大勢いる。そんなやりとりを眺めるのが好きだ。

心を支え、マイペースで楽しんできている自分を、たとえば依存というひとつの名で呼ばれたくないと言う人がいる

目に見えている世界だけでない何かが実はあると信じている、自分はその中では自由に飛び立てるのだと言う人がいる

自分を楽しませてくれるライターたちの投稿に、明るく前向きな応援の言葉をかけ続ける人がいる

色覚異常が発覚した瞬間に夢は詰んだとつぶやく人は、別の夢をつかんで今は沢山のファンがいる

厳しい意見に向き合いながら、発信しているホール関係者がいる

素晴らしいなと胸が熱くなる場面や出会いがいくつもある。これこそがSNSの醍醐味で、ひいてはパチンコの側面でもあるのではないかと思うのは、私だけではないだろう。

誰かが必ず見ている。

廃業したホールを訪ね、長年支え続けたおかあさんの手の写真を、ノスタルジックな文章と共に挟み込んだ栄華さんが大好きだ。

ある掲示板でベテランたちが、ホールの状況や機種について時に厳しく、時に熱く、そして余裕を持って語り合っているのをのぞき見するのが好きだ。凄腕たちへの憧れだけではない、パチンコが大人のものだと再確認できるからだ。

数年前に早逝された女性ライターについて、しのけんさんが写真と共にあげられた一言を見た時、スロットも知らないのにいっぺんにファンになったこと

事務方も担当する事になった私が、勇気を出して投げかけた言葉に、いち早く反応してくれたポロリさんの男気

アニかつ氏が、大切な家族である愛猫を見送って間もなく、悠遊道へのコラムを夜明け前に書かれていた時、事務方のYukiさんと共に「プロの姿」を垣間見て、二人して胸が熱くなったこと

大崎一万発さんが「そんなひどいもんじゃないんだけどな」「何をやっても、こう捉えられんだなぁ」とつぶやかれていた。批判にも正直な感想をぶつけ、そしてまた新しいものの見方を提案したり発見したりなされている。

レジェンドやベテランは、いつだって優しい。私をバカにする人は、ただの一人もいない。

書き切れない。

沢山の関係者、パチンコファンの方々の、短いセンテンスの中に込められた心を読むのが好きだ。Twitterは出来る限り遡って、遡って、遡って読んでいる。

surely

センチメンタルな心の旅は続き、アンドレ氏からの最初の問いに明確な答えを見つけられないままに、ここまで書いてきた。

モノゴトは善と悪だけで出来ているわけじゃないし、いっぺんに解決する話ではない。でもただ一言だけ、これだけは言えるので、はっきりと書いておく。

嫌パチンコ家には噴飯物でしょう。

得難い経験から、かけがえのない大切な出会いが生まれ、いま、私の中にあるこんな気持ち。ひたむきとは何か、本気を出すとは何かを教えてくれたパチンコ

こんな思いを授けてくれたパチンコを、斜陽産業だなんて言われたくない。

 

今月は今日を含めてあと4日残されているからワンチャンあるでと、収支報告を来週に回す理由をあれこれ考えながら、夜明けのコーヒーを準備する。

「終わってないから収支」と共に、「体重報告回避」もお察し願いつつ、さあ、この詰め込み手紙をどうしよう。

読み返すラブレター
「丸められて、ゴミ箱にシュート」がだいたいの行く末だが、やけくそにも似た勇気でもって渡した場合はどうなるのか。

受け取った相手の反応はそれぞれ。ほとんどは気持ち悪がられ、こんなのもらってさー、キモくね?と言いふらされる運命にある。

でもチャンスかもと無理矢理、前向きにとらえ、投函するとしよう。

奇妙でイタい素人が悠遊道に混じっていると、是非、言いふらしてください。あたしの売名行為は続いているんですよ。

冷めたコーヒーを一人すすり、朝焼けを遠い目で見る私はもう泣いておらず、洗われたこの目は、また新しい場面を見つめる事が出来るでしょう。