昭和58年頃、私は主に渋谷駅周辺にある複数のホールでパチンコを打っていました。今でこそ渋谷駅の周辺はエスパスグループの一人勝ちみたいな状況になってますが、当時はまだ「繁華街の小さなパチンコ屋さん」みたいなホールが多数存在しており、それぞれで客層や交換率も微妙に違って、店ごとの個性が非常に強かったんですよ。

 

当時、私がテリトリーにしていたホールは次の8軒。

①タンポポ

宮益坂の中腹にあった小さなパチンコ店です。うなぎの寝床みたいな細長い店内に、三共の機種が数多く設置されていました。2.5円交換が主流だった当時において、このお店はなぜだか3.3円交換で営業しており、短時間勝負をする際に好んで打ってました。当時の私にデジパチを打つような資金力はありません。三共の「フィーバー82」、いわゆるタコフィーバーが大量に設置されてましたが、私は専ら「空中戦」などの羽根モノで勝負してました。小箱に1箱(約800個)出せば約2600円になる…みたいなセコい勝負ですけどね。この店は昭和61年になって1号機パチスロ(パル工業のペガサスでした)を導入したんですが、意外なことに8枚交換(ビッグ2回で交換)という低交換率になってまして、パチンコとの格差が非常に激しかったです。なお、店名こそ同じですが福生のタンポポさんとはたぶん無関係。当時は別法人の同じ店名など特に珍しくありませんでした。現在はファミリーマートになってますが、外観に少しだけパチ屋の面影をたたえています。(※写真は2017年3月に撮影したものです)

 

②ジャンボ

明治通り沿いにあった2階建ての小さなホールです(2.5円交換)。平和と三共の機種が多く設置されており、私はこの店の開放台狙いでセコく稼いでました。設置機種はデジパチが平和のブラボースペシャル、羽根モノは平和のゼロタイガー、ラドンエイト、三共のギャラクシーダイバー、キングスター、ロイヤルキングなど。また、昭和61年頃になって興進産業のニューデートラインを設置したんですが、交換率は6枚でした(ビッグ終了後に1回交換)。ニューデートラインは等価交換仕様のスペックなんですが、当時はパチンコと交換率のバランスを取ろうって考えが希薄だったのかも知れませんね。その後、ジャンボは2003年にアムディに売却され、2010年9月に閉店しました。建物は現在ラコステになっています。(※2017年3月に撮影)

 

③白鳥

渋谷センター街の中ほどにあったパチンコ店です。当時は1階がデジパチ(三共のフィーバー82や豊丸のバックファイヤー8が設置されてました)、2階が雀球、B1がアレンジボールと羽根モノ(奥村のスクランブル、三洋のグラマンなど)とチューリップ台(いわゆる普通機)という、非常にバラエティ豊かなラインナップでした。後に地下フロアにパチスロ(東京パブコのアーリーバード)が導入されました。ここは7枚交換無制限(ただし100枚以上の出玉を持っての台移動は禁止)という、比較的ユルいルールで営業していましたが、設定状況はあまり良くなかったと思います。なお、パチンコの交換率はオーソドックスな2.5円交換でした。その後、白鳥は2000年にBBステーションになり、2010年に閉店しました。(※現在はカラオケ店。写真はストリートビューからです)

 

④柳小路センター

渋谷109前のスクランブル交差点の脇にあった老舗。西陣の機種ばかり設置しており、なかなか味のある店でした。デジパチはルーキーZ、羽根モノはスペースジャガー、他は大半が普通機という、非常に癖のあるお店でしたね。後に北電子のキャスターを導入するのですが、この台はいろいろと問題の多い機種でして(変則打ちで小役を抜けたりなんかして…)、対策機のニューキャスターに入れ替えるまで店とプロとのトラブルが頻発したそうです。なお、私は抜いてませんので念のため。(※写真はストリートビューのもので、現在はエスパスになっています。右も左もエスパスだらけですね)

 

⑤大番

柳小路センターの裏手にあったパチンコ店。なんだか非常に雰囲気が暗くて、私はあまり好きになれませんでした。昭和61年頃にサミーのナイアガラを導入しましたが(7枚1回交換)、やっぱり店の雰囲気が暗かったため、あまり打ってません。今考えると、勿体ないことをしたと思います。正直、もっと打っておけば良かったです。その後、大番は周辺のホールと同じくエスパスになりました。(※写真は2017年に撮影。ここらへんはエスパスだらけで初見の打ち手は驚くこと請け合いです)

 

⑥アサヒ会館

柳小路センターの隣。ただし、表通りには面していないため、店に入るには狭い路地を通って裏手に回らなければなりません。この店は1階にデジパチ(大一のアイドルセブンなど)を設置。地階には権利物(京楽のコスモアルファなど)や一発台もどき(西陣のエレックスサンダバードなど)を置き、2Fに羽根モノ(京楽のスーパーワンダーなど)を設置…という感じで、きっちりと機種のエリアを分けておりました(交換率は2.5円)。もちろん、私は2階でばかり打っていましたが、昭和61年頃に地階にユニバーサル販売の1号機・アメリカーナXXが設置されると(7枚1回交換)、必然的に地階に足が向くようになりました。まぁ、あまり勝った記憶はないんですけどね。(※写真は2017年3月に撮影。ここも現在はエスパスが営業しています。ところで、ここパチさんのサイトではこの周辺の位置関係が微妙に間違ってるんですが…。機会があればご連絡したいと思います)

 

⑦ウチダホール

大番の通りをさらに奥に進んだ場所、井の頭線の脇にあった小さなお店です。このホールは主に平和の機種を設置しており、1階にマルホンのクラウン(ブラボースペシャルのOEM製品)、地階はゼロタイガーや普通機がメインでした。後に瑞穂製作所のファイアーバード7が設置されましたが、なんかシマの雰囲気が悪くて(怖そうな人たちがたむろしていた)、私は一度も打ってません。正直、トロピとファイアーのシマは貧乏学生が足を踏み入れるような場所じゃなかったんですよ。なお、このお店の交換率は当時2.2円とやや低め。パチスロに関しては打ってないので不明です。(※写真は2017年3月に撮影。右奥に見えるのが旧・柳小路センターのエスパスで、ケンシロウの看板がある手前のエスパスが旧・ウチダホールです。この一帯は本当にエスパスの一人勝ちなのです)

 

⑧タイガー

井の頭線ガード下にあった三共機種オンリーのパチンコ店。当時は汚い板張りの床に、建て付けの悪いシマが多数あって、上を電車が通るとすげぇ揺れました。設置機種はデジパチがフィーバー82(三段アタッカータイプ)、羽根モノはギャラクシーダイバーとキングスター、ボクシングなどの一般電役も置かれてましたが、壁際に立ちシマ(椅子がない文字通り立ったまま遊技をするシマ)なんてのもあって、ずいぶん時代がかった店のような印象を受けました。後に半年くらい営業を休んで全面改装を行い、綺麗で明るいオシャレなホールに生まれ変わりましたが、個人的には昭和の面影を色濃く残す小汚い店の方が好きでした。いや、当時も昭和なんですけどね。なお、この店はかたくなにパチスロを設置しませんでした。「ここパチ」さんのサイトによると2001年に閉店するまでパチンコだけ設置していたようですが、オーナーさんがパチスロを嫌いだったんでしょうかね? なお、パチンコの交換率は2.5円です。全面改装後のリニューアルの際は本当に出血大サービスで、たかだか1時間程度の営業時間でしたけど、私は鳴きまくり&拾いまくりのギャラクシーダイバーを打って5千円くらい勝ちました。閉店時に並んだカウンターの列が凄くて、打っていた時間よりも景品交換に要した時間の方が長かったように記憶しています。あと、「王様手帖」が無料配布されてまして、私はこの店で入手してました。(※お店の建物は現存してないため写真はありません)

渋谷駅周辺には他にもパチンコ店があったんですが、私がよく打っていたお店は以上の8軒です。

 

 

でもって、長々と説明してきましたが、ここまでは全て前置き。そう、ここからが本題です。

ある日、センター街の白鳥でスクランブルを打っていたところ、隣の席にスーツ姿のサラリーマン風の男性が座りました。脇に営業鞄っぽい黒いカバンを下げているのを見ると、たぶん営業マンが時間潰しにフラリとパチンコ店に入ったんだろうな…と思いました。ところが、その男性はすぐに大当りして一気に小箱に2個の出玉を出したんです。約1500個くらい。そして、すぐにヤメていきました。この店の交換率は2.5円ですから、投資が200円としても約3500円のプラスです。その時は、なかなか潔い人だなと思ったんですけどね。おかしいと感じたのはその翌日からでした。なんと、翌日から夕方になると毎日のようにそのスーツ姿の男性が打ちに来て、スクランブルに座るや否やあっという間に当てて2箱くらいで即ヤメしていくんです。朝から晩までパチンコ店に入り浸っている私のクズぶりは置いといて、さすがにお座り一発で2箱出してヤメていく日々が続くと変だと思います。

「コイツ、何かやってんじゃないか?」

その男性が座るのは、必ず奥カドから2台目です。そしていつもの時間、私が3台目に座ってそしらぬ顔で打っていると、やっぱりその男性は隣に座りました。私は男性の一挙手一投足を見逃すまいと、自分の台を打ちながら、意識を集中して横目で男性の挙動を追いました。すると、男性はハンドルに何かをカマして固定し、100円分の玉をサンドから出すと、台の下皿の奥に手を入れた…と思った刹那、チャッカーにも入ってないのにスクランブルが大当りしたんです。いや、いきなりブロロロロ~という大当りの効果音が流れたんだから、絶対に見間違いじゃありません。

 

もはや、この男性が何かやっているのは明らか。だって、こんなの絶対に変なんだもの。スクランブルで強制的に大当りを発生させる方法があるのかどうか知らないけれど、これを見過ごしちゃあダメだ!

男性は例によって2箱出すとすぐに席を立ちました。たぶん、このままジェットカウンターに流しに行くのでしょう。それで、そのことを店員さんに告げようと立ち上がった瞬間、いきなり誰かに両肩を強く押さえられて、私は無理やり座らされました。振り返ると、知らないお兄さん。

「ヤバい、あの男の仲間だ!」

私は本能的に身の危険を感じました。おそらくあの男性はゴト師なのでしょう。そして、ゴト師が仕事をする際には必ず見張り役が居る…ということを、不幸にも当時の私は知りませんでした。つまるところ、このお兄さんが見張り役なんだろうね。

 

さて、どう言い訳しようか…。いろんな考えが頭を巡って青ざめた私に対し、そのお兄さんはニッコリと笑って、「何かありましたか?」と聞いてきました。もちろん、私は「何もありません」と答えるしかありません。大声を上げれば店員さんも気付くだろうし、そうすればゴト師も見張り役もお縄になるかも知れないけれど、運悪く逃げられた場合はチクった私が待ち伏せされる可能性大。勢いで正義感に任せた行動をとっても、その結果、私が報復されてはたまりません。てゆーか、自分の身を危険に晒してまで、ゴト師の暗躍を店に報せる義理はないし…。

ヘタレと思われるかも知れませんけど、私は自分の台に玉を残したまま店から逃げました。そして、翌日からこの店には決して近づきませんでした。このあと、ゴト師の皆さんがどうなったのか。さらに長い時間をかけて少しずつじわじわ抜いたのか、それとも発覚して警察に突き出されたのか? そこらへんは私の関知するところではありませんが、約3年後…新風営法の規則に沿った新基準機が登場した頃におそるおそる店を覗くと、そこにはすでにスクランブルの姿はなく、ズラリと並んだピッカピカのアーリーバードのシマはハイエナプロの巣窟と化してました。

 

 

後日談…というか、今回のオチ。

随分と後になって知ったことですけど、どうやら件のゴト師がやっていたのは「電子ライターゴト」だったと思われます。10年くらい前に5号機の某機種で、電子ライター着火部の針金を継ぎ足してコイン投入口に垂らし、カチカチやると無限ARTになる…みたいなゴトが世間を騒がせましたが、昔の羽根モノにも下皿払い出し口の奥でカチカチやると大当りする機種があったみたいです。スクランブルの場合は個体差が大きかったらしいのだけど、ベテランのゴト師にかかれば「一瞬の出来事」につき見破るのはほぼ不可能。それでも、真実を知って少しだけスッキリしましたよ。

ところで…果たしてあの時、正義感に任せて突っ走っていたら私はどうなっていたか? 歴史に「もしも」はタブーですけど、私は今思い出しても冷や汗が止まりません。