悠遊道をご覧の皆さま、残暑お見舞い申し上げます。
関東地方に関していえば今年は梅雨が長かったせいで、例年より夏が短かったですね。なんか、寂しい気もしますが、朝の開店待ち中に熱中症でぶっ倒れる心配がなくなったのはいいことです。
まぁ、朝イチから打ちに行くなんてことは、最近ではめっきり少なくなりましたが。
余談はさておき、本題に入りましょうか。
予定では、東京移住直後にやっていたパチ屋専門の掃除屋のアルバイトの話を書こうかと思っていたのですが、夏の終わりに今夏の特番「背筋の凍る話」をさせていただきますね。
私が日常的にパチンコ店に入り浸るようになった30年前は、お客さんも店員さんもいまでは考えられないくらいパンチが効いてたもんで。
出し過ぎて強面のお兄さん方に囲まれたとか、見知らぬ街の景品買い取り所で地回りのヤ印に脅されたりとか、攻略法を使ってるのがバレて事務所に連行されて云々とか。そんな話のひとつやふたつあってもいいもんなんですけどね。
すみません。残念ながら中武君のように命からがら逃げるような目に遭ったことがないんですよね。
ただ、パチスロ必勝ガイドで仕事を始めた頃は、データ取りとかで周りの目はずいぶんと気にしましたね。当時は、パチ屋の中でメモを取る人間なんて、まずいませんでしたから。店員はまぁいいとして、パンチの効いた常連客から「なにをやっとるんや」ってね。
マッパチで裏モノのゲリラ取材を始めた頃なんかはもう、毎回がスリル満点でした。特に、地方の田舎の店とかに行くとね、よそ者なんてほとんど来ないわけでしょ。朝の並びとかで常連のお兄さん方が「誰や、あいつら」とかね。直接、因縁をつけてくるわけじゃないんだけど、わざと聞こえるようにそんなことを言って、圧力をかけてくるんです。
まぁ、幸いなことに、面倒事に巻き込まれたりしたことはなかったんですけど。「居心地、悪いなぁ」というのは、もうしょっちゅうでしたね。
本当に背筋が凍るような思いをしたのは、2001年の秋頃でしたか。マッパチでCDを出して、その販促を兼ねたホールイベントで訪れた先でのことです。
最近の「来店」と違って当時は、本当に「イベント」でしたから。お店に借りたコインで空き台を打ってボーナスやATが当ると、ジャンケンでそれを開放したりね。そんな感じで、えらい盛り上がってたんですよ。そしたら、ひとりのプロ風情な若者が、不敵な笑みを浮かべながら声を掛けてきましてね。
「いま、オオハナビでビッグを引いたんですけど、代打ちで消化してくれませんか」
当時は、アルゼ(現・ユニバーサル)系の技術介入機が全盛で、巷のホールでは腕自慢のスロッターが日々しのぎを削っているという状況でだったんですが、我々マッパチはそういうのを「銭スロやってて何が楽しい」とか常日頃から揶揄してたりしたんですよ。
「偉そうなこと言ってるけど、どれだけ目押しできんだよお前ら」
件のプロ風情な若者の考えはわかってました。が、正直なところ私は、ビタ押しハズシがあまり得意ではありませんでした。
オオハナビは好きでよく打ってました。純粋にゲーム性が面白かったので。でも、ビタ押しハズシの成功率は、いい時で8割前後。恥をかきたくなかったら、本音としては断りたかったんです。
でも、挑まれた手前、逃げ出すわけにもいかない。ひきつった笑顔を浮かべながら私は、ビッグが揃った状態のオオハナビに腰をおろしました。
そしたら、ね。みるみるうちに、後ろに30人くらいの人だかりができてしまいましてね。いよいよ失敗できない状況に私は追い込まれてしまいました。
こんな時に限って、残り20何ゲームもある状態で青ドンが出てきやがる。しかも、2回連続で。いつもなら2周くらいで「えいっ!!」と止めるんですが、もう怖くて怖くて押せない。「神様、お願いっ!!」と祈りながら、何周も何周も回して慎重にタイミングを計って…ね。
幸い、2回とも「ビタッ」と成功し、「ほっ」と胸をなで下ろしたんですけどね。そしたら今度は、一向に青ドンが出てくれない。
「まずい、このままではパンクして出玉を大きく減らしてしまう」
さっきとは別の意味で変な汗を流しながらビッグを消化します。そして迎えた最終ゲーム。
「神様、ほんとにお願いします!! …えいっ!!」
渾身の力を込めてレバーを叩くと、鉢巻きリールが右回って無事、ボーナスイン。後ろのギャラリーからは、拍手と歓声が沸きました。
結果的には場を盛り上げることができてよかったんですが。ほん…と、背筋が凍るというか、心臓が破裂しそうでした。
そんなわけで。巷のホールで私を見かけても、ディスクアップとかバンバンクロスの代打ちをリクエストしないでくださいね。