今回も、オカパチクローバーさんからのネタをお届けしたいと思います。「パチスロの販売台数」なんですが、こちらもすでにまとめた記事がいくつかありまして。
ここはお世話になっているパチ7の特集記事を貼っておきますか。幸いにして私の記事ではないので、微妙に着眼点は変わってくれそうです(笑)。ちなみに、販売台数の数字は推計です。ここでは敬意を表してパチ7の数字を参照させていただき、何機種かピックアップすることといたします。
また「4号機時代は盛り上がっていたんだな」と思われそう。確かに5号機中盤以降はメガヒット機種といえるものはでてきておりません。よほどのことがない限り、初動で5万台以上だとコケますからね。行列が行列を呼ぶの反対で、空席が空席を呼んでしまうのが現状です。評価されて増台。これが基本線となっているのは事実です。
逆に言えば、それだけユーザーの好みも多様化していて、いろいろな方向の機種が登場しやすい土壌となっているとも言えますがね。6号機の遊技機規則が立ちはだかりますけど(笑)。
○歴代最多はもちろんこの機種!
『北斗の拳』約62万台
登場は2003年10月。当時のパチスロは約166万1000台だったので、約37.3%が『北斗の拳』だったことになります。記念すべき60万台目は、引越後も飾られているのだろうか。サミーの旧本社ではエントランスの待ち合わせスペースに飾られておりました。
REG放出とATが連鎖する“バトルタイプ”のストック機で、どのモードに滞在していても中段チェリーを引けば1/4で当選するヤレる感。20連を超して終了する際にはラオウ昇天が見られるなど、分かりやすいアツさを持っていました。というか、ビギナー層からも圧倒的な支持を受けなければ、この数字にはならないでしょう。
バトルタイプの生みの親というのもありますが、それ以上に後世の機種に影響を与えたのは“色の期待度”かもしれません。「虹>赤>緑>黄>青>白」となる順は、メーカーの垣根を超えてスタンダードとなりました。いまでこそパッと感覚で分かるようになりましたが、当時は「赤いミキちゃん青白い」と覚えました(笑)。
○2位は意外に思う方も多いかも
『北斗の拳SE』約34万台
登場は2006年7月。初代から約3年でパチスロはさらに活性化。約200万5000台となっていました。ちなみに、この数字はパチスロ設置台数の最高記録です。シェアでいうと約17%ですね。
この台数ほどの人気は得られなかったので、意外に思われる方も多いことでしょう。「ヒント:初代の約3年後」といえばしっくりくるでしょうか。初代の検定切れにともなう代替機という扱いだったのです。いきなり世の中から62万台が撤去されるんですから、その穴は埋めなければなりません。既に5号機の遊技機規則が施行されていましたが、4号機のうちに型式試験で適合を受けていたものを“タイミング良く”リリースした形となります。
そこまで悪いデキではありませんでしたが、初代よりも28万台も落とした数字が人気を物語っているかもしれません。初代は4.5号機として登場しましたが、SEは出玉を抑制された4.7号機となってしまいました。システムは同じでしたが、1セットの出玉が約140枚から約100枚に減ったのも印象が悪かったですね。2位なのにこの叩かれよう(笑)。
○3位と4位は大都技研から
『押忍!番長』『吉宗』いずれも約26万台
3位と4位はストック機時代を象徴する大都技研の2機種。『吉宗』は『北斗の拳』のちょっと前となる2003年6月登場。『押忍!番長』は2005年6月に登場しております。
711枚獲得できるBIGの1G連がウリと破壊力抜群だった『吉宗』と、そのゲーム性を引き継ぎながらBIGを400枚タイプにして(少し)遊びやすくなった『押忍!番長』。このようにライトなスペックにする試みは良いものですね。パチンコでも甘デジで演出を楽しめたりしますし。パチスロもそうあって悪くないと思うのですが。
って、台数のこぼれ話が思いつかないので、次に進みます(笑)。
○4号機ノーマルタイプの最高台数
『ニューパルサー』約23万台
ノーマルタイプの最高台数は『ニューパルサー』の約23万台。登場はなんと1993年4月の4号機最初期です。当時のパチスロの総台数は、約73万台。シェアは約31%です。『北斗の拳』のシェア約37%には届きませんが“どのホールに行っても『ニューパル』がある”そんな状況でした。
当時は3号機から4号機への移行期で、現在と違って旧規則機を撤去しなくても大丈夫でした(2006年6月まで)。2号機や3号機が多く残る中、4号機は『ニューパル』だけというホールが多かったですね。
ちなみに、2位は『大花火』の約20万台。1997年近辺のユニバ系技術介入機は、メジャー機種であれば8万台〜12万台クラスで安定していた記憶があります。表には載らないラインですけど。
○5号機の最高台数は予想通り
『アイムジャグラーEX』約20万台
5号機の最高台数は、2007年1月に登場した『アイムジャグラーEX』の約20万5000台。4号機のラストイヤーということで、まだまだパチスロの設置台数が多かったころと重なります。4号機が撤去された2008年の約144万9000台から計算すると、シェアは約14%ということに。
ジャグ系は中古価格も高く動き、なかなかハズれないので少ない時期から計算しようとも思いましたが、そうすると“型違いのはどうなるんだ?”となるのでヤメておきましょう(笑)。
まあ、その型違いはさておきますと。少なくとも5号機初期は“『ジャグラー』は市場に20万台くらいがちょうど良い”なんて北電子の方は思っていたようでして。台数が多すぎるとブランドの価値が下がるという意識も、中古価格が高値で推移することに繋がっているかと思います。
○6号機もジャグ系になる!?
6号機『ジャグラー』もスタンバイしていますが、予定台数はそこまで多くないのかな。とはいえ、よほどのことがない限り6号機の最高記録もジャグ系となる予感がしております。
うーん。今のところ6号機の最多設置台数は『RE:ゼロ』の約7万台かな。株価に影響を与えるIR情報ということになるので、最近は現在進行形のものほど表に出てこなくもなりました。なので、推測の域は越しませんけど。
その『RE:ゼロ』も増産で5万台を超したところから稼働は苦戦傾向となってしまいました。最初にも書いたように、ユーザーの趣向が多様化しているとも言えます。メガヒットが生まれにくい状況なのです。
「全国的に人気で利益の取れる、この機種を打たないお客さん以外は要らない」という前時代的な経営ではなく、そのホールに通うお客さんが楽しめる多彩なラインナップにすることが大事になっているということですね。ホールのみなさん、大変でしょうが頑張って!
当時のパチスロ台の4割近くを北斗の拳が占めていたのには驚きです。
お店に北斗がずらーっと並んでいる圧巻の光景だったのでしょうね。
パチスロ打ちたいのなら北斗を打て!みたいな(笑)
なるほど、現在とは違いますね。
おっしゃるとおり、多彩なラインナップは大事。お客さんは選ぶ楽しさを享受できる。
パチスロの楽しみ方も多様化しているように感じました。
北斗専門店なんてのは語り草ですが、ワンフロアーや入り口からカウンターまで北斗なんて店もありましたねぇ
北斗は都内の店でも北斗だけ400台全部北斗とかありましたから、妥当ですねー。自分は北斗時代はメインは吉宗番長の2機種メインに打ってました。
吉宗は稼働もよく1921の天井も体験しましたが、万枚も何度もやらせて貰った名機でした。
北斗は10K勝負と割り切ってた
天井2000Gは当時でも稀だった
クランキーコンドルが優秀過ぎた
あの頃が1番熱かったよ
枚数規制と機械割りのせいとはいえ六号機は簡単に天井に行くえげつない機種が多いからスロット離れが加速してる。3戦突破系は基本的にゲーム数解除メインで通常時の強レア役がほぼ当たりに繋がらないし3戦突破も獲得枚数がジャグラーのBIGより少ないとか当たり前の様に起こるから打ち手は心が折れる。
4号機初期だからこそ意外と多く配分されていた高設定
5以上なら100%わかる設定判別
当時はやってる人の方が稀だったリプレイ外し
知ってる人、やってた人ならわかる。
ニューパルがコンドルなんかよりも全然安定して勝てた機種ってことを。
なんといってもビンゴですねあの四桁ATに入ったときの誇らしかったこと忘れません
リゼロは出た当初からこいつはダメだと自分は思ってた
なのに大ヒットしてしまった、それゆえに欠点が露呈し周知された
純増8枚とか3戦突破とかもういらないので普通に楽しめる台を出してほしいんだけど
4号機で300万借金作ったのは今はよき思い出
売れた台数もさることながら、節目となった台は印象深いものがあります。
技術介入という概念をもたらしたコンドル。
ストックという仕組みを搭載したキンパル。
獣王もATによる爆裂機を広めた画期的な台でした。
BGMもTVで使われたりして。
CTは消えてしまいましたがアステカは好きでした(ウルトラマンクラブが初)
皆さん思い入れはそれぞれですね。
>オカパチクローバーさん
私も改めて計算してみて37%には驚かされました。って、プライベートではバラエティに富んだホールばかり行っていたのもありますが(笑)。中には全台北斗とかのホールもあったので、そういうところが押し上げたのもあるかもしれません(^^)
>赤木剛憲さん
全台北斗のホールが、そのまま全台SEになって……というのも語りぐさですよね(汗)。
>コンドル好きさん
北斗・吉宗・番長の時期は、ホールの煽りメールも凄かったですね(笑)。私は、それらの機種は競争率が激しいからと銭形をよく打っていました。半分5か6と言われたら1/4が5だなとか。微妙なガセホールはそうと気付いた人は怒って来なくなることが多かったので競争率が低くなりやすくて(^^)
>匿名さん(その1)
金額を決めての割り切りは良いですね(^^) レア小役の合成も1/40〜1/50だったのでワンチャン勝負にも適していました。台数があったので、ひっそりした裏モノも。そういうホールでなければ、2000はほとんど見なかったですね!
>匿名さん(その2)
コンドルの時代の安定感は格別でしたね。低交換率が主流で設定も入れてくれたり。今となっては別世界のようにも感じます(汗)。
>匿名さん(その3)
3戦突破は数字のマジックですね。50%を3連勝は戦える気がしますが、12.5%と言われると狭き門に思えてしまいます。この辺りの見せ方は大都技研さん上手いなと(笑)。枚数変動制の不ヅキは、初当たり回数が多い機種だと許せるんですけどねえ。
>匿名さん(その6)
私は4万台程度の初期導入はイケると思っていました。純増8枚を体験していない世代も多く、話のタネにも一度は経験してみたいんじゃないかな……と。「やはりキツい」と離脱していく人が多くなるのも予想できたので、ご祝儀相場のような稼働は続かないので増産は「アチャ〜」と思いました。あと、他のメーカーからも似た仕様が出てきて薄まってしまったのもありますね!
>匿名さん(その7)
コメントで自虐できるほど回復されたようでなによりです(汗)。当時は消費者金融もブラックな利率でしたし、特に『ミリオンゴッド』を中心とした爆裂AT機は社会問題にもなってしまいましたね。4号機のラスト5年はムチャクチャでした。
>匿名さん(その4)
低交換率の傾向がさらに強く、技術介入の効果というか存在もあまり知られていなかったので、ほんと設定ありましたよね。半分は高設定とイメージできるホールも多くありました。初代『ニューパル』といえば、設定6でBIG間1000ハマって閉店して、翌朝据え置かれていてそのままオハ1000を食らったのを思い出します(笑)。
>匿名さん(その5)
ビンゴは上がった瞬間の音で、向かいのシマの全員も振り向きますね。あとモーニング当たりは設定3確定とか、夢だけでなくお馬鹿要素も見逃せません(笑)。
>がおさん
名機だらけですね。人の少ない編集部だったので『獣王』も『キンパル』も担当でした(汗)。そのあたりの技術革新って密かにネットが凄いんですよ。『サハラ』(大量獲得への布石)『クロスCT』(マンクラと同時期でCTの初め)『ブラックジャック777』(ストックシステムの元祖)。ってこれ、コラムのネタになりそうです(笑)。