2001年に平和がブチ込んだAR機『宝船』。当時AR機というと『ディスクアップ』やら『キャッツアイ』『ハードボイルド』あたりがいの一番に思いつくけど、いずれもAR突入の契機がボーナスフラグだったのに対し、『宝船』が尖ってたのはその抽選方法だ。なんと通常時にリプレイが3連続で揃えばARに突入とか、なんかそんな感じだった気がする。リプ3連。簡単なようでいてこれがなかなか難しい。当時結構打ったものだけど、トータル収支は余裕のマイナス。悔しかったけど、それ以上に俺にはどうしても気になることがあった。

『宝船』ってなんやねん。と。

……はじめましてのみなさま、はじめまして! 俺の事をご存知のみなさま、いつもお世話になっております。チワッスあしのです。この度こちら『悠遊道』さんで書かせて頂く機会に恵まれましたので、これから頑張って謎コラムをこねくりまわして行きたいと思います。よろしくおねがいします。シャ!

さて。

タイトルの『ぱちんこ衒学講』ですが、この『衒学』というのは(敢えてボロクソに言いますと)「知識をひけらかして煙に巻く」みたいな感じの意味です。ペダンティックとも言いますが、最初にこの概念を持ち出したのはかの偉大なる劇作家、ウィリアム・シェイクスピアだったりします。よく分からん事を仰々しく述べる。書いてる方も読んでる方も双方向で理解出来てないけども、それでも何か知らんが面白い。そういう感じです。衒学。ご存知なかった方は折角なのでお土産にしてください。そんでビジネスシーンとかで横文字バリバリでよく分からんプレゼンをする上司がいたら「衒学者」というあだ名をつけてあげて下さい。

というわけで初回は『宝船ってなんだよ問題』についてちょっと考察していきましょう。どうぞ。

●宝船の起源と七福神。

『宝船』には色んな意味や解釈があるけどもまず一般的に広く知られているのは、
あの正月のカレンダーなんかによく描かれてる、鯛やら小判やらが満載の「七福神の乗った舟」だろう。だのでここはもうそもそも論になっちゃうけど、七福神についてもう一回勉強する必要がある。

みなさん七福神の名前はちゃんと言えますか? 今は言えなくても大丈夫。めっちゃ簡単な覚え方があるのでそれもセットでどうぞ。

恵比寿(えび)
弁財天(べん)
大黒天(だい)
福禄寿(ふく)
寿老人(じゅろうじん)
布袋(ぬのにまかれた)
毘沙門天(びしゃもんてん)

はいどうぞ。えびべん、だいふく、じゅろうじん、ぬのにまかれた、びしゃもんてん。これで七福神の名前はバッチリです。

んでこの七福神なんだけども、もともと7柱の神様がワンセットで存在してるのではなくて全然別の世界観の神様がグルーピングされてます。例えば弁財天はヒンドゥ教におけるトリムルティ(三神一体)の一つであるブラフマーの妻、サラスヴァティが原神であるとされています。琵琶を抱えたインドの女神ですな。大黒天も同様にヒンドゥから。毘沙門天はヒンドゥ・仏教のミクスチャーで、寿老人・福禄寿は道教から。布袋は仙人として信仰される中国の仏僧。そして恵比寿は諸説ありつつも日本の民間信仰からきてます。

なんでこんなバラバラの神様(ひとり仙人だけど)がセットになっているかというと、7柱が7柱とも本邦に於いて「縁起が良い」とされているからなんですね。成立の経緯は良く分かってませんが、とりあえずこの7柱で固まったのは室町時代。まあまあ最近です。

一方で、その七福神の乗り物である『宝船』に関してはまた全然別の起源があります。

今回の本題はこちら。そしてそれを理解するのには「日本」と「海」の関係を探る必要があります。とはいえそれを詳しく述べると爺様の小便の如く長くなるので、要点だけ。本邦に於いては「異界(あの世)」が複数ある事をまずおさえておいてください。記紀曰く本邦の代表的なあの世である「ヨミ」はヨモツヒラサカの向こう、地底あるいは山中とされています。これは分かりやすい。でも実は近畿地方の伝承には「補陀落(ふだらく)」という「海中のあの世」があり、沖縄には「ニライカナイ」という、これまた海中の異界があるんですな。あの世も色々あるんです。

海上(中)の異界。

これを「海上(中)他界観」といいまして、なにげに補陀落やニライカナイみたいな名前がついてる場所以外にも、それは日本各地に信仰として普通に残っています。長崎や瀬戸内海の精霊流しもそうですね。余談ですが浦島太郎の「竜宮城」や桃太郎の「鬼ヶ島」なんかも広い意味では海上(中)他界です。特に桃太郎に関しては結構そのまんまなんですな。ご存知のように「鬼」は「隠(おぬ)」が言語ですが、これはもうズバリ「魂」や「霊魂」を意味します。また記紀においては「桃」に対応する果物もしっかり出てきまして、ヨモツヒラサカにてイザナギ神が、追ってくるヨモツイクサという鬼に投げたのがまさしく桃です。んで最後には千引の岩越しの有名なやりとり。「1日に1000人を殺す」「じゃあ1500人生むわ」というアレ。桃から生まれた桃太郎が鬼を退治に異界へ。単語が出てくる順番と配役は違いますが、これはまるで一緒のモチーフに思えます。鬼ヶ島は、あれは黄泉じゃないでしょうか。

●海の向こうには異界がある。

今はテクノロジーの発達で「海の向こうには外国が在る」と分かるのですが、そんなもん1ミリもない時代の話です。中央の役人なんかはいざしらず大部分の民は水平線の向こうに何があるかなんか知りません。そうなると民間伝承上では「あの世」であったり「異界」としてのイメージが語り継がれる事になります。実際漁の最中に命を落とした人もいるでしょう。もちろん山で命を落とす人もいます。あの世が複数あるのは要するに「どっちで死ぬ人が多かったか」だと思います。沿岸部の人は補陀落渡海やニライカナイを信じたり精霊流しをして、海から離れた人はヨモツヒラサカや千引の岩を信じる。

さて記紀においては「穢」という概念があります。ちとこの辺は詳しく言及するとアレなのですが、概念だけ説明すると「魂の罪」みたいな感じです。社会生活を営む上での「法の上の罪」とはちょっと違い、死に触れたりする事で溜まっていくと考えられていたものでした。

これを落とすのには「祓(はらえ)」が必要です。エをハラうでハラエですね。そのまんまです。今でも悪霊を退治するのに「お祓い」をしますが、あれは「厄」の理論から発展したもので、もとを正せば平安時代頃に成立した陰陽道が由来の別物です。祓は魂の洗浄。お祓いは悪霊退散。この違いはマストで押えておきましょう。

んでこの祓というのは神社などで形式的に行われる手続きのひとつという意味もありますが、民間で行われる習慣の中でもあたりまえに行われるものでした。簡単な例でいうと節分ですね。鬼に向かって豆を投げる意味はよく分かりませんが、元は桃の枝を使っておったという事で、もはや細かく説明する必要もないですな。

んでそういう民間上の祓の儀式のひとつに「夢祓」があります。悪夢に悩む人が枕の下に舟の絵を敷いて眠り、翌朝それを海に流すというもの。

脳理学が未発達だった時代「悪夢」は「病」のひとつだと考えられていました。実は古来、身心の病気は全て小さな鬼の仕業だと考えられておりまして、この辺は後に「祟」や「憑き物」の概念に発展していくのですがそれはもうおいといて、とにかくここが悪くなったらこう! ここだったらこう! みたいな「対鬼の対症療法」というのが編み出されたわけです。喉が痛くなったらネギを巻く! とかね。こういうのを民間療法などといいますが、そのうちの一つが「悪夢を見たら舟の絵を流す」だったわけです。どこに流すか。これはもう海です。鬼=魂を「異界」に返してるわけですね。実はこの「夢祓」が「宝船」の原型だそうです。(ほんまかい)

この辺の説はちょっと個人的には疑義が残りますが、一方で海に不浄を流す、という発想自体はスッと入ってくる部分でもあります。

さて、問題は流した舟がどうなるか。です。

此処から先は完全に仮説になりますが、本邦の文化的な黎明期において大陸との通商というのは、その船の往復ごとに破壊的と言って良いほどインパクトがある革命を齎したのだと思います。縄文から弥生へ。天つ神から国つ神へ。青銅器の流入、農耕の開始、仏教の流布。南方および太平洋側においてはしばしば「あの世」とみなされる海の彼方も、日本海側にとっては「発展」や「希望」あるいは「財宝」のメタファーだったのかもしれません。

日本民俗学の祖、柳田国男先生はニライカナイを考察する上でこう言いました。日本人は、太陽が登る方角の海上に異界をみた。と。太陽の登る方向。太平洋側です。では補陀落はどうか。これは和歌山の南。これも太平洋上です。つまり同じ日本でも「太平洋側」は「異界」で、「日本海側」は「外国」だったではないでしょうか。

そう。我が国は「海」に対して全く異なる、2つのイメージを持ってるのです。

●宝船・ミーツ・七福神

さて「夢祓」にもどりますが、「異界に悪夢を流す」というこちらの民間療法にはいつしか逆転現象がおきます。そう。悪夢を流すための絵だったものが、いつしか「良い夢を見るためのおまじない」へと変貌しました。「夢祓」はいつのまにやら『宝船』になったのです。なんでそうなったかはまさしく前段で述べたように海に対してポジティブ・ネガティブ両方のイメージを持っていたから。好きの反対は嫌いですが、これはメンコの如く簡単にひっくり返ります。ヤバいのは「無関心」でこれはどうにもなりません。ヤンキーが雨の日に捨て犬に傘をあげてたら女子が惚れるのはコレです。これ別にどうでもいい名前も知らんようなモブキャラが同じ事をしても駄目です。普段悪いことばっかりしてそうなヤンキーだからこそひっくり返るのです。

これと同じように悪夢を運んでたハズのおどろおどろしい夢祓は、なんかの拍子でコロっとひっくり返るわけです。

なんかの拍子。

これが今回のキモですが、これには再び七福神について説明せねばなりません。宝船と七福神の結びつきにおいて「海外」「異界」2つのイメージを併せ持つキーワードが一つだけあります。それが恵比寿です。

恵比寿は7柱の中で唯一日本由来の神であり、そしてさらに、唯一「舟」と関係があります。

恵比寿は一応神様にカウントされてますが、実は記紀には出てきません。ただし同じ読みができる蛭子命がいます。こちらは「ヒルコ」と読まれていますが、まあエビスですね。んでその蛭子ですが、イザナギとイザナミの最初の子(日本書紀においては二番目の子)であるにも関わらず、子の数にはカウントされていません。ノーカンです。この辺はデリケートな問題なのか古事記にはしっかりした理由は書いてませんが、父ちゃん母ちゃんいわく「わが生める子良くあらず」との事。日本書紀では「3つになっても一人で立てなかったから」だそうですが、まあどっちにしろノーカンになってます。で、この蛭子命ですが、結局葦の舟に乗っけられて海に流され、それっきり神話には登場しません。

ですが。

神話の時代が終わり、日本史がはじまります。そしてある時、別の神様が現れました。それが同じ読みの恵比寿さんです。恵比寿さんは蛭子命とは真逆に「舟に乗って」海岸に漂着します。こういう「外から漂流してきた神様」を「寄り神」といい、いわゆる漂着物を神格化したものだと言われています。

同じ読みの神様が方や舟に乗せられ送り出され、方や海の彼方から漂着する。偶然にしてはあまりにも出来すぎなのですが、一応は別の神との事。ただし、同じ神様でいいじゃないかという説もまた濃厚で、実際室町時代辺りにはエビス=ヒルコ説が一般化し、江戸末期には恵比寿神社が蛭子神社に改められたりとかいう動きもあったそうな。

なぜか! はいここ大事! いよいよ結論に近づいてきました。

そう、同じ方がカッコいいからです。要らない子として流された神が、海の向こう(異界)で研鑽を積んだ後に帰ってきて立派な神様になる。これはまさしく折口信夫先生の名付くところの「貴種流離譚(尊い存在がどっかいって強くなって帰ってくる話という意味)」と完全に一致するわけで、そしてそれは、世界中のあらゆる物語の中でひとつの雛形になっているものなのです。簡単に理解できて、そしてカッコいい。なんか知らんがスカッとする。漂流物、あるいは漁業の神だった恵比寿さんが七福神のひとりにチョイスされるのは、民間からの人気が高かったからで、そして高かった理由は貴種流離譚のわかりやすさ、蛭子命との同一視があったからだと思います。

さて父ちゃんと母ちゃんから葦の舟にのっけられてどっかに流された蛭子命。

寄り神として帰ってきた時にはどうだったか。貴種流離譚の雛形に則って「偉くなって帰ってきた」とするなら、また葦の舟では格好がつかない。ここで「異界」ではなく「外国」、つまりは豊かで文化的、現実的な海の向こうのイメージが鎌首をもたげます。そう。宝を持って帰ってきてるわけです。空の舟がお宝を満載にして帰ってくるという話は海洋国家にはちょいちょいある伝説・神話・民話ですが、今度はこれがピンボール状に跳ね返る形で「夢祓」にフィードバックされたのではないでしょうか。つまり、悪夢を「異界」に運んだ舟が、お宝を持って「外国」から帰ってくる。こうして、【宝になって帰ってくる事を期待して、夢祓には蛭子命が描かれるようになり】、転じていつしか他の七福神のメンツが描かれるようになったのではないでしょうか。

要するに、【七福神が乗ってるから宝船なのではなく、恵比寿さんが乗ってるから宝船】であり、【宝船と恵比寿さまこそ本体で、残りの6柱の絵はオマケ】なのです。

仮説に過ぎませんし七福神は七福神で縁起が良いものなのですが、殊、宝船と結びついた経緯を考えるに、恵比寿さまありきだと考えるのが個人的には入ってきます。もちろん、信じるか信じないかは、あなた次第です。

よし、書ききった……!

──2001年。なけなしのお金で『宝船』を打ちながら全然ARを引けなくてイライラしてたあの日。ボロカスに負けて午後の遅い講義から出た授業がまさしく「民俗学」でした。テキストは柳田国男の『遠野物語』。ちょうど『うしおととら』を全巻読んだばっかりだった俺は夢中で先生の話を聞いて、そして講義の後もわざわざ研究室に飛び込み、こう質問したものです。ねぇ先生。『宝船』ってなんですか。

以上!